2011年2月27日日曜日

フィレンツェ,捨て子養育院美術館 Ospedale degli Innocent,Firenze

Ospedale degli Innocent,Firenza
捨て子養育院と広場

フィレンツェ大聖堂からセルヴィ通りを東に進み突き当たりに広場があります。広場に面して捨て子養育院美術館が建っています。
15世紀中期に建てられた最初のルネサンス様式の建物です、当時ヨーロッパで最初の孤児院で、その正面入り口の柱上部には、かわいい子供のレリーフが掘り込まれています。
入場料は一人1.500リラ(1990年)広場から捨て子養育院に入るとすぐに回廊に囲まれた中庭に出る事ができます、中庭にオレンジが実った大きな鉢植えがありました。
娘はこの中庭がとても気に入りしばらくここで遊び、なかなか美術館に入ろうとしません。
中庭には僕たち家族以外の観光客がいませんから安心してのんびりできます。
それというのも、捨て子養育院前の広場で娘の写真を撮りたいと声をかけてきたアメリカ人らしきおばさんがいて、僕は了解して「Yes」の返事。しかし娘にカメラをかまえたおばさんが近づいたとたん娘は泣き出してしまいました。
驚いたおばさんは「ごめんなさい」を繰り返して後ずさりして去っていきます。
それで娘にとってはこの静かで誰も居ない中庭が気に入ったのでしょう。
何百年も前にここで子供たちが遊んでいたのでしょうが、今は娘と奥さんと僕の話し声だけがするだけの静かな中庭です。
もう一度、保育園にできればいいに。たぶん何もないこの中庭は、子供たちが遊びまわれるように造られたのでしょう。フィレンツェの中世の建築で中庭に噴水や彫刻が置かれていないのは珍しい事ですから。植木鉢が取って付けたようにあるのは不自然です、子供たちが怪我をしないように、ここにははじめから何も無かったのでしょう。
歴史的建造物なのでいまさら保育園にできないことは分かっていますが、子供たちの声が聞けないマリア様も寂しいでしょう。
捨て子養育院のマリアさま

捨て子養育院の中庭


捨て子養育院入場券
捨て子養育院の則廊

捨て子養育院、包帯を巻いた子供の絵、
2階には鳥が描かれている






フィレンツェ,ウフィッツィ美術館 UFFIZI,Firenze

Piazza della Signoria.Firenze

美術館2階廊下からヴェッキオ橋が見えます
ウフィッツィ美術館は16世紀のメディチ家の宮殿を美術館にしたものです。
アルノ川に架かるヴェッキオ橋の2階部分がピッティ宮殿とこのメディチ家の宮殿を繋いでいて、2つの宮殿を行き来できるようになっています。この通路を観光客は入る事はできませんが。
ウフィッツィ美術館カタログ

美術館の入場料は一人5,000リラ(1990年)娘にとっては美術館は退屈なところですからおとなしくしていません。奥さんがなだめたり機嫌を取ったりそれは大変、僕も娘をおんぶしたりだっこしたりだましだまし。
ここではボッティチェリの「春」「ビーナス」さえ見れば良しとしてましたから、ほとんどの時間は美術館の廊下で娘と遊んで過ごしました。
アルノ川を見下ろせる廊下の窓からヴェッキオ橋が正面に見えます。午後3時頃に美術館に入り廊下で遊んでいるうちに夕方になり、窓からは夕日に照らされたアルノ川とヴェッキオ橋がオレンジ色に輝いています。
いのししの彫像が現れるとそこは美術館の最後で後は出口に行くだけです。出口を出るとすぐにウフィッツィ美術館関係のお店があり、僕は美術館のカタログを8,000リラで購入。少し高い気もしますがなかなか立派なカタログで迷わず買ってしまいました。
美術館を出たのが夕方6時過ぎで娘も奥さんも僕もお腹がすきました。
フィレンツェの食堂はどこも夜7時からしか開店しません。3才半の娘は早いと7時には眠くなりますから、僕たちは開店と同時に店に突入して注文し、娘に早く食べさせないとなりません。今日は目についたピザリアで夕飯、ピザとビールを素早く注文してピザが出てくるとそそくさと食べ宿に戻りました。
ウフィッツィ美術館展示案内



ウフィッツィ美術館の入場券

2011年2月23日水曜日

フィレンツェ,ヴェッキオ宮殿 PALAZZO VECCHIO,Firenze

Piazza della Signoria.Firenze

Palazzo Vecchio
ヴェッキオ宮殿入場券
ヴェッキオ宮殿は16世紀にメディチ家の宮殿になった建物です。もともとは公共の討議場を増築の上に増築してそれらしくしたものです。
この宮殿の中庭は、中庭というより広場ですが、いつも観光客が絶えません。
ほとんどの人はお隣のウフィツィ美術館に行くためにこの広場を通り抜けます。
渋谷のスクランブル交差点みたいな広場ですから、僕たち家族がのんびり過ごせるような場所ではありません。
広場に通じる道が何処も狭いので娘のベビーカーを人ごみを避けここまで押してくるのは大変です。
広場の宮殿前にネプチューンの噴水があるのですが水辺まで行くことができません。
噴水の回りに柵があり入れないようになっています、水遊びができてこそ噴水だと思っていますからこれではただの彫刻でしかありません、すごい彫刻なのですが。
ヴェッキオ宮殿に入るとすぐに綺麗なパティオがあります、小さな噴水の周りに草花が飾られていてとても素敵な庭です。
それにここは外の喧騒が聞こえてきませんから静かです。太陽の光がわずかしか差し込まないほの暗いこの場所が僕は気に入り、しばらくここで娘と奥さん3人でたたずんでいました。
宮殿の入場料は一人4.000リラ(1990年)外観からは想像できないくらい内部は豪華な造りです、壁は巨大なフレスコ画で飾られ、その天井は金色の格子天井にキリスト、マリヤ、聖人達が鮮やかな色彩で画かれています。大広間だけでなく小さな部屋から、廊下、階段室に至る全てがそうなのですから驚きです。

2011年2月22日火曜日

フィレンツェ,パッツィ家礼拝堂 Cappella de' Pazzi,Firenze

Cappella de' Pazzi,
パッツィ家礼拝堂のあるサンタ・クローチェ教会はフィレンツェの中心部から東に1km程のところ。ヴェキオ宮殿の裏にあるBorgo de' Greci 通りをしばらく東に歩き、突き当たりある広場がサンタ・クローチェ広場。広場の正面にはサンタ・クローチェ教会。
昼下がりの広場で近所の子供たちが遊んでいて、急ぎ足の大人達は広場を通り過ぎるばかり。
パッツィ家礼拝堂はサンタ・クローチェ教会の奥に、教会に寄り添うように建っています。
パッツイ家礼拝堂入口天井
パッツィ家礼拝堂は15世紀のゴシック建築、そこにロマネスク様式の入口がくわわり柔らかな感じのする建物。礼拝堂入口正面の上部に四方を貝殻で飾られたタイル貼りの美しいドーム天井、その両側にはローマ式のヴォールト天井と盛りだくさん。
パッツイ家礼拝堂入場券

僕は2.000リラの入場料を払い礼拝堂に。礼拝堂の内部は白大理石の立方体にドームが乗ったシンプルなもの、がらんとしてかなり広い。
娘は宿で昼寝、奥さんに娘を頼んでここに一人で来たのですが、やはり娘と奥さんと3人で散策する方が楽しい。
そそくさと見てまわると、僕は足早に宿に戻りました。

パッツィ家はフィレンツェの金融業で財を成し主導的な存在でしたが、新興のメディチ家にその後主導権を奪われ衰退するのです。そう思うと礼拝堂はいくぶん寂しげに見えます。

2011年2月21日月曜日

フィレンツェ,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 Santa María del Fiore,Firenze

Santa María del Fioreと手前にサン・ジョバンニ礼拝堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

朝8時に僕たち家族は宿の食堂でパンとコーヒーの朝食を取り、部屋に戻りしばらくごろごろ。奥さんの用意が出来上がるのを待って宿を出ます。
今日はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行きます。通称フィレンツェ大聖堂です。フィレンツェの街でひときわ大きな建物でどこにいても見えますから、地図で現在地を確認するにはこの大聖堂が何処に見えるかでだいたいの自分の位置がわかります。
13世紀にできた建物ですがドーム状の屋根は15世紀に増築されたものです。
立派なゴシック大聖堂でその外観は色とりどりの大理石で装飾され豪華です。
街並の外観が茶色やベージュに統一されていますからすごく目立つのです。
フィレンツェ大聖堂に隣接してサン・ジョバンニ礼拝堂があり、この礼拝堂には青銅製の大きな扉ギベルティ作の「天国の門」があります。
僕も奥さんもきらびやかな教会が悪いとは言いませんが、素朴で物静かな教会が好きです。
フィレンツェ大聖堂の屋根からの景色
ドーム内の通路
大聖堂のドームは登る事ができます。ドームの頂上にはあまり広くはありませんが展望バルコニーのような屋根がありフィレンツェをぐるりと一望する事ができるのです。
本当に気持ちのよいところですがこの屋根にたどり着くのが大変。
自力で歩いて上るのです、娘は街では歩きませんが高い所に行けるとなると好奇心からかよろこんで上っていきました。
屋根裏の狭い急勾配の階段は薄暗くて洞窟のよう、そんなところが娘には楽しいのでしょう。奥さんも僕も最上部に到達したとたん目の前に開ける美しいフィレンツェの景色に大感激。
フィレンツェ大聖堂前の観光馬車
大聖堂前には客待ちの馬車が数台停まっています。観光客を乗せて街中を案内してくれるようですが、おじさんたちは世間話に夢中。イタリアのおじさんですから努力して客引きなんぞする気もありません。僕たち家族は散歩が好きです。もちろん馬車に乗るお金もないのですが。娘は毎日ベビーカーに乗りっぱなしですから今さら馬車など乗りません

2011年2月20日日曜日

フィレンツェ,メディチ家礼拝堂 Cappelle medicee,Firenze

Cappelle medicee.Firenze
礼拝堂内部
メディチ家礼拝堂は僕たちの宿ペンション・アカデミアから歩いて3分と、目と鼻の距離。
一人4,000リラ(1990年)の入場料を払いメディチ家礼拝堂内に、もちろん3歳半の娘は無料。
礼拝堂内部は外から見るより巨大な空間で、床や壁は色とりどりの大理石で飾られとても奇麗で濃厚。そこに歴代のメディチ家頭首の棺が安置されています。棺だけを見ればエジプトの王様より立派かもしれません。
棺の中心にあるカミキリムシの背中みたいなものがメディチ家の紋章。
たしかメディチ家は医者になった人が多く、紋章の5個の玉は薬を意味していた、との説もあります。権力闘争でメディチ家がおこなった毒殺も医学に長けていたからこそでしょう。
礼拝堂は教会の入口から最も離れた奥の静かな場所で、そこまでそれは沢山の部屋を通り抜けていくのです。部屋の一部は公開されメディチ家が所有していた装飾品や食器や家具などが展示され、装飾品のなかには容器の一部が透明なガラス製でその中に小さな人骨が収められたものがあります。奥さんは「とても気味が悪い」と言いながら目が離せないようす。
医学的な好奇心というより宗教的なにおいがします、秘められた骨の力を確信しているようです。
礼拝堂入場券

2011年2月19日土曜日

フィレンツェ,サント・スピリト教会 Santo Spirito,Firenze

サント・スピリト教会前の噴水
Santo Spirito.Firenze

ピッティ宮殿の北側、アルノ川近くにサント・スピリト教会があります。
15世紀に建てられたかわいらしい教会です、淡い黄色の丸みを帯びた外観に親しみが感じられます。色大理石で飾られたよそ行きの教会でなく普段着のような教会です。
この教会は12時閉館。僕たち家族が教会に着いたのが11時40分、急いで教会の中へ15分後に娘が「おしっこ」あわてて教会にいるおじさんにトイレを聞きましたが教会内にトイレが無いのか、使用してはいけないのかおじさんは教会のすぐそばのバールを教えてくれました。
娘を連れてバールのトイレを借りなんとか間に合い一安心。
教会前の広場に戻り一休み。広場には小さい噴水があります。そっけないほど単純でなんの装飾も無いのですが、あかちゃんのおしゃぶりみたいな噴水からわずかばかりの水が吹き上げられています。
娘と奥さんと僕は、川・池・噴水と水があればかならずそこで遊びました。
水場は安心できる場所で鳥たちや子供たちが必ずやって来るからです。

フィレンツェ,ベルベデーレ要塞 Belvedere,Firenze

ベルベデーレ要塞、Belvedere
娘と奥さんと僕はボーボリ庭園の東南角にあるベルベデーレ要塞にのぼってみました。
ベルベデーレ要塞は星形の平面をしたレンガ積みの要塞です。
この要塞は見晴らしの良い高台にあり、要塞ですから、北側には茶色い屋根が続くフィレンツェの街並が見えます。その中でひときわ立派なフィレンツェ大聖堂、東側にはなだらかな丘に森と木立の間から畑も見えます。
気持ちのよい温かな午後でしたので、娘も奥さんも僕もとてもおおらかな気持ちになりゆったりと時間が過ぎていくのが心地よい所でした。
ここには城壁だけで何もありません、何も無い所が良いのです。
ベルベデーレ要塞からフィレンツェの街並を見る

2011年2月15日火曜日

フィレンツェ,ボーボリ庭園 Boboli Gardens,Firