2011年12月31日土曜日

ヴェネツィア、トルチェッロ島、Torcello,Venezia

ヴェネツィアF.TE NOVEからTORCELLOまでの乗車券
F.TE NOVEの船着き場からトルチェッロ島に出発
娘と奥さんと僕はヴェネツィアのF.TE.NOVEの船着き場から、12番線の船に乗りトルチェッロ島に向かいます。Actv Veneziaはヴェネツィア市立交通機関でトルチェッロ島までの運賃は2,500リラ(1990年)当時日本円で400円ぐらい、小さな船で硬い木製ベンチ、お尻が痛くなります。途中ブラーノ島(Burano)に寄り約1時間でトルチェッロ島に到着。
トルチェッロ島

トルチェッロ島の屋台
トルチェッロ島は島と言いますが、陸地を干拓して造られた所です。10世紀頃から人が住み始め15世紀頃までは沢山の人が住んでいましたが、マラリアなどで急激に人口が減り、現在では数十人が暮らす寂しい所です。船着き場から歩いて5分程、運河に架かる石の橋を渡ると数件の屋台があります、屋台にはレース編みの品物が沢山並んでいました。すぐ隣がレース編みで有名なブラーノ島ですからここでも特産品。

2011年12月30日金曜日

パドヴァ、アレーナ庭園、Giardini dell'Arena,Padova

Giardini dell'Arena

アレーナ庭園の遊具
娘と奥さんと僕はガルバルティ通り(Corso Garibaldi)とジョット通り(Via Giotto)の交差点の東側、運河に架かるポポロ橋(Ponte del Popolo)手前にある、アレーナ庭園で子供用の遊具を見つけました、それは庭園のはじっこに隠れるようにありました。
娘はおお喜びで、いちもくさんに走りよると、すべり台や鉄棒、砂場にはロープで編んだ橋、どうぶつにスプリングが付いたゆらゆら動く乗り物、すべての遊具に次々に飛び乗ります。
肌寒い中、奥さんと僕はここを動こうとしない娘を眺めながら、「ここは北浦和公園みたいだね」。
アレーナ庭園には僕たち家族だけ、ここで遊ぶ子供は娘一人だけです。

2011年12月29日木曜日

パドヴァ、ラジョーネ宮殿、Palazzo della Ragione,Padova

Palazzo della Ragione
娘と奥さんと僕はPrato della Valleを出ると、ウンベルト通り(Via Umberto I )を北に歩き、そのままローマ通り(Via Roma)を北に直進してマニン通り(Via Daniele Manin)の交差点を左に曲がり、のんびり歩くこと30分ほどで、ラジョーネ宮殿(Palazzo della Ragione)に到着。
ラジョーネ宮殿をはさんで南側と北側に広場があります。南側にはエルベ広場(Piazza delle Erbe)、僕たち家族が訪れた1990年4月にはエルベ広場は改修工事中、北側にはフルッタ広場(Piazza della Frutta)があります。この二つの広場は毎日市場が開かれるのですが、今日はフルッタ広場の市場だけです。
市場は果物や野菜、木の実、それに洋服や衣類など小さな露店がいくつもありました。
ラジョーネ宮殿は13世紀に建設され、その後15世紀に火災にあい現在のように改築されました。宮殿の1階部分は沢山の店舗がひしめきあっています、特に肉屋やチーズ屋は数が多い、奥さんと僕は色々なチーズを見てまわり、今夜の酒のつまみを探します、これが楽しいのです。
ラジョーネ宮殿の最上部には巨大な広間があります、80×27m高さ40m、小学校の体育館みたい。天井は木造の小屋組が露出して、たくさんの鉄筋で引っ張っています、大きな船を逆さまにしたような天井で、その最高部は暗くてよく見えません。
広間の壁は、たくさんのフレスコ画で埋め尽くされています。僕たち家族がここを訪れた時に、この広間で建築のドローイング展が行われていました。娘も奥さんも建築なんぞ興味がありませんから、ちらりとのぞいて、娘は「おなかすいた」さて今日のお昼は何を食べましょう。

