2011年6月28日火曜日

ローマの路面電車、Tranvie di Roma

Napoleone III, Roma
ローマ市内で沢山見かける路面電車、1990年頃はたくさんの路線がありましたが、現在はずいぶん廃止されたようです。
娘と奥さんと僕は、夕飯を食べに宿から近いナポレオン3世通り(Via Napoleone III)のトラットリアやピザリアに,歩いてたびたび行きました。ナポレオン3世通りはテルミニ駅の南側にあり、観光客が少く,安くて美味しい食堂が沢山あります。大通りに面したお店より、少し路地を入った小さな店が良いのは世界共通。
ナポレオン3世は、1859年、イタリア統一戦争に介入し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世率いるサルデーニャ軍とともに戦った人だそうで、イタリアでは英雄なのでしょう。

2011年6月23日木曜日

ローマのアイスクリーム屋"NICE ICE" Galato di Roma

Piazza Rotonda Roma
Piazza Rotonda Roma
娘と奥さんと僕はパンテオンを出ると、目の前のロトンダ広場(Piazza Rotonda)わきにあるアイスクリーム屋"NICE ICE"で一休み。
NICE ICEのカウンターごしに、僕は「Gelato al cioccolato」と指を3本見せてアイスクリームを注文。アイスクリームは1個が1,000リラ(1990年)当時約160円ほど。
僕たち家族は店先に並ぶテーブルに陣取りチョコレートアイスクリームを食べながら、ぼんやり。
広場には30人ほどの小学生たちが先生とパンテオン前に並んでいます。歴史の授業でしょうか、みんなおおはしゃぎで楽しそう、それにしてもうらやましい。

帰りぎわ"NICE ICE"のおじさんが僕にカードを手渡してニッコリ。
なんでも4月12日の夜10時半からパーティが"CASANOVA"であるようです。
カードには、「カップルでの参加よろしく」みたいなことが書かれてあるのですが、通りすがりの観光客である僕が行くはず無いじゃないですか。
それにしてもグリースとは、奥さんは一言「ジョン・トラボルタ」。

2011年6月22日水曜日

ローマ、パンテオン Pantheon ,Roma

Pantheon,Roma

 娘と奥さんと僕は宿のある共和国広場から歩いて3分程でテルミニ駅のバスターミナルに。
バスターミナルで64番のバスに乗りパンテオン(Pantheon)に向かいます。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念館前のヴェネツィア広場(Piazza Venezia)のバス停でバスを降り、プレビシト通り(Via Plebiscito)を100mほど西に歩くとジェズー通り(Via del Gesu)との交差点にでます。
そこを右に折れて突き当たりを左に曲がり少し歩けばロトンダ通り(Via della Rotonda)。
ロトンダ通りを北に歩いていくとパンテオンの背中が見えてきます。
パンテオンは120年代に第14代ローマ皇帝のハドリアヌス(Hadrianus)が再建したものだそうです。現存するローマ建築の最高峰と皆がほめたたえる建物です、しかし僕たち家族は裏からパンテオンに来たものだから、奥さんも僕も「ここがー」。
Pantheon

Pantheon

Pantheon

正面のロトンダ広場(Piazza Rotonda)から中に入ると、無言で感心。
建築説明書によれば、床から天井の最上部までの距離と平面の直径の距離が同じ、パンテオンには見えない球体が内包されています。断面図をかくとすると、全断面の中心からコンパスでぐるりと円をかく、このような断面図はきれいなんだ。

2011年6月18日土曜日

ローマ,サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂,Parrocchia Santa Maria Maggiore,Roma

Parrocchia Santa Maria Maggiore,Roma

Parrocchia Santa Maria Maggiore,Roma
 娘と奥さんと僕はサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂に行きました。
宿から共和国広場に出てナツィオナーレ通り(Via Nazionale)を西に少し歩くと、トリノ通り(Via Torino)との交差点にでます。交差点を左に曲がりトリノ通りをしばらく歩けばエスクィリーノ広場(Piazza dell'Esquilino)に突き当たります。
広場の正面にサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂がありました。この教会堂は4世紀にできたもので、マリア様に捧げられたローマで最初の教会堂です。教会内部はイオニア式の列柱で厳格な雰囲気です、ギリシャ建築のようにも見えます。
地元のおじさんおばさんが、静かにお祈りしたり、懺悔したり、僕たち家族はじゃまにならないようにそそくさと教会堂を出るのでした。

2011年6月17日金曜日

ローマの骸骨寺,Santa Maria della Concezione,Roma

Via Vittrio Veneto,Roma
4月というのにローマは雨ばかり、肌寒い日が続きます、娘と奥さんは少し風邪気味で今日は宿で休息。
僕は一人で散歩に出ます。
ローマに来たらぜひ訪れてみたかった骸骨寺(Santa Maria della Concezione)にやってきました。澁澤龍彦さんの「ヨーロッパの乳房」を読んで、この教会に行きたかったのです。
奥さんは「骸骨の教会はきみがわるい」行きたくない。
共和国広場(Piazza della Rupubblica)からバルベリーニ通り(Via Barberini)を西に歩くとバルベリーニ広場(Piazza Barberini)に出ます。
広場を右に折れベネト通り(Via Vittrio Veneto)を100mほど歩くと骸骨寺に到着。
歩道から階段で15段ほど上ると、教会の小さな入り口があらわれます。入り口付近で神父さんが寄付を集めています、僕は500リラ寄付をして教会に入りました。
1990年4月のことです。教会内部は窓が無く、小さな電球だけの薄暗い廊下が続きます、廊下ぞいに小さな部屋がたくさんあるのですが、どの部屋も壁、天井が人間の骨で飾られています、大量の頭蓋骨、指、手、足、肋骨、この教会で亡くなった神父さんの骨だそうです。

