2012年2月28日火曜日

ヴェローナ、ジュリエットの家,Casa di Giulietta,Verona

ジュリエットの家,Casa di Giulietta
娘と奥さんと僕はジュリエットの家にやっと到着。ジュリエットの家は、わかりずらいところにあります、僕たち家族はエルベ広場のまわりをうろうろ。親切な地元のおじさんが場所を教えてくれなければ、行き着くことはできなかったでしょう。ジュリエットの家はエルベ広場(Piazza Erbe)から南にのびるカッペロ通り(Via Cappello)の中程にあります。ジュリエットの家の狭いアーチ型の入口に大理石で作られた帽子の紋章があります、Cappelloはイタリア語で帽子を意味します。僕は紋章の起源を知りませんが、紋章といえば、中世の騎士の盾に画かれた獅子を思い出すのです、2頭の獅子が後ろ足で立ち、向き合っている図柄です。帽子の紋章では、ちょっと騎士の盾には迫力が無いようですが。
ジュリエットの家は13世紀に建てられた、ゴシック様式の建物です。中庭に面して、2階にはかわいらしい小さなバルコニーがあります、あのバルコニーです。バルコニーに上るには入場料の4,000リラ(1990年)が必要と聞いて、僕たち家族は逃げるように、観光客で混み合ったジュリエットの家を後にするのでした。

2012年2月27日月曜日

Softi chew Candy-pate a macher

Softi chew Candy
Softi chew Candy、娘がパリのパン屋さんで買ったガム。
パン屋さんの場所は、カルチエ・ラタンのサン・ミッシェル道りから少し路地に入った所。
当時(1990年)ガム3個で1フランと30円ほどで、子供達にも買いやすい人気のガムです。
ガムを作っているのは、ドイツのHITSCHLER社。
ガムの包み紙にはこんな表示が、Softi chew Candy-pate a macher   hitschler International  Kinder-Kaubonbon  Hitschler International GmbH,koin,W-Germany BRD
1990年当時は西ドイツです。ガムの右端にはアラビア語でしょうか、なにやら書いてありますが、僕には分かりません。パリには中近東やアフリカの人達がたくさん住んでいますから。

2012年2月23日木曜日

BROOKLYN CHEWING GUM,MILANO

BROOKLYN CHEWING GUM
このガムは娘がヴェローナのBARで買ったもの。ガムは包み紙の色と同じオレンジ味で、当時700リラ(1990年)100円ほどです。れっきとしたイタリア製のガム、S.P.A.LAINATE(Milano)と書いてあります。ニューヨークのブルックリン橋にちなんで名付けたのでしょうが、僕には理由が分かりません。1950年頃、イタリアではじめてチューインガムを作ったのがこのBROOKLYNで、ミラノが発祥の地です。
イタリアではガムと言えばブルックリンなのでしょう。ガムには環境を守るエコ宣言、RISPETTA L'AMBIENTEと書いてあります。

2012年2月22日水曜日

ヴェローナ、インディペンテンツァ広場 Piazza Indipendenza,Verona

インディペンテンツァ広場(Piazza Indipendenza)
娘と奥さんと僕は、インディペンテンツァ広場(Piazza Indipendenza)でのんびりすることにしました。広場で娘はブランコを見つけるとすぐにかけより、うれしそうに飛び乗ります。広場で遊ぶ子供は娘だけ、みんな学校でしょうか。娘にとってはほかの子供達がいないほうが良いのです、娘は誰かに声をかけられては、逃げ回っていましたから。インディペンテンツァ広場は、ニッツァ通り(Via Nizza)からアディジェ川(Fiume Adige)に架かるヌオーヴォ・デル・ポポロ橋(Ponte Nuovo del Popolo)の手前にある、静かな広場です。

2012年2月17日金曜日

pizzeria corte farina,Verona

ヴェローナ、ピザリア pizzeria corte fafina
娘と奥さんと僕は夕食をピザ屋でとる事にしました。イタリアの夕食は遅くて、食堂が開くのは早くても夜7時、娘は早く寝ますから開店と同時に店内に駆け込み、急いで注文、のんびり食べている暇はありません。pizzeria corte farina は1990年当時庶民的なお店で、地元のおじさんや家族で気軽に立ち寄れるピザ屋でした。娘は少しアレルギー体質ですが、これまでピザを何度も食べてアレルギーが出たことがありません。ところが娘がピザを食べはじめて10分ほどで、娘の唇がはれて、すぐに右目のまわりがはれあがりだします。会計を済まて店を飛び出し、奥さんと僕は娘を抱きかかえて宿の戻り、娘に薬を飲ませました。さいわい娘に薬を飲ませると、しばらくしてはれがひきはじめ、奥さんと僕は安心したのです。その夜は奥さんも僕もお腹がすいて、なかなか眠れませんでした。

2012年2月16日木曜日

ヴェローナ、ボルサリ門 Pora dei Borsari,Verona

Pora dei Borsari ボルサリ門正面
Pora dei Borsari ボルサリ門裏側

娘と奥さんと僕はボルサリ通り(Corso Porta Borsari)入口にあるボルサリ門(Pora dei Borsari)で一休み。古代ローマ時代、この場所はヴェローナの北側の玄関口でこの場所に税関が置かれていたようです。当時の税関役人ブルサリー(Bursarii)さんの名前がこの門についたとか、ほんとかな。ボルサリ門は紀元前1世紀ごろの建造物。2つのアーチの上に6個の窓が2段に重なる美しい門です。
Via Leoni,Verona
ヴェローナのレオーニ通り(Via Leoni)には古代ローマ時代の遺跡がぼそりと建っています。その上レオーニ通りの道路脇には手すりに囲まれた穴が開いています。何だろうと中を覗き込むと穴の中に古代ローマの遺跡が発掘された状態でゴロンとあります。
遺跡の隣には洋服屋があったりBARがあったりで遺跡の貴重度が低い、なんだか草津温泉の湯畑源泉を見たような感じ。ヴェローナの街中どこを掘り返しても遺跡は出て来るので、そっと日夜街中の地下で気づかれず発掘調査は行われているのです。

2012年2月10日金曜日

Verona,MY,LLEU,UGLY,E

ヴェローナの食堂(my,lleu,ugly,e)
1990年4月14日(土)娘と奥さんと僕がお昼に入った食堂は、カステルヴェッキオから西に歩いて5分ほどの、カヴール通り(Corso Cavour)に面したトラットリアです。
僕はこの店名が読めませんが、安くて美味しい食堂です。観光地のツーリスト・メニューは、だいたい美味しくないのですが、ここは違いました。
料理は最初に、野菜のスープ、次にスパゲッティ・ポモドーロ、そしてミラノ風カツレツ、次にオムレツ、サラダ、フライドポテト、奥さんと僕は赤ワインボトル1/2、むすめは水ボトル1/4。食べ過ぎます、残してなるものかと、食べきりましたが、奥さんも僕も動けません。
その上、店のウェイターさんが美しいイタリア青年で、親切で丁寧、彼から娘はチョコレートを2つもらって大喜び。
奥さんも彼を「優しくて素敵な人ね」とアドレナリンが噴出したようで、「また来ましょうね」。あれから20年以上が過ぎまだ行っていませんが、現在このお店はあるのでしょうか。

2012年2月8日水曜日

ヴェローナ、ガーヴィ門,Arco dei Gavi,Verona

ガーヴィ門(Arco dei Gavi)

ガーヴィ門のある広場
4月中頃の少し寒い日、僕たち家族はカブール通り(Corso Cavour)を散歩の途中、通りからアディジェ川(Fiume Adige)よりにあるガーヴィ門(Arco dei Gavi)の立つ小さな広場にたちよます。
カブール通りのBARで1個700リラ(1990年)当時110円ほどのチョコレートアイスクリームを3個買い、広場のベンチでいただきます。
いつもおきまりのチョコレートアイスクリーム、何度たべても美味しいのです。
毎日沢山歩きますから、のども乾くし甘いもの欲しくなる、そこでアイスクリーム。
ガーヴィ門は紀元前1世紀頃のローマ時代の建造物です。
広場にぽつんとある門には道がつながっていないません。最初から門はここに立っていませんでした。1805年まで広場の隣に建つカステルヴェッキオの時計塔脇にカブール通りをまたいで立っていたものが、1932年にこの広場に移設されたのだそうです。

2012年2月6日月曜日

ヴェローナ、スカリジェロ橋,Ponte Scaligero,Verona

Ponte Scaligero

スカリジェロ橋の物見台
娘と奥さんと僕はアディジェ川(Fiume Adige)のほとりに建つ中世の城カステルヴェッキオ(Castelvecchio)を出ると、城からアディジェ川へとのびるスカリジェロ橋(Ponta Scaligero)を渡ります。
橋は城塞のような造りで、橋の両側には4mほどの高い壁があるのです。
橋のなかほどには監視用でしょうか、両側に物見台があります。
物見台にあがるにはレンガでできた勾配のきつい階段をのぼるのですが、娘はこの階段が気に入り何度も上ったり下りたり。
せまくて急な階段ですから上り下りも一苦労、奥さんも僕も「足がつる」。
スカリジェロ橋はカステルヴェッキオと同じ頃、14世紀に建造されます。
その後、第2次世界大戦で破壊され、現在の橋は戦後に修復されたそうです。
アディジェ川(Fiume Adige)とスカリジェロ橋(Ponta Scaligero)

2012年2月4日土曜日

FRUIT JOY

ヴェローナのグミ
娘が食べたグミ、ヴェローナのマッジョーニ通り(Via Mazzini)のBARで1,000リラ(1990年)当時160円ほどで購入。このグミは5種類の味があり、黄色はレモン味、緑はライム味、赤はイチゴ味、紫はカシス味、オレンジはオレンジ味。イタリア製でなく、イギリスのマッキントッシュ(Rowntree Mackintosh)、マッキントッシュのお菓子といえば、キットカット、娘の好きなお菓子です。娘はこのグミを「おいしい」とぺろりと食べてしまいました。
マッキントッシュは1988年にはネスレ(Nestle)に買収されていますので、発売元はネスレ。
http://www.buonalavita.it/nestle/main/prodotti/fruitjoy/prodotti/default.aspx イタリアのフルーツ・ジョイホームページ

2012年2月3日金曜日

ヴェローナ、カステルヴェッキオ美術館、MUSEO CASTEL VECCHIO,Verona

カステルヴェッキオ美術館、入場券
カステルヴェッキオ美術館の前庭
娘と奥さんと僕の今日の目的地はカステルヴェッキオ美術館。

宿を出てカッペッロ通り(Via Cappello)を北に歩き、市場でにぎわうエルベ広場(Piazza delle Erbe)を横目で見ながら通りすぎ、ポルタ・ボルサリ大通り(Corso Porta Borsari)までくると、そこからポルタ・ボルサリ大通りの交差点を左に折れて西に向かいます。
道なりに歩けば、カステルヴェッキオ美術館が建つカヴール大通り(Corso Cavour) 。

カヴール大通りはアディジェ川(FIUME ADIGE)とならんでいるので、歩いているとレンガ造りの家と家のあいだから川面がのぞく素敵な道なのです。
アディジェ川がゆるやかにU字形に曲がる川岸にカステルヴェッキオ美術館が見えてきます。
カステルヴェッキオ美術館内部

娘は美術品など興味がありませんから、いつも美術館は退屈な場所。
奥さんと僕がかわりばんこに娘と遊んでは、そのすきに僕と奥さんは交代で絵画などを見て回るのが僕たちの鑑賞スタイル。

カステルヴェッキオ美術館の屋根

カステルヴェッキオ美術館の渡り廊下

カステルヴェッキオ美術館からアディジェ川が見える、娘は大喜び
カステルヴェッキオは14世紀にカングランデ2世が建てた城、後にヴェローナの領主スカラ家の居城となる。
廃墟だった城を、1964年に建築家のカルロ・スカルパさんが美術館として復興しました。

2012年2月2日木曜日

ヴェローナのイースター・エッグ、uovo di Pasqua , Verona

イースター・エッグ(uovo di pasqua)の飾り、男の子用
3月下旬から4月中頃まで、ヴェローナの街中には、あちらこちらの店先で色とりどりに飾られたイースター・エッグ(uovo di pasqua)が並びます。僕たち家族は高さ20cm以上の大きなイースター・エッグを買いました。チョコレートのたまごの中には、かわいらしいお菓子が入っています。 Mottaは、イタリアで古くからお菓子を製造する老舗の製菓会社。娘が選んだイースター・エッグはあでやかな包み紙で包まれ、真ん中にヒコーキの絵のラベルが貼られています、これは男の子用でしょう。ヒコーキにbimboと書かれていて、これは「子供」のことですが、発音が「ビンボ」と聞こえます、僕たち貧相ですから、ひとつひっかかります。それに、このイースター・エッグは1個が7,500リラ(1990年)当時日本円で1,200円と高いのです。
イースター・エッグ(uovo di pasqua)の飾り、女の子用
ヴェローナでの僕たち家族の宿「Locanda Catullo」は、おかみさんとおやじさん、それに息子さんと娘さんが家族できりもりしています。おかみさんをはじめ皆優しい人達で、高校生ぐらいの娘さんが僕の娘にイースター・エッグをプレゼントしてくれました。娘は2個目のチョコレートに大喜び、しばらく大事に抱えて離しませんでした。
ヴェローナでもらったイースター・エッグ(uovo di pasqua)

2012年2月1日水曜日

アリーナ・ディ・ヴェローナ、Arena di Verona

ブラ広場(Piazza Bra)
娘と奥さんと僕は、宿を出ると、北に向かう路地ヴィーコロ・ステッラ(Vicolo Stalle)を歩いて行きます、すぐにステッラ通り(Via Stella)と交差する十字路に出ます、この交差点を左に折れ西に向かうと、そのままアンフィチアート通り(Via Anfiteatro )につながります、この通りをさらに西に少し歩けば、正面にアリーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di Verona)が現れます。
アリーナ・ディ・ヴェローナ
アリーナの入場券
アリーナ・ディ・ヴェローナは2,000年程前の古代ローマ時代に、屋外闘技場として建設されたものです。今でも毎年、夏に開催される屋外オペラの劇場に使われ、沢山の人々が集まり、大切に使われています。
アリーナの入場料は1人4,000リラ(1990年)娘はもちろんただです。僕たち家族がここを訪れた4月中頃には、アリーナには木造の舞台や階段状の客席が設置してあり、照明や音響用のスチールパイプなどがあり、今にもオペラが開演しそうな雰囲気。
娘はアリーナの階段を上っては下り、下りては上る。これが楽しくて何度もあっちに行ったりこちらに来たり、そんなに動いたら歩けなくなるよ。