2011年8月30日火曜日

ヴァチカン、サン・ピエトロ大聖堂_3、Basilica di San Pietro (Baldacchino) Vaticano

Baldacchino
サン・ピエトロ大聖堂内の青銅製天蓋(Baldacchino)はベルニーニさんの作品です。
天蓋天井にある、中央の鳩は神の国(天国)を表しているのでしょうか。
天蓋の4本の柱は、植物のように螺旋状にうねり、天空の光がドームからふりそそぎます。
この天蓋は光合成により生きているみたい、水をあげたら、成長するかもしれません。
アレクサンデル7世の墓
アレクサンデル7世の墓の骸骨さんです、キリスト教では死神はいないそうで、この骸骨さんは天使なのだとか、死を司る天使。これもベルニーニさんの作品。
骸骨さん天使は、右手に砂時計を持っていますが 、これは一説によると「予告なしに訪れる死」を表しているそうです。
僕の感覚では、この砂時計はその人の寿命を表していて、全部の砂が落ちる人は長生きで、途中で止まる人は、そこでご臨終、天使さんも運任せ、そうでなければ良い人が早死にする説明がつきません。

2011年8月29日月曜日

ヴァチカン、サン・ピエトロ大聖堂_2、Basilica di San Pietro Vaticano

Basilica di San Pietro

サン・ピエトロ大聖堂は、教会というより宮殿という感じです。
教会とは、イエス・キリストがその十字架の死により、罪をあがなって皆を救い、人々をひとつに集めて神の国(天国)とするため、召し集められた信仰共同体である(マタイ16.18)
僕たち家族は、キリスト教徒ではありません。ローマ・カトリックの総本山といえ、娘も奥さんも僕も、ありがたやという気持ちより、サン・ピエトロ大聖堂の広大で金ぴかの空間に感心しきり。

2011年8月28日日曜日

ヴァチカン、サン・ピエトロ大聖堂_1、Basilica di San Pietro Vaticano

Basilica di San Pietro Vaticano

Basilica di San Pietro Vaticano
娘と奥さんと僕は、サン・ピエトロ大聖堂に着きました。
共和国広場の近くから、歩くこと1時間半、まわりみちして、休み休みですからしかたありません。ここに来るために、テルミニ駅のバスターミナルからバスに乗り込みましたが、共和国広場を少し過ぎたところで、大勢のデモ隊に囲われ、バスは立ち往生。
バスが動く気配がないものですから、乗客はしかたなくバスを降りました。
僕たち家族もすぐに下車。サン・ピエトロ大聖堂に着く頃には、奥さんも僕もへとへと。
ベルニーニさん作の楕円形広場と、それを囲むコロネードはとても美しい、来たかいがありました。
Basilica di San Pietro Vaticano

2011年8月25日木曜日

ローマ、テヴェレ川、Tevere Roma

Ponte Sant'Angelo
娘と奥さんと僕は、テヴェレ川ぞいを散歩。この川では、毎年7月にマリア様の川くだりの祭りがあるそうです。ローマ市民が沢山集まる、人気の祭りですが、僕たち家族がローマに滞在したのは1990年4月、残念ですがお祭りを見ることはできませんでした。

Ponte Sant'Angelo
川沿いをのそのそ歩いて、僕たち家族はサンタンジェロ橋(Ponte Sant'Angelo)に着きました。
 共和国広場前の宿から、ベビーカーを押すこと1時間、石畳の多いローマの路地をがたごと歩いてきました。安物の日本から持ち込んだベビーカーは、ぎしぎしなりっぱなしで、シャフトの1本は破損しています。テープでぐるぐる巻きにしていますが、いつまでもつのでしょう。
相変わらず娘は歩くのが嫌いで、それに、毎日ベビーカーで昼ねをしますから、大切にしなければ。

2011年8月15日月曜日

ローマ、フォロ・トライアーノ、Foro Traiano, Roma

Foro Traiano, Roma
Foro Traiano, Roma
娘と奥さんと僕は、フォロ・トライアーノ前、フォリ・インペリアリ通り(Via del Fori Imperiali)をのそのそ徘徊しました。
フォロ・トライアーノは、2世紀頃、ローマ皇帝の記念広場だそうですが、まわりはぐるりとフェンスで囲われていて、なかに入る事はできません。規模はフォロ・ロマーノより広大ですが、ほとんど建物らしきものは存在していません。
フォリ・インペリアリ通りは、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂からコロッセオを結ぶ大通りで、沢山の観光客がいてもおかしくないのですが、この日はどんよりした曇り空の木曜日、今にも雨が落ちてきそうです。まわりには人影もなく僕たち家族だけ。
娘はかならず昼寝をします。どこであろうと寝ています。ふとんで寝かせてあげたいのですが、いつもベビーカーの中で僕たちが気がつくと寝ています。
そんな時は僕も奥さんも木陰をさがして、娘が起きるまでぼんやりしています。
このゆっくりの散歩がなにより楽しいのです。
娘が目覚めたら、BARをさがしてカフェ・ラテでも飲みましょう。

