2012年8月31日金曜日

ザルツブルグ駅前広場 Südtiroler Platz, Salzburg

ザルツブルグ駅前広場 Südtiroler Platz, Salzburg
娘と奥さんと僕はザルツブルグ駅前広場(Südtiroler Platz)でケルンストックさん(Kernstock)の車をしばらく待つ事に、小雨降る駅前広場はがらんとして寒々しい。
ケルンストックさんは僕たち家族がザルツブルグでお世話になる宿の御主人。
僕は駅の公衆電話から宿に連絡を入れ宿泊予約を取ります。すると電話の向うからケルンストックさんが「宿は空きがあるから泊まれるよ、君の名前は」僕が名前を言うと彼は「今から車で君たちを迎えに行くから駅前広場で少し待ってな」。
ザルツブルグ駅前広場で大きな荷物を抱えているのは僕たち家族とアメリカ人の大学生らしき女の子4人組、まさかこの女の子達も同じ宿とは知りませんでした。
しばらくしてフォルクスワーゲンのグレーの車が駅前広場に到着。ケルンストックさんらしきおじさんが出てきて女の子達に声をかけます。それから僕の名前を確認すると、ケルンストックさんは迷う事なく女の子達を先に車に乗せ「これ以上は車に乗れないな、もう一度来るから君たちはここで待ってくれ」。
僕たち親子を残してケルンストックさんの車は駅前広場から出て行きました。
やれやれ、若い女の子が優先です。僕たち3人は誰が見ても貧相なアジア人親子ですから。

2012年8月28日火曜日

ザルツブルグの地図 Stadtplan in Salzburg

ザルツブルグの地図
娘と奥さんと僕はウィーン西駅から列車に乗り約3時間でザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)に到着、時刻は13時17分とほぼ定刻。
ザルツブルグ中央駅の改札を出て駅のコンコースに向かいます。駅の中心にある高い天井のコンコースには大きな背の高いガラス窓が3つ仲良く並んでいて天気が良ければ春の日差しが入るでしょう。ところがザルツブルグは雨。どんよりした黒い雲がとぎれもなく空一面、それにじき5月だというのに少し寒いのです。
僕と奥さんは重い荷物をかつぎ娘の手を引き駅の薄暗いコンコースで観光案内所を探します。観光案内所で地図とホテルリストをもらいやっと一息。
実は日本から持ち込んだ安物の娘のベビーカーがウィーンで壊れてしまったのです。ベビーカーの車軸が2本折れてしまい僕には修理不可能。ベビーカーをウィーンの自転車屋に持ち込む事も考えましたがお金と時間がかかる。
それではと宿のあるゴールデガッセの路地にベビーカーをそっと捨ててきたのです。ウィーン清掃事務所並び市民の皆様ごめんなさい。

2012年8月23日木曜日

オーストリア国有鉄道(ÖBB)

オーストリア国有鉄道(ÖBB)列車内
娘と奥さんと僕はウィーン西駅(Wien Westbahnhof)の11番線ホームから、10時3分発のザルツブルグ行き列車に乗り込みます。
ザルツブルグはウィーンから西に約300km、オーストリア国有鉄道(ÖBB)で3時間ほどで南チロルのザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)に到着です。当時(1990年)この路線は高速鉄道がありませんでした。今なら高速鉄道で2時間あればウィーンからザルツブルグに行けるとか。
娘は列車に乗り込み一息つくと、「おなかがすいた」。奥さんはウィーン西駅のキオスクで買っきたばかりのお菓子を出して娘に。娘は袋を開けるたらもう止まりません、あっというまにお菓子は無くなり、奥さんは「あと3時間がまんできるかな」と心配そう。

2012年8月18日土曜日

ウィーン西駅 Wien Westbahnhof

Wien Westbahnhof
ウィーン西駅
娘と奥さんと僕はウィーン西駅(Wien Westbahnhof)にやっと着きました。ウィーン西駅から10時3分発の列車でザルツブルグに向かいます。
僕たち家族は宿の前のBelvedereから路面電車(Straßenbahn)に乗り込み、オペラ座前のWien Operで路面電車を乗り換えウィーン西駅へ向かうはずでした。事故でしょうか、西駅行きの路面電車が不通で来ません。
月曜日の朝8時、通勤通学で混み合う路上、さて困ったな、すると小太りで髪の毛のうすいおじさんが僕たち家族のもとに来て「どこに行くんだ」。
僕はおじさんに「Wien Westbahnhof」。おじさんはコクリとうなずくと、僕たち家族を引き連れて、西駅に向かう地下鉄(U_Bahn)の駅まで連れて行ってくれました。
僕と奥さんはおじさんに何度も「Danke Danke」とお辞儀。おじさんは気にする事はないよとばかり軽く手を振り立ち去るのです、なんともカッコイイ。
ウィーン西駅は19世紀半ばの近代建築、正面の大きなガラスの壁面から日差しが入り駅舎内を照らします。ちょと上野駅に似ている、地味ですが僕はこの駅が気に入りました。