2011年12月19日月曜日

パドヴァ、プラート・デッラ・ヴァッレ、Prato della Valle,Padova

Prato della Valle

プラート・デッラ・ヴァッレ
娘と奥さんと僕は、サンタントニオ・ダ・パドヴァ聖堂から南に5分ほど歩いて、プラート・デッラ・ヴァッレ(Prato della Valle)と呼ばれる広場に着きました。ローマ時代の遺跡を取り壊し、18世紀に広場として整備されたそうです。楕円形の広場の中心に、数本の木がぽつりぽつりとあり、その隣に円い水盤の噴水がありました。
広場の周りに細い水路がぐるりとあり、水路に沿って大理石の彫像が立ち並んでいます。100体ぐらいでしょうか、彫像はパドヴァに縁のある人達でダンテさんやガリレオさんもいます。
月曜日の肌寒い日、広場は人影も少なくがらんとして、広場を囲むようにパラディオふうの邸宅が建ってるのも寂しげで、僕たち親子は早々にこの広場を後にしました。

2011年12月16日金曜日

パドヴァ、サンタントニオ・ダ・パドヴァ聖堂、Basilica di Sant'Antonio da Padova

サンタントニオ・ダ・パドヴァ聖堂
Basilica di Sant'Antonio da Padova


Basilica di Sant'Antonio da Padova
娘と奥さんと僕はサンタントニオ・ダ・パドヴァ聖堂(Basilica di Sant'Antonio da Padova)にやってきました。
この聖堂は13世紀に建てられた教会でパドヴァの聖アントニオさんと深いつながりがあります。
聖アントニオさんは12世紀のカトリック教会の聖人で、ポルトガルからパドヴァに移り住みフランシスコ会修道士として沢山の奇跡を行ったそうです。
聖堂はビザンチン建築ふうで正面から見ると、帽子をかぶったあかちゃんみたいな可愛い建物です。
聖堂前には屋台が2台お店を出しています。レース編のスカーフやハンカチ、お菓子や飲み物などを沢山乗せていました。

2011年12月14日水曜日

パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂、Cappella degli Scrovegni,Padova

スクロヴェーニ礼拝堂、入場券

スクロヴェーニ礼拝堂前の庭

スクロヴェーニ礼拝堂 Csppella degli Scrovegni
娘と奥さんと僕はスクロヴェーニ礼拝堂に着きました。
礼拝堂は当時(1990年)外装の改修工事が行われていました。ローマもそうですがとにかく年中どこかで改修工事をしています。大事に手入れをすれば何百年、もしかしたら何千年もつかえるのに新しい建物をどんどん壊しては建てるどこかの国とは違います。
スクロヴェーニ礼拝堂は14世紀にできた小さな礼拝堂です。
スクロヴェーニさんが高利貸しで儲けたお金で懺悔のために建てたものとか。
親子3人で礼拝堂の中へ、入場料は一人3,000リラ(1990年)。ジョットさんの画いた聖母マリアさまとキリストさんの生涯を画いた絵を見ました。礼拝堂の半円筒形の天井はあざやかな青で、星々の中にキリストが画かれています、そして壁いちめんに紙芝居みたいなフレスコ画が沢山ありました、キリストの生涯でしょうか。
ジョット・デイ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)さんは14世紀の画家で建築家。
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の鐘楼はジョットさんの作品です。
フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の鐘楼

2011年12月11日日曜日

パドヴァの地図、Mappa di Padova

パドヴァ観光案内

パドヴァの地図 mappa di Padova
今日は家族3人早起きしてヴェネツィアのサンタルチア駅から列車でパドヴァに向かいます。
ヴェネツィアから西へ50キロ、列車で35分ほどでパドヴァに到着。
パドヴァはどんよりした曇り空、少し肌寒い4月(1990年)の月曜日の午前10時。
駅前にある観光案内所で、パドヴァの地図をもらい街へ向かいます。
夕方にはヴェネツィアの宿に戻りますから宿探しはなし、のんびり散歩ができそうです。
ヴェネツィアに来て7日ほど経ちましたが、娘も奥さんも僕も「大地」が恋しくてパドヴァに着くなり、奥さんも僕も「大地だ、大地だ」と大喜び。こんなにも大地がいとおしく感じるとはありませんでした。
ヴェネツィアは小さな島ですからほんのわずかな公園しかありません、緑の深い大きな森もありません。
パドヴァはすでに古代ローマ時代から、宗教、文化、商業の中心都市だったそうです、紀元前1,000年からパドヴァの都市が栄えていたとか、ほんとかな。

