2011年11月30日水曜日

ヴェネツィア、サンタ・ルチア駅の鉄道職員食堂、D.L.F Venezia Mensa S,Lucia

サンタルチア駅、鉄道職員食堂レシート
娘と奥さんと僕は、サンタ・ルチア駅の西側にある鉄道職員用の食堂に昼飯を食べるため、散歩をかねて宿から40分ほど歩いて行きました。運河に架かる沢山の橋を渡るたびに娘のベビーカーを二人でかついで渡ります、僕も奥さんもくたくた。
ヴェネツィアは観光地ですから宿代も物価も高いので、ここなら安くたらふくいただけます。
食堂には3回行きました。初日は食堂に入るなり、イタリア人の鉄道員のたくさんの好奇の目が僕たち親子に向けられます、奥さんと娘は少し恥ずかしそう。食堂は学食みたいな感じです、連続したテーブルとスチールの椅子が沢山並んでいます。僕たちはトレーの積んである山から2枚トレーを取り、料理や飲み物の並んだカウンターで順番待ちをしているおじさんの列に並びました。
今日は、パン、ジャガイモのサラダ、いんげんを煮たもの、牛肉のステーキ、トマトソースのパスタ、水、牛乳をいただきました。親切なイタリアのおじさんが、僕たち家族にセルフサービスのやりかたを手取り足取り教えてくれました、こちらが恐縮してしまいます。
レシートに書かれていたもの、こんな感じ。
1.Contatore Clienti(客の人数)
2,Contatore Primi 
3,Contatore Secondi
4,Primo Piatto(前菜、スープやパスタ)
5,Secondo Piatto(肉や魚料理)
6,Contorno(肉や魚の付け合わせ)
7,Pane(パン)
8,Vino 1/4(ワイン、ボトル1/4)
9,Vino 1/2(ワイン、ボトル1/2)
10,Bibita(ジュースやコーヒーなど)
11,Minerele da 1/4(水、ボトル1/4)
12,Minerele da 1/2(水、ボトル1/2)
13,Frutta(くだもの)
14,Formaggio(チーズ)
15,Pasto F,S
16,Bibita X F,S
17,Vari
18,Macedonia(フルーチポンチみたいなデザート)
19,Dolce(お菓子)
20,Addizionale F,S(追加注文)
21,Conv,Enel
22,Gruppo Convenz
23,Ricevuta fisc,a zero in att,fatt
24,Correzione
25,Storno
26,Totale ric,fisc(合計でしょうか)


2011年11月28日月曜日

ヴェネツィア、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会、Sta Maria dei Miracoli,Venezia

santa maria dei miracoli,Venezia
娘と奥さんが宿で昼寝中に僕は一人でサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ(Sta Maria dei Miracoli)教会を訪れました。
リアルト橋から東へ細い小道を左に右に、運河に架かる小さい橋をいくつか渡り、ぶらぶら歩くこと10分ほどで到着。
宝石箱みたいなこの教会は15世紀の初期ルネサンスの教会で、設計はロムバルドさん(Pietro Lombardo)。
半円筒形の屋根、側廊のない室内、大小さまざまな丸窓と色大理石で飾られた教会は東方的な可憐な少女のように美しい姿で運河の川岸にたたずんでいました。

サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会の西側
サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会の東側

2011年11月22日火曜日

ヴェネツィアン・グラス、Vetro di Murano

ヴェネツィアン・グラス
娘と奥さんと僕はサン・マルコ寺院の裏手にあるカノーニカ通り(Calle Canonica)の細い路地にあるガラス細工のお店を訪れました。
店先には仮面やネックレス、ペンダント、植物や動物、昆虫などのガラス細工がぎっしり並んでいます。
娘も奥さんも夢中でガラス細工をながめていました。

ヴェネツィアでガラス製造が盛んになるのは13世紀頃。ヴェネツィアン・グラスはイタリア語でVetro di Muranoと表現されるように、ほとんどのガラス工房はムラーノ島に集められています。
さだかではありませんが、ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を制作したのがムラーノ島のガラス職人達だとか。

海岸の砂浜の波打ち際に角が取れて小さくなったガラスの破片を見つける事があります。きれいだなとながめていて家に持って帰ると、なんだかその輝きをなくしたように感じます。
ヴェネツィアン・グラスはやはりここで眺めているのが良いでしょう。

