2011年4月29日金曜日

シエナ、カンポ広場 Piazza Il Campo, Siena

Piazza Il Campo, Siena
Piazza Il Campo, Siena
娘と奥さんと僕はシエナの宿から15分ほど歩いてカンポ広場に着きました。
シエナの道はどこも坂道で勾配がきつく、道のほとんどが階段という難所がありますから、人力ベビーカーには大きな負荷がかかります、ああしんど。
道すがら、スーパーマーケットのMINUCCI Franciscoにて、パン、ハム、コロッケ、アイスクリーム、オレンジジュース、ミルク、ミネラルウォーターを買いました。
今日のお昼ご飯はカンポ広場でいただきます。
3月最後の週、天気のよい穏やかな木曜日、沢山の若者が広場に集まっています。
皆んな気に入った場所にあぐらをかいてひなたぼっこ。
娘と奥さんと僕は目の前の食べ物に夢中、一息つくまではカンポ広場だろうが、さいたまの北浦和公園だろうが同じ、まずは腹ごしらえが大事。
カンポ広場が素敵なのは、地面がたいらでない事、幾何学的な円形でなくシンメトリーでないこと、よけいなものがないこと、いつここに来ても飽きる事がありませんでした。

2011年4月26日火曜日

シエナの宿_2 Hotel Alma Domus_Casa Del Pellegrino_due, Siena

Casa Del Pellegrino,Siena
娘と奥さんと僕は今晩の夕食を宿でとる事にしました。
シエナの素敵な夜景は部屋の中にいる僕たち家族だけのもの、月とシエナ大聖堂が夜空に浮き上がります、本当に贅沢だな。
あれほど奥さんと僕はビール、ビールと連呼していましたが、今夜はワインを買いました。もちろん昼は沢山歩きますので、乾いたのどにはビールが正解。
ワイン CHIANTI CLASSICO
ワインはシエナの酒屋さん L'ARANCETOで6,000リラ(1990年)で購入、当時日本円で約1,000円。生ハムは総菜屋さんGIUGGIA MARIOで4,300リラちょっと高いけどたまには良いでしょう。
パンとサラダと娘のジュースとチョコレートはシエナのスーパーマーケットのMINUCCI Francascoで買いました。全部で7,640リラです、近所のトラットリアでの食事より豪勢です。

2011年4月16日土曜日

シエナの宿_1 Hotel Alma Domus_Casa Del Pellegrino_uno, Siena

Hotel Alma Domus_Casa Del Pellegrino, Siena
Hotel Alma Domus_Casa Del Pellegrino, Siena
娘と奥さんと僕がシエナで泊まったのは"Casa Del Pellegrino"素敵な宿です。
宿の場所は、カンポ広場から北にのびる通りVia di Cittaにでて北上し、Via della Galluzza通りをそのまま北に向かうとVia Santa Caterinaの交差点にでます。そのまま直進するとこんどはVia della Sapienzaに突き当たる、ここを左に折れて100m程歩くと交差点に出ます。そこを左に折れて緩やかに坂道を下るとVia Camporegio通りにつながります。この通りはほとんど階段で車は入る事ができません、通りの坂道を少し下ると宿に着きます、こんな説明ではわかりませんね。
僕もわからないので何度も地元の人に道を尋ねました、親切な皆さんのおかげでなんとか宿にたどり着きました。
宿で僕たち家族を出迎えてくれたのは修道服姿のシスターです。
宿の近くで娘はベビーカーの金具で少し足を切り血が出てしまい、痛そうに足を引きずっていました。奥さんは娘の足の傷口をハンカチで押さえ、なんとか宿に到着。
娘の足を見たシスターはすぐに止血用のばんそうこうと塗り薬を持って来て、娘の足を手当してくれました。
この宿が素晴らしいのは、部屋の窓からシエナ大聖堂が一望できるのです。なんと贅沢なことか、日が暮れて夜になると、シエナ大聖堂が暗闇の中からぼんやりした明かりで照らし出され、それは妖艶で奇麗な教会が夜空に姿を現すのです。
宿の部屋からシエナ大聖堂が見える

2011年4月13日水曜日

シエナへ  Get a Siena

Fonti Di Fontebranda, Siena
Via di Fontebranda,Siena
娘と奥さんと僕はフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から、列車に乗る事1時間50分、シエナ駅に着きました。
シエナ駅からバスで約15分マッテオッティ広場で下車、ここからカンポ広場まで歩きます。カンポ広場のわきに旅行案内所があり、そこでシエナの地図と宿の案内図をもらうためです。
日本から持ち込んだ安物のベビーカーは、1ヶ月に及ぶ激しい石畳み走行により、かなりいたみがひどくなりました。左前輪下部の金具に亀裂が生じ今にも壊れそう、布製のテープで応急処置、これでしばらくもってくれると良いのですが、このベビーカーの強度で3歳半の娘は重量オーバーなのでしょう。

2011年4月9日土曜日

フィレンツェ,ロレンツォ・メディチ図書館 Biblioteca Medicea Laurenziana,Firenze

Biblioteca Medicea Laurenziana,
図書館階段室の丸窓
サン・ロレンツォ教会にはメディチ家の蔵書館が内蔵されています。
16世紀のミケランジェロさんの作品です、図書館入り口の広間には有名な大階段があります。段差をかえた大小の階段はその後多くの建築家がまねています、僕も一度にたような階段を造りましたので他人の悪口はいいません。
階段の前でミケランジェロさんに心からお礼申し上げ、今までの罪を償いました。
ロレンツォ・メディチ図書館の階段室にはどこかで見た事のある丸窓がぽっかりあいています。
娘はこの窓でかくれんぼをして楽しみました、この丸窓は茶室の窓のようで、ここに障子をはめ込んだら風情がでるなーと感心していました。なんだミケランジェロさんもうつしていたのか、少し気持ちが楽になりました。