2011年6月16日木曜日

ローマ国立博物館,Museo Nazional Romano,Roma

Museo Nazional Romano,Roma

Museo Nazional Romano,Roma
今日は朝から雨、娘と奥さんと僕は,宿の前の共和国広場を通り抜け、ローマ国立博物館にやって来ました。博物館はディオクレティアヌス(Diocletian)皇帝298年〜306年時代の共同浴場跡にあり、今でもところどころに、色鮮やかな床のタイルを見る事ができます。
入場料は一人1,000リラ(1990年)、ローマを治めた皇帝たちの胸像が沢山あります、とくに気に入ったのは古代ローマ時代のモザイクタイルの壁画で、川岸にカバが描かれたものがあります、クレパスで描いたような絵ですが、なかなか良いかわいいものです。
この博物館には美術の教科書で見た、「円盤を投げる人」もあります、今まで気ずきませんでしたが円盤を投げる人は、切り株に腰かけています、この彫刻はほぼ片足だちの姿勢ですから、この切り株のささえが無いと上半身が重くて、彫刻が足から折れてしまうのでしょう。制作者は苦労した事でしょうが、それにしても美しいと感心しました。
博物館入場券

ローマ国立博物館カタログ

2011年6月9日木曜日

ローマの宿Hotel Pensione ESEDRA,Roma

Hotel Pensione ESEDRA,Roma

娘と奥さんと僕は午後3時頃、シエナから列車で3時間半かかり、ようやくローマのテルミニ駅に着きました。
テルミニ駅のコンコースにある観光案内所で、ローマ市内の地図とホテルリストをもらい、今夜の宿探しに出かけます。
ホテルリストには、3星クラスの高級ホテルが並び、僕たち家族の予算にはあいません。
ローマには沢山の宿があり、自力で良い安宿を見つけることは無理なようです、夕方5時までには今夜の宿を確保しないと、娘も奥さんも安心できませんから。それにみんなお腹がすきました。
テルミニ駅近くで2つ星Hotel Felicitaにとびこみました、感じの良い小さな宿でここにしたかったのですが、一泊10万5千リラ(1990年)残念ですが予算は6万リラなのであきらめました。結論、ベッドがあればいいや、ということで、Hotel Pensione ESEDRA。
テルミニ駅から歩いて3分ほど、共和国広場に面してある、埼玉の田舎にある連れ込みホテルみたいな宿ですが、家族3人で一泊5万8千リラ、トイレとシャーワーは部屋になく共同ですが、ここに決めました。このペンションは建物の2階にあり、1階はポルノ映画館です。若い女性のヌード写真が艶かしく、その前を急ぎ足で帰宅するサラリーマンのおとうさんたちが行き交います。
娘と奥さんと僕は晩ご飯を食べに、薄暗いローマの街にくりだしました。

2011年6月5日日曜日

ローマ、テルミニ駅,Stazione Termini,Roma

Stazione Termini,Roma
娘と奥さんと僕はシエナから列車に乗る事約3時間半、ローマのテルミニ駅に到着しました。
列車を降りてからが大変で、長い、それは長いプラットホームを歩きやっとコンコースにたどりつきました。テルミニ駅は1950年代に完成した近代建築、スパンの短いコンクリート製の細い柱が並びその上に波のようにうねった屋根が連続しています。
コンコースのなかは沢山の人種の人たちが行き交います。テルミニ駅のコンコースは昼でも薄暗いものですから、娘と奥さんは「こわい、こわい」とおそるおそるしのびあしで、かたつむりのよう。そのせいもあり、物取りのおばさんが、いいかもとばかりに僕たち貧しいアジア人親子におそいかかります。
初めて訪れたくせに、奥さんは「これだからローマはきらいよ」僕は「これだからローマは好きなんだ」

2011年6月1日水曜日

シエナからローマへ,Andiamo a Roma

Andiamo a Roma
車窓からシエナの田舎


娘と奥さんと僕はシエナ駅から列車でローマのテルミニ駅に向かいます。
当時イタリアでは1990年3月26日から夏時間になります、このローマ行きの列車に乗るまで(4月初旬)まったく気づきませんでした。僕たち家族はシエナ駅に発車時刻の定刻1時間前に着いてのんびりしていると、すぐにローマ行きの列車が来たのです。
シエナ駅の時計は僕の時計より1時間すすんでいました。イタリアでは、JRのように定刻に列車が来ませんからなおさら驚きました。
列車に乗り込みシエナ駅を出てしばらくすると、娘は寝てしまいました。
奥さんと僕は列車の窓から見えるトスカーナ地方の緩やかな丘や、ぶどう畑、雑木林、など眺めながら二人とも無言でぼんやりしていました。聞こえてくるのは、列車がレールのつなぎめを通過する時の、ガタゴト、カタンという音だけです。
Asciano,Italia