2011年11月21日月曜日

ヴェネツィア、クエリーニ・スタンパーリア美術館、GALLERIA QVERINI STAMPALIA,Venezia

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 入場券、5,000リラ(1990年)
GALLERIA QVERINI STAMPALIA 入口の橋
娘と奥さんと僕は宿からのろのろ歩く事10分、クエリーニ・スタンパーリア美術館(GALLERIA QVERINI STAMPALIA)にやって来ました。
この建物は16世紀のジョバーニ・クエリーニ・スタンパーリア家の邸宅を美術館として一般の人々に開放しています。
サンタ・マリア・フォルモーザ教会(Santa Maria Formosa)裏の空き地みたいな小さな広場から運河を渡り美術館に入ります。
運河に架かる美しい橋、1階のインテリア、2階への階段、中庭などは、カルロ・スカルパさんが1961年から1963年に改修しています。
2階には居間や食堂、寝室がそのまま展示室になっています。18世紀ごろの造りでしょうか、スタッコ仕上げの天井と淡いピンクやうすい水色や黄色の壁がきれいです。その壁には部分的に木製パネルや大きな鏡がはめ込まれています。室内の家具も18世紀のものでしょうか、居間にはマイセンの大きな磁器が飾ってあったり、大理石の胸像や地球儀が置いてあります。
18世紀の画家ガブリエル・ベッラ(Gabriel Bella)やピエトロ・ロンギ(Pietro Longhi)の絵画が沢山あります。なんて贅沢なことでしょう、その上スカルパさんの中庭も素敵で、ここを僕たち家族がひとりじめ、幸せな一日でした。
GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭
GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭の池

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭の水路

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭の水路

GALLERIA QVERINI STAMPALIA 中庭

2011年11月20日日曜日

ヴェネツィアの宿_2,HOTEL RIVA,Venezia

HOTEL RIVA案内図
娘と奥さんと僕はヴェネツィアの宿を引っ越します。最初の宿のおかみさんの好意でなんとか3泊できましたが、後は予約で満席。2番目の宿は"HOTEL RIVA"このホテルはサン・マルコ広場から歩いて5分ほど、狭い運河のわきにある小さな宿です。
HOTEL RIVA
HOTEL RIVA住所(1990年)
その頃、宿は若い旦那さんと奥さん(たぶん)がきりもりしていました。
1階は玄関と小さな食堂があり、毎朝ここで朝食をいただきます。
2階から上に部屋があります、僕たち家族の部屋の窓の下は運河、この運河がゴンドラの観光コースになっていて、夜遅くまでゴンドラが行き来します。
ゴンドラの船頭さんが歌う「サンタ・ルチア」最初はいいのですが毎晩これを聞かされると、いささかうるさいのです。
狭い運河は声を良く反射して響きがいいのです、お風呂で歌うようなもの、歌う人は気持ちが良いでしょう。

2011年11月17日木曜日

ヴェネツィアのたそがれ、Crepuscolo a Venezia

Crepuscolo a Venezia
ヴェネツィアの小雨降る夕暮れ時、帰宅途中のおじさんたちが、なにやら立ち話に夢中。
娘と奥さんと僕は、ワインを買うため酒屋を捜して街中を散策しました。
イタリアに着いた頃は奥さんも僕も、もっぱらビールでしたが、ワインのほうがだんぜん安いのです。
僕達は小さな路地裏に酒屋を見つけ、さっそく店内に入りました。店は飾り気が無く倉庫みたいで、ワインの樽がいくつか無造作に置いてありました。ワインは量り売りで、安いものなら1リットル500リラ(1990年)日本円で100円ほどで、それでも美味しいワインです。
空き瓶を持参してびんにつめてもらい、ホテルに持ち帰ります。
娘も奥さんも僕も雨に濡れ身体が冷えました、バールに入り温かいカプチーノでも飲みましょう。

2011年11月16日水曜日

ヴェネツィア、ため息橋、Ponte dei Sospiri,Venezia

Ponte dei Sospiri,ため息橋
娘と奥さんと僕は、ドゥカーレ宮殿の牢獄を見て歩きました。宮殿から牢獄に行くには、運河に架かる、ため息橋を渡っていくのです。きらびやかな宮殿から橋を渡ると、そこには薄暗い尋問室と牢獄がありました。ため息橋は16世紀に造られた白大理石の小さな美しい橋、ほんとかどうか知りませんが、囚人が牢獄に送られる時、この橋の窓から最後のしゃばの景色を見て、ため息をついたとか。僕はこの橋が神社の鳥居のように思えるのです、ヴェネツィアの結界をあらわすもので、悪霊退散、ここは鬼門なのです。
ため息橋のある運河
地元の人達が言います。日没の時に、恋人たちがゴンドラに乗り、ため息橋の真下でキスをすると、永遠の愛が約束される。奥さんも僕も口を合わせて「うそだー」。この橋の下を行くゴンドラは観光コースになっていて、毎日沢山のお客さんを乗せたゴンドラが行き交います、もちろん奥さんも僕も高額なゴンドラに乗る気はありません。

