2012年1月30日月曜日

ヴェローナのバス、Bus di Verona

ヴェローナ、バスの切符
ヴェローナの中世都市は広くありませんから、娘と奥さんと僕はもっぱら歩いて移動します。市内でバスに乗ることはほとんどありません。
ヴェローナは市営バスが走っています。バスは1時間までならどこまでも乗れる乗車券が、1人800リラ(1990年)当時日本円で130円ぐらい。
AMTはAZIENDA MUNICIPALIZZATA TRASPORTI VERONAでヴェローナ市営バスの略称。
その上には I danni alle cose pubbliche sono sempre pagati dai cittadini と書かれています。
僕には意味は分かりませんが、「市営バスなのに料金をいただいて、助かります」みたいなことでしょうか。数年前までは、公共の交通機関を使う高齢者は無料だったのに、今ではお金を取る、なぜでしょう。

2012年1月27日金曜日

ヴェローナ、エルベ広場,Piazza delle Erbe Verona

エルベ広場(Piazza delle Erbe)
娘と奥さんと僕は、宿からカッペッロ通り(Via Cappelo)を北に歩き、3分ほどでエルベ広場(Piazza delle Erbe)に突き当たりました。広場は菱形を南北に伸ばしたような形をしていて、北の端と南の端には、灯籠みたいな石柱が置かれています。
この広場には市場がたち、いつも沢山の人々が行き交います。所狭しと小さな露店があり、大きな傘のしたには、食料品や雑貨などが並んでいます。市場ぞいに、BARが何軒も軒を連ねていて、その店先にテーブルと椅子が置かれています。僕たち親子はここで青空と市場を眺めながら、ゆっくりカフェラテを飲むことにします。

2012年1月19日木曜日

Galak BUTTONS

Galak BUTTONS
Galak BUTTONSはホワイトチョコレート。形はマーブルチョコみたいですが、マーブルチョコよりひとまわり大きく全体がまっ白。
娘がヴェローナのBARで見つけ「これ、かって」。ということで1個2,500リラ(1990年)で買ったもの。
ギャラック(Galak)はヨーロッパのホワイトチョコレートの老舗メーカーで発売元はネスレ。
チョコレートのパッケージには白イルカと女の子が海で遊んでいる様子が描かれている。このイルカは1970年代から1980年代のヨーロッパの子供達に大人気のアニメ「イルカと少年」の主人公の白イルカ。
1970年なかばにフランスでテレビアニメ化された「イルカと少年」が放映され人気となり、その後イタリアでも放送され子供たちに爆発的な人気だったとか。
日本とフランスの合作アニメで、主人公の少年と白イルカ、そこに少女が加わり冒険をくりひろげる物語らしい。

2012年1月18日水曜日

ヴェローナの宿 Locanda Catullo,Verona

Locanda Catullo,Verona
娘と奥さんと僕は、ヴェローナ駅のコインロッカーに荷物を預け、バスに乗り街へ向かいます。屋外闘技場アリーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di Verona)前のブラ広場(Piazza Bra)で下車。ブラ広場の観光案内所に行きますがシャッターが閉まりお休み、しかたなく近くのタバコ屋さんで地図を買い、宿探しをはじめました。
ヴェローナにはカトリック国際教会が運営する宿があります。宿のインターホンを押して、僕は「今夜親子3人泊めて下さい」。教会のシスターでしょうか、彼女は「残念ですが、女性だけしか泊められません」。その後何件か断られ、娘も奥さんもくたくた。
ありがたいことに、ロカンダ・カトゥッロ(Locanda Catullo)のおかみさんは、僕たち親子を笑顔で歓迎してくれました。おかみさんが用意してくれた部屋は、3台の大きなベット、4人がけのダイニングテーブル、鏡の付いたクローゼット、広くてきれいな良い部屋でした。
トイレとお風呂は共用ですが、宿代は一泊、39,000リラ(1990年)安い、ヴェネツィアで同じような宿が79,000リラですから、半額です、ありがたい、ありがたい。