2011年12月9日金曜日

ヴェネツィア、サンタ・マリア・デルラ・サルーテ教会、Sta.Maria della Salute,Venezia

Sta.Maria della Salute

Sta.Maria della Salute

Sta.Maria della Salute
娘と奥さんと僕は、サンタ・マリア・デルラ・サルーテ教会(Sta.Maria della Salute)にやって来ました。
教会はサン・マルコ広場前の大運河の南西に、細長く突き出た島の先端に建っていましす。17世紀のヴェネツィアの建築家ロンゲーナ(Baldassare Longhena)さんの作品です。
教会の内部は、8角形の平面で中央には直径20mほどのドームがあります、そのドームの外側には花びらのように玄関や祭室がある美しい教会です。
Sta.Maria della Salute

2011年12月6日火曜日

ヴェネツィア、ジュデッカ島、La Giudecca,Venezia

サン・ジョルジオ・マッジョーレ島からジュデッカ島を見る

La Giudecca,Venezia   ジュデッカ島

ジュデッカ島
娘と奥さんと僕は、サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会の鐘塔にのぼりジュデッカ島を眺めたあと、娘のベビーカーを押してジュデッカ島に上陸、サン・ジョルジオ・マッジョーレ島から目と鼻の先で、すごく近いのです。
港にはタグボートがなん隻か停泊していました。引退してしまったクイーン・エリザベス2のような大型客船がやって来た時に活躍するのでしょう。
ジュデッカ島は静かなところ、大勢の観光客でにぎわうサン・マルコ広場の息苦しさから解放されてのんびりできます。これから16世紀のパラディオさん作品、イル・レデントーレ教会に向かいます。
ゲーテはイタリアを旅して、パラディオさんの建築崇拝者になったようです。僕はそこまで惚れ込んでいませんが、ヴェネツィアやヴィツェンツアでパラディオさんの作品を沢山見ました。どの建物も美しく厳格、育ちの良い賢い老人のように静かにたたずんでいました。

2011年12月5日月曜日

ヴェネツィア、サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会、S.Giorgio Maggiore,Venezia

サン・ジョルジオ・マッジョーレ島に向かうヴァポレット

S.Giorgio Maggiore

娘と奥さんと僕は、サン・マルコ広場の船着き場から、ヴァポレットに乗りサン・ジョルジオ・マッジョーレ島に到着。サン・マルコ広場前の大運河をまたぐとすぐの所、細長くて小さな島の先端には、サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会(S.Giorgio Maggiore)が建っています。教会の前の狭い広場の岸辺には、船が行き交うたびに波しぶきがあがります。
広場の波打ち際で、のんびり釣りをするイタリア人のおじさんがいました。
僕たち親子は、サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会の鐘楼に上り、ヴェネツィア大運河を行き交う船を眺めます。大運河をはさんで、サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会と向き合うようにサンタ・マリア・デルラ・サルーテ教会のドームが見えます。サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会は16世紀のパラディオ(Andrea Palladio)さんの作品、ファサードは古典的な神殿のようで、屋根のペディメントには彫像がケーキの飾り付けのようについています。おなかがすいたのか、娘は機嫌が悪そう、BARでおやつでも食べましょう。
サン・ジョルジオ・マッジョーレ教会と対岸にサンタ・マリア・デルラ・サルーテ教会