2012年8月15日水曜日

ウィーン、プラーター遊園地 Der Wurstelprater.Wien

Der Wurstelprater.Wien
プラーター遊園地
娘と奥さんと僕はプラーター遊園地にやって来ました。日曜日の昼下がり、遊園地は沢山の親子連れや、若い女の子達でごったがえしています。
僕たち家族は宿の前のSchloss Belvederから路面電車に乗り込み、途中で路線を乗り換えプラーター遊園地入口前のPraterstern/HauptaLLeeで下車、3分程歩けば遊園地に到着。
遊園地の営業期間は3月から10月(1990年当時)午前10時から夜中の1時まで。
遊園地には入場券売り場がなく、入場は自由。気ずけば園内に、乗り物の前にいるおにいさんに料金を払いチケットをもらい、乗り物に乗り込みます。
庶民的なプラーター遊園地は「としまえんみたいだね」と奥さんと僕。
大観覧車 Wiener Riesenrad
娘が最初に駆け寄ったのは観覧車、1人25シリング(1990年当時420円、娘は無料)払い乗り込みます。
北側には大きな森とドナウ川、南にはウィーン市街地が広がっています。1897年生まれの観覧車、ゴンドラは木製で古い汽車のよう、ゆっくりと回転して行きます。
青虫のような乗り物、うねうね動きながら回転します。料金は20シリング。
空飛ぶ円盤、こちらはくるくる回りながら、上ったり下がったりで、料金は20シリング。
娘が1人で乗った電車の乗り物、なんだか不安そう。これも料金は20シリング。
タツノオトシゴ
タツノオトシゴの乗り物、前後に動くだけ、で料金は2シリング(30円)
大きなすべり台

すべり台は木製で巨大。入口でお兄さんに15シリング(250円)払います、すると、お兄さんは大きな麻の袋をくれます、この袋に入って滑ります。高さ10mほどの螺旋状のすべり台は、地上4mほどの所まで急角度で高速のベルトコンベアーに乗って上ります、そこから急な階段を上り最上部に到着。入口で手渡された麻の袋に腰まで娘と一緒に入り、滑り落ちるのです。
僕の感じでは滑るというより落ちる感じ、すさまじいスピードで落下します。滑り終えて僕は「死ぬかと思った」。
それを聞いた奥さんが「うそだー」で彼女もすべり台に。彼女は下りて来るや「死ぬかと思った」。
その後、ゴーカートに乗ったり、お化け屋敷に入ったり、娘は乗馬をしたりと夜7時まで僕たち家族はプラーター遊園地を楽しんだのです。

すべり台の終点


2012年8月3日金曜日

ウィーンのレストラン Prinz Eugen Stuben,JANNIS GRIECHISCHE SPEZIALITATEN,Wien

ウィーンのレストランPrinz Eugen Stuben
娘と奥さんと僕が2度目のウィンナーシュニッツェルを食べたレストラン、Prinz Eugen Stuben。
僕たち家族がウィンナーシュニッツェルを初めて食べたのは、リンケ・ウィーンツァイレ通り(Linke Wienzeile)の定食屋さんで、それは美味しいのです。
ウィーンにいるからにはもう一度食べねばと入ったレストランPrinz Eugen Stuben、レストランの場所は宿のすぐそば、ベルヴェデーレ宮殿の西側を伸びるプリンツ・オイゲン通り(Prinz Eugen Straße)の56番地のアパートメントの1階にあります。
店内は少しチロル風でかわいらしい、明るいこざっぱりしたお店です。
僕たち家族が注文した、ウィンナーシュニッツェル、サラダ、パン、娘はオレンジジュース奥さんと僕はビール、デザートにアイスクリーム、どれもが美味しい。
最初の店のウィンナーシュニッツェルとは少し違います、肉厚がありやわらかい、付け合わせもポテトでなく温野菜の盛り合わせ。お値段は税金込みで262シリング(1990年)4,400円程ですから前回の定食屋さんの1,6倍、Prinzですから僕たち家族のような庶民には敷居が高いのです。