2011年11月15日火曜日

ヴェネツィア、ドゥカーレ宮殿、Palazzo Ducale,Venezia

Palazzo Ducale
娘と奥さんと僕は、サン・マルコ寺院の隣、運河に面して建つドゥカーレ宮殿に到着。
宮殿で入場券を大人一人5,000リラで買い(1990年4月、娘は無料)、宮殿内に入ります。
宮殿内はかつてのヴェネツィアの繁栄を見せつけるように、強烈に装飾されています、床、壁、天井どこも金ぴか、成り上がりの見栄の殿堂です。
Palazzo Ducale内部

ドゥカーレ宮殿、入場券
ドゥカーレ宮殿は、8世紀に建設され、その後14世紀から16世紀にかけて、現在のような外観に増改築されました。軽やかな外観は、現代建築さながら、これをアルミで造れば、代官山のヒルサイドテラスに建ててもおかしくない。

2011年11月9日水曜日

ヴェネツィアの猫、Cat di Venezia

ヴェネツィアの猫
娘と奥さんと僕は、猫が大好き。ヴェネツィアの街で何度か猫と出会いました。
1990年4月、春の日差しが降りそそぐ壁際に、2匹の猫が向き合ってひなたぼっこ。
娘は猫をさわりたいのですが、こわがってそばに行けません。そんな娘の気持ちをさっしてか、猫たちはその場を離れる気配はありません。
猫は知らない人からなかなか餌をもらわない、餌でつるのはむずかしそう。
娘は猫のそばまで行くのですが、そこから動けません、しばらく猫の様子を見ていましたが、最後まで猫に触る事ができませんでした。

2011年11月7日月曜日

ヴェネツィア、サン・マルコ寺院、Basilica di San Marco,Venezia

Basilica di San Marco
サン・マルコ寺院
娘と奥さんと僕は、大勢の観光客に押し流されるようにしてサン・マルコ寺院内に入りました。金ぴかの聖堂内に奥さんも僕も唖然。
サン・マルコ寺院を出ると、娘と奥さんが、イタリア人中学生7人に囲まれ質問攻め。奥さんは返答にたじたじで「あいつら、アジア人をなめとる」と怒っています。なんでも学生の一人が、娘と奥さんにゴミを投げつけたそうです。
サン・マルコ寺院は、1063年から1071年頃に建設された、後期ビザンティン建築です。4世紀頃の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の建築様式で、トルコ、イスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂と同じ建築様式。
サン・マルコ寺院内部

2011年11月6日日曜日

ヴェネツィア、サン・マルコ鐘楼、Campanile di San Marco,Venezia

サン・マルコ鐘楼からサン・ジョルジョマジョーレ島を見る
娘は高い所が大好き。サン・マルコ鐘楼を見るなり「のぼりたい」ということで、僕たち家族は鐘楼のエレベーターに乗り込みました。エレベーターは、入場料として一人3,000リラ(1990年)必要、もちろん娘は無料です。どんよりした曇り空でしたが、展望室からはヴェネツィアの街をぐるりと見渡す事ができます。この鐘楼は高さ99mほど、16世紀に完成しましたが、現在の鐘楼は1912年に再建されたもの。

サン・マルコ鐘楼の展望室


サン・マルコ鐘楼の入場券

2011年11月4日金曜日

ヴェネツィア、サン・マルコ広場、Piazza San Marco,Venezia

Piazza san marco,サン・マルコ広場
娘と奥さんと僕は、宿に荷物を置き、早速サン・マルコ広場にやって来ました。
夕暮れ時のサン・マルコ広場は、薄暗くて少し肌寒い。薄明かりの中、霧に囲まれた広場はいっそう幻想的で素敵でした。僕たち家族はサン・マルコ広場で、パンとコーヒーにお菓子という簡単な夕食をとり、夜のサン・マルコ広場でぼんやりするのでした。

Bacino di San Marco