サン・ジョルジオ・マッジョーレ島からサン・マルコ広場を見る
サン・マルコ広場からヴァポレット乗車券

2011年11月30日水曜日

ヴェネツィア、サンタ・ルチア駅の鉄道職員食堂、D.L.F Venezia Mensa S,Lucia

サンタルチア駅、鉄道職員食堂レシート
娘と奥さんと僕は、サンタ・ルチア駅の西側にある鉄道職員用の食堂に昼飯を食べるため、散歩をかねて宿から40分ほど歩いて行きました。運河に架かる沢山の橋を渡るたびに娘のベビーカーを二人でかついで渡ります、僕も奥さんもくたくた。
ヴェネツィアは観光地ですから宿代も物価も高いので、ここなら安くたらふくいただけます。
食堂には3回行きました。初日は食堂に入るなり、イタリア人の鉄道員のたくさんの好奇の目が僕たち親子に向けられます、奥さんと娘は少し恥ずかしそう。食堂は学食みたいな感じです、連続したテーブルとスチールの椅子が沢山並んでいます。僕たちはトレーの積んである山から2枚トレーを取り、料理や飲み物の並んだカウンターで順番待ちをしているおじさんの列に並びました。
今日は、パン、ジャガイモのサラダ、いんげんを煮たもの、牛肉のステーキ、トマトソースのパスタ、水、牛乳をいただきました。親切なイタリアのおじさんが、僕たち家族にセルフサービスのやりかたを手取り足取り教えてくれました、こちらが恐縮してしまいます。
レシートに書かれていたもの、こんな感じ。
1.Contatore Clienti(客の人数)
2,Contatore Primi 
3,Contatore Secondi
4,Primo Piatto(前菜、スープやパスタ)
5,Secondo Piatto(肉や魚料理)
6,Contorno(肉や魚の付け合わせ)
7,Pane(パン)
8,Vino 1/4(ワイン、ボトル1/4)
9,Vino 1/2(ワイン、ボトル1/2)
10,Bibita(ジュースやコーヒーなど)
11,Minerele da 1/4(水、ボトル1/4)
12,Minerele da 1/2(水、ボトル1/2)
13,Frutta(くだもの)
14,Formaggio(チーズ)
15,Pasto F,S
16,Bibita X F,S
17,Vari
18,Macedonia(フルーチポンチみたいなデザート)
19,Dolce(お菓子)
20,Addizionale F,S(追加注文)
21,Conv,Enel
22,Gruppo Convenz
23,Ricevuta fisc,a zero in att,fatt
24,Correzione
25,Storno
26,Totale ric,fisc(合計でしょうか)


2011年11月28日月曜日

ヴェネツィア、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会、Sta Maria dei Miracoli,Venezia

santa maria dei miracoli,Venezia
娘と奥さんが宿で昼寝中に僕は一人でサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ(Sta Maria dei Miracoli)教会を訪れました。
リアルト橋から東へ細い小道を左に右に、運河に架かる小さい橋をいくつか渡り、ぶらぶら歩くこと10分ほどで到着。
宝石箱みたいなこの教会は15世紀の初期ルネサンスの教会で、設計はロムバルドさん(Pietro Lombardo)。
半円筒形の屋根、側廊のない室内、大小さまざまな丸窓と色大理石で飾られた教会は東方的な可憐な少女のように美しい姿で運河の川岸にたたずんでいました。

サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会の西側
サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会の東側

2011年11月22日火曜日

ヴェネツィアン・グラス、Vetro di Murano

ヴェネツィアン・グラス
娘と奥さんと僕はサン・マルコ寺院の裏手にあるカノーニカ通り(Calle Canonica)の細い路地にあるガラス細工のお店を訪れました。
店先には仮面やネックレス、ペンダント、植物や動物、昆虫などのガラス細工がぎっしり並んでいます。
娘も奥さんも夢中でガラス細工をながめていました。

ヴェネツィアでガラス製造が盛んになるのは13世紀頃。ヴェネツィアン・グラスはイタリア語でVetro di Muranoと表現されるように、ほとんどのガラス工房はムラーノ島に集められています。
さだかではありませんが、ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を制作したのがムラーノ島のガラス職人達だとか。

海岸の砂浜の波打ち際に角が取れて小さくなったガラスの破片を見つける事があります。きれいだなとながめていて家に持って帰ると、なんだかその輝きをなくしたように感じます。
ヴェネツィアン・グラスはやはりここで眺めているのが良いでしょう。