2011年8月8日月曜日

ローマ、サン・カルロ・アッレ・クァットロ・フォンターネ聖堂、San Carlo alle Quatro Fontane,Roma

San Carlo alle Quatro Fontane,Roma
娘と奥さんと僕は、サンタンドレア・デル・キリナーレ教会のすぐ近くにある、
サン・カルロ・アッレ・クァットロ・フォンターネ聖堂(San Carlo alle Quatro Fontane)
にやって来ました。
サン・カルロ・アッレ・クァットロ・フォンターネ聖堂はクァットロ・フォンターネ通り(Via delle Quatro Fontane)とキリナーレ通り(Via del Quirinale)の交差点に あります。
聖堂の交差点側には、小さな水盤の噴水がありました。
この建築の作者は、ボッロミーニ(Borromini)さんです、ベルニーニさんとローマ・バロックの2大巨匠と言われた人です。
クァットロ・フォンターネ聖堂は小さな建物ですが、ローマ市民はとても大切にしているようす。
ボッロミーニさんは、この聖堂を建築ちゅうに(1667年)67歳で自殺してしまいます、その後1682年に完成したそうです。
僕は聖堂内の、天国を表した楕円形の天井が見たいと思いましたが。
すでに娘は散歩に飽きしまい、まして聖堂内には、いやがって入らないでしょう。
娘がぐずる時は、お菓子屋さんをさがして、キンダーの玉子チョコレートを買いましょう。
今晩の夕食はどこがいいかな、そんな事を考えながら、僕たち家族は宿のある共和国広場に向かいました。

2011年8月5日金曜日

ローマ、サンタンドレア・デル・キリナーレ教会、Sant'Andrea al Quirinale, Roma

Sant'Andrea al Quirinale, Roma
娘と奥さんと僕は、今日はローマの街をぶらぶら散歩。
僕たち家族がすみかとする、安宿のある共和国広場からナツィオナーレ通り(Via Nazionale)
を西に10分程歩くと、フォンタナ通り(Via delle Quattro Fontane)との交差点にでます、
その交差点を右に折れ歩く事7分、こんどはキリナーレ通り(Via del Quirinale)と交差します、そこを左に折れ5分程歩くとサンタンドレア・デル・キリナーレ教会に到着。
このあたりは、緑の葉を沢山つけた大きな木がある静かな通りです。
自動車が少ない時には、ほとんど人通りの無い住宅街。
この教会は、ベルニーニ(Bernini)さんの作品です、1658年から1670年ころに建てられました。ローマ市内には、ベルニーニさんの彫刻や建築が沢山あります。
どれもすごいバロック作品で、ぎとぎとねとねと感がずんずんとまるでヘビ花火。
そのなかでこの教会は物静かな、単純なおとなしい感じがします。僕はとても気に入りました。

2011年8月2日火曜日

ローマ、コロッセオ、Colosseo Roma

Colosseo Roma

Colosseo
 娘と奥さんと僕は、コロッセオに到着。1990年4月初旬の春、それは穏やかな日でした。
コロッセオにイタリア人の新婚さんが親戚や友人を引き連れて来ています。
僕たち家族は、古代ローマの遺跡で、ウエディングドレス姿のカップルを何度か目にしました。たぶん結婚した2人が遺跡に詣でることで、新婚家庭に幸せがやって来ると思われているのでしょう。
私たちが、神社にお参りに行くようなものでしょう。
コロッセオは78年頃から82年頃に建設された闘技場で、約5万人の観客を収容できたそうです。
わずかにのこる大理石、ほとんどの外装大理石がはぎ取られて、サン・ピエトロ大聖堂などに使われたそうです。
ある廃墟好きのひとがこう言います。廃墟は、人間から解放されている建築だ。時間が建築の人工的なデザインを風化、空洞化させることで、人間の傲慢な行為が浄化されている。だから魅力的なのだ。
僕は廃墟や遺跡の魅力は、そこに自分だけの物語を想像して楽しめるからだと思うのです、作者が何を意図してそれを造ったのか、そんなことはどうでもいいのです。
それにしても美しいな。
Colosseo

Colosseo

Piazza del Colosseo