2012年1月17日火曜日

ヴェローナの地図、Mappa di Verona

ヴェローナの街並(Verona)
ヴェローナの地図
娘と奥さんと僕は、ヴェローナ駅前の4月25日広場(Piazza 25 Aprile)からバスに乗り、街の中心部にあるアリーナ・ディ・ヴェローナに向かいます。駅前を発車したバスは、ポルタ・ヌォーヴァ広場(Piazza di Nuova)の記念碑的な門をぐるりと左に曲がり、ポルタ・ヌォーヴァ大通り(Corso Porta Nuova)を北に直進、5分程走ると、斜め右前方にアリーナ・ディ・ヴェローナが見えてきます。アリーナ前のブラ広場(Piazza Bra)の停留所で僕たち家族はバスを降り、ブラ広場の観光案内所を探します。観光案内所に着くと、そこはシャッターが閉まり今日はお休み、しかたなく近くのタバコ屋さんでヴェローナの地図を買いました。

2012年1月13日金曜日

ヴェネツィアからヴェローナ、Da Venezia a Verona

ヴェローナ駅、Stazione Porta Nuova
娘と奥さんと僕はヴェネツィアのサンタ・ルチア駅(Santa Lucia)午前10時8分発の準急列車に乗り込み、ヴェローナに向かいます。
ヴェローナはヴェネツィアから西へ約120km、列車に乗ること2時間ちょとでヴェローナ駅(Porta Nuova)に到着。
ヴェローナ駅で列車を降りると、いも虫みたいな列車が停車しています。1930年ごろの列車でしょうか、きもち流線型でしぶい色合いです。
宮崎駿さんの「紅の豚」にでてきそうな列車です、やぶんミラノから来たのでしょう。

2012年1月12日木曜日

ヴェネツィア、セスティエーレ・カステッロ,Sestiere Castello ,Venezia

Sestiere Castello,Venezia
娘と奥さんと僕はヴェネツィアの東のはじ、カステッロ地区に散歩に出かけました。
ヴェネツィアは空から見ると魚のかたち、そのしっぽにあたるところがカステッロ地区です。Sestiere Castelloはヴェネツィアでは通称「魚のしっぽ」と呼ばれています。
カステッロ地区の公園
 カステッロには緑豊かな公園があります。ヴェネツィアに来てたった10日、水の都ですからまとまった地面がありません。どろが恋しいのです、土砂と木立がこんなにも愛しいとは。
僕たち家族はこの公園で一日のんびり過ごします。公園内には地元の子供連れのおかあさんと老夫婦が散歩に来ています。観光客らしきは僕たちだけ、とても静かなところです。
それに今日は春の暖かな天気でひなたぼっこに最適。
ここは公園の緑と、きらめく海が両方いっぺんに楽しめる良い所です。
セスティエーレ・カステッロ

2012年1月9日月曜日

キンダー・チョコレート、Kinder cereali

Kinderのチョコレート
娘と奥さんと僕のポケットのなかにはキンダーのチョコレート。毎日たくさん歩きますから水とこれは必需品。
キンダーチョコレートはBARなどで1個400リラ(1990年)日本円で70円程、やすくてうまい。
キンダーのたまごチョコレートもたくさん食べましたが、中におもちゃが入っているので娘が独占。

1990年6月8日から7月8日の期間、イタリアでサッカーのワールドカップが開催されました。そのためキンダーチョコレートにはワールドカップの景品が当たるキャンペーン用のポイントが印刷されています。
1990年イタリア大会は西ドイツの優勝、監督はフランツ・ベッケンバウアーさん。
Kinderはフェレロ社(FERRERO SpA)のチョコレート。フェレロ社は1946年にイタリアの北西部のピート・トリネーゼでピエトロ・フェレロさんが創ったチョコレート会社が発展したものです。
ピート・トリネーゼはスイス、フランスに隣接しています。スイスやフランスのスイス国境近くには沢山のチョコレート製造会社があるのはなぜでしょう。
http://www.kindercereali.it/prodotto/ イタリアのキンダーホームページ
http://www.ilovekinder.com/es/index.cfm スペインのキンダーホームページ
http://www.ilovekinder.com/es/sorpresa  スペインのキンダーテレビCMが見れます、スペインのキンダーのホームページはかわいらしく、楽しいものです。