2011年4月8日金曜日

Kinder FERRERO,卵のチョコレート Cioccolato italiano

卵のチョコレート
キンダーの卵チョコレートは娘の大好きなお菓子です。
チョコレートは1個800リラ(1990年)当時日本円で約130円、フィレンツェ、その後シエナ、ローマ、ヴェネチア、パトバ、ヴィツェンツァ、ヴェローナとこのチョコレートをこりもせず30個以上買う事になります。
僕はもちろんチョコレートにめがないのですが、これは異常。
一時期キンダーの卵チョコレートは日本でも販売されて人気になるのですが、今ではその姿を見る事はできません。
キンダーのチョコレートは割とおいしいと思いますが、やはり僕は明治の板チョコの勝ちだと思います。
キンダーの卵チョコレートを買い続けたのは、卵の中にあるおまけが楽しいのです、卵の中から何が出てくるかわかりません。その種類も豊富で32個中同じ物は3種類だけでした。2㎝程のプラモデルとその組立図が入っています、弾み車で動く車もありました、車のほかにバイクやボート、人形、動物シリーズもおもしろい。どのおまけも作る楽しみがあり、娘と競争させたり、人形で寸劇したり、かなり遊べます。
卵チョコレート組み立てず
弾み車で動く車

卵チョコレート組み立てず、消防車

卵チョコレート、ボート
卵チョコレート、モトクロスオートバイ

2011年4月4日月曜日

フィレンツェ,サンタ・クローチェ教会 Santa Croce, Firenze

Santa Croce, Piazza di Santa Croce, Firenze
サンタクローチェ教会堂は13世紀から15世紀に建てられた、フランチェスコ会最大の教会堂です。
教会前にはサンタクローチェ広場があります。その広場には自転車に乗る一人の少年がいました。僕はこの情景がジョルジョ・デ・キリコの絵にそっくりに見えました。
キリコの絵の中にでてくる車輪回しの女の子が自転車の男の子に変わり、強い遠近法が無くなりはしたものの、これはキリコだと思いました。
フランチェスコ会とは12世紀にイタリアの裕福な商人の長男として生まれたフランチェスコが、25歳の時隣国の戦いで捕虜となり。その後、キリストと貧しい人々への愛にめざまされ、生涯、教会の再建を使命とし奉仕と労働の托鉢生活を始めた人。
やがてフランチェスコ会を組織し、修道院を設立した人だそうです。

2011年4月3日日曜日

フィレンツェの食堂 LA MANGIATOIA,Firenze

TRATTORIA PIZZERIA ROSTICCERIA LA MANGIATOIA
LA MANGIATOIAはピッティ宮殿前のロマーナ通りにある食堂というよりレストラン。
娘と奥さんと僕は散歩の途中に、娘の「おなかがすいた」で店内に。
貧相な僕たちはレストランテなど敷居が高いところには行きません。
もちろんトラットリアもピンキリで高級な所もありあぶないのですが。

ラ・マンジャトーリァ(LA MANGIATOIA)の店内にはランチを楽しむ裕福そうな奥様達が会話に夢中、そのわきを僕たち親子はしのびあしで奥のテーブルに。

奥さんと僕はビール、娘はオレンジジュース、そしてズッパ・ミネストローネ、ひき肉と卵のスパゲェティを注文、なんとこれだけ。
食堂ではどこもCOPERTOという席料があり、この店は1人が1,500リラ(1990年)、さすがに3歳半の娘は取りませんが。
奥さんと僕はなんといってもビール、イタリアといえどもワインなんぞ目もくれず椅子に座ればビールを連発。ビールの値段は一杯2,000リラで当時日本円で300円ほど、オレンジジュースも同じ値段です。
Primi という主格料理とSeconda という副食料理をたのむのがふつうらしいのですが。
店員さんが注文を聞く時は決まって「プライムは何にしますか、セコンダは何」ところが僕たち家族は決まってセコンダのみ、その上娘用に小皿を要求。
肉料理や魚料理のプライム級は絶対たのみません。

2011年4月2日土曜日

フィレンツェの洗濯石けん Sapone di lavanderia italiano

イタリアの洗濯石けん
フィレンツェのスーパーマーケットは小さな雑貨屋さん。
お店の間口も狭く店内は薄暗い。店内には沢山の商品があり、分類されているようでかなりいいかげん、僕はただ品物を見ているだけで楽しいので、へんにこぎれいに整理整頓された店内より、混沌とした物の中から変わり者を見つけ出す事が無上の喜び。
3歳半の娘は牛乳が大好き、「のどがかわいた」で早速スーパーマーケットに入る、牧場でのんびり草を食べている牛が描かれた紙パックを見つけ迷わず購入。
娘に飲ませる前に僕が飲んでみる。これは牛乳でなく白ワイン、よく見れば紙パックには小さい文字でVino Bianco なぜ白ワインのパッケージが牛なのか、それもホルスタイン牛に見える、あぶないではないか、ストローで200mlを飲み干しかなり酔いが回った。
パリからバルセロナ、ここフィレンツェに来て約一ヶ月が過ぎようとしている、安宿暮らしもなれてきたが、毎日の洗濯は奥さんに任せっきり。
洗濯石けんがきれたのでスーパーマーケットに買い出しに。
イタリア語はわからないので、もちろん辞書などひくきもないので商品のラベルの感じで購入。洗濯石けんは2,000リラ(1990年)日本円で約300円ほど洗濯石けんだけにかなり大きい、それにしてもDURA IL DOPPIO とはなんだ。