2011年11月21日月曜日

ヴェネツィア、クエリーニ・スタンパーリア美術館、GALLERIA QVERINI STAMPALIA,Venezia

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 入場券、5,000リラ(1990年)
GALLERIA QVERINI STAMPALIA 入口の橋
娘と奥さんと僕は宿からのろのろ歩く事10分、クエリーニ・スタンパーリア美術館(GALLERIA QVERINI STAMPALIA)にやって来ました。
この建物は16世紀のジョバーニ・クエリーニ・スタンパーリア家の邸宅を美術館として一般の人々に開放しています。
サンタ・マリア・フォルモーザ教会(Santa Maria Formosa)裏の空き地みたいな小さな広場から運河を渡り美術館に入ります。
運河に架かる美しい橋、1階のインテリア、2階への階段、中庭などは、カルロ・スカルパさんが1961年から1963年に改修しています。
2階には居間や食堂、寝室がそのまま展示室になっています。18世紀ごろの造りでしょうか、スタッコ仕上げの天井と淡いピンクやうすい水色や黄色の壁がきれいです。その壁には部分的に木製パネルや大きな鏡がはめ込まれています。室内の家具も18世紀のものでしょうか、居間にはマイセンの大きな磁器が飾ってあったり、大理石の胸像や地球儀が置いてあります。
18世紀の画家ガブリエル・ベッラ(Gabriel Bella)やピエトロ・ロンギ(Pietro Longhi)の絵画が沢山あります。なんて贅沢なことでしょう、その上スカルパさんの中庭も素敵で、ここを僕たち家族がひとりじめ、幸せな一日でした。
GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭
GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭の池

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭の水路

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭の水路

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭

2011年11月20日日曜日

ヴェネツィアの宿_2,HOTEL RIVA,Venezia

HOTEL RIVA案内図
娘と奥さんと僕はヴェネツィアの宿を引っ越します。最初の宿のおかみさんの好意でなんとか3泊できましたが、後は予約で満席。2番目の宿は"HOTEL RIVA"このホテルはサン・マルコ広場から歩いて5分ほど、狭い運河のわきにある小さな宿です。
HOTEL RIVA
HOTEL RIVA住所(1990年)
その頃、宿は若い旦那さんと奥さん(たぶん)がきりもりしていました。
1階は玄関と小さな食堂があり、毎朝ここで朝食をいただきます。
2階から上に部屋があります、僕たち家族の部屋の窓の下は運河、この運河がゴンドラの観光コースになっていて、夜遅くまでゴンドラが行き来します。
ゴンドラの船頭さんが歌う「サンタ・ルチア」最初はいいのですが毎晩これを聞かされると、いささかうるさいのです。
狭い運河は声を良く反射して響きがいいのです、お風呂で歌うようなもの、歌う人は気持ちが良いでしょう。

2011年11月17日木曜日

ヴェネツィアのたそがれ、Crepuscolo a Venezia

Crepuscolo a Venezia
ヴェネツィアの小雨降る夕暮れ時、帰宅途中のおじさんたちが、なにやら立ち話に夢中。
娘と奥さんと僕は、ワインを買うため酒屋を捜して街中を散策しました。
イタリアに着いた頃は奥さんも僕も、もっぱらビールでしたが、ワインのほうがだんぜん安いのです。
僕達は小さな路地裏に酒屋を見つけ、さっそく店内に入りました。店は飾り気が無く倉庫みたいで、ワインの樽がいくつか無造作に置いてありました。ワインは量り売りで、安いものなら1リットル500リラ(1990年)日本円で100円ほどで、それでも美味しいワインです。
空き瓶を持参してびんにつめてもらい、ホテルに持ち帰ります。
娘も奥さんも僕も雨に濡れ身体が冷えました、バールに入り温かいカプチーノでも飲みましょう。

2011年11月16日水曜日

ヴェネツィア、ため息橋、Ponte dei Sospiri,Venezia

Ponte dei Sospiri,ため息橋
娘と奥さんと僕は、ドゥカーレ宮殿の牢獄を見て歩きました。宮殿から牢獄に行くには、運河に架かる、ため息橋を渡っていくのです。きらびやかな宮殿から橋を渡ると、そこには薄暗い尋問室と牢獄がありました。ため息橋は16世紀に造られた白大理石の小さな美しい橋、ほんとかどうか知りませんが、囚人が牢獄に送られる時、この橋の窓から最後のしゃばの景色を見て、ため息をついたとか。僕はこの橋が神社の鳥居のように思えるのです、ヴェネツィアの結界をあらわすもので、悪霊退散、ここは鬼門なのです。
ため息橋のある運河
地元の人達が言います。日没の時に、恋人たちがゴンドラに乗り、ため息橋の真下でキスをすると、永遠の愛が約束される。奥さんも僕も口を合わせて「うそだー」。この橋の下を行くゴンドラは観光コースになっていて、毎日沢山のお客さんを乗せたゴンドラが行き交います、もちろん奥さんも僕も高額なゴンドラに乗る気はありません。