2012年1月8日日曜日

トルチェッロ島の公衆トイレ,Toilette di Torcello

トルチェッロ島の公衆トイレ、200リラ(1990年)
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂前の鐘楼
トルチェッロ島には僕たち家族が気軽に入れるBARなどありません。
そもそもBARが無いのです。レストランテがぽつんとありますが、高級そうな雰囲気で、値段も高いでしょう。
娘も奥さんも僕もそこで食事をする気はありませんから、「トイレ」をかりることもできません。
屋台のおじさんに「トイレはどこ」と聞くと、おじさんはサンタ・マリア・アッスンタ聖堂前の小さな鐘楼の奥を指差して、「ディエトロ・ディエトロ」。
僕たち家族3人はおじさんに「グラッチェ」と頭を下げ、その鐘楼のわきの細い道を奥に進みます、すぐにトイレを見つけ一安心。
トイレの入口におばさんが座っていて、200リラ(1990年)を請求、当時日本円で30円ほど、200リラを渡すと小さな紙を手渡してくれました。

2012年1月7日土曜日

トルチェッロの草原、Prateria di Torcello

トルチェッロ島、後ろはサンタ・マリア・アッスンタ聖堂

Torcello
娘と奥さんと僕はサンタ・マリア・アッスンタ聖堂(Basilica di Santa Maria Assunta)を出ると、教会の南側に広がる湿原をトルチェッロ島の南端まで歩いてみました。
湿地帯の中に田んぼのあぜ道のような細い道があります。その小径を娘を乗せたベビーカーはごとごと、ぎしぎしと今にも分解しそう。
僕は耕うん機を押してこれから田んぼに向かう農家のおやじさん、なんとも楽しい気分。ヴェネツィアはもちろん素敵な所ですが、根っからの田舎者の僕はここがとても気に入りました。もちろん娘も奥さんも。

2012年1月6日金曜日

トルチェッロ島、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂、Basilica di Santa Maria Assunta,Torcello

Basilica di Santa Maria Assunta

サンタ・マリア・アッスンタ聖堂
サンタ・フォスカ教会(Chiesa di Santa Fosca)東側に並んで建っているのが、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂(Basilica di Santa Maria Assunta)です。
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂は7世紀に建てられた、ラベンナ様式とよばれる初期ビザンチン建築。
娘は聖堂の東側に広がる野原が気に入り、花をつんだり、カニ、トカゲ、カタツムリを見つけては大喜び。
この素敵な野原は何も無くて気持ちの良い風だけが吹いてくる。
遠く地中海からアドリア海を渡って来る風でしょうか。
奥さんと僕は目の前に延々と広がる海をぼんやり眺めていました。
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂内部の「最後の審判」
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の祭壇の壁には、12世紀に画かれた「最後の審判」。
残虐な行為があどけなく画かれているのがかえって恐ろしい。
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂入場券、1,000リラ(1990年)

2012年1月2日月曜日

トルチェッロ島、サンタ・フォスカ教会、Chiesa di Santa Fosca,Torcello

サンタ・フォスカ教会 Chiesa di Santa Fosca
娘と奥さんと僕はサンタ・フォスカ教会(Chiesa di Santa Fosca)に到着。この教会は11世紀ごろ建てられたビザンチン建築で、ギリシャ十字形の平面をしています。
教会を正面から見ると、パラディオさんのラ・ロトンダにそっくり、もちろんロトンダは16世紀の建物ですが。
娘は教会前のはらっぱでおおはしゃぎ、あっちに行ったり、こちらに来たり。僕が小さい頃遊んだ近所のはらっぱのようで懐かしく、娘につられてうれしくなりました。
サンタ・フォスカ教会前の小さな博物館
サンタ・フォスカ教会前のはらっぱみたいなところには、小さな博物館があります。
トルチェッロ島で出土した、石版や大理石の柱の破片などが展示してあります。
娘はごろんとした石の玉座が気に入り、座り心地を楽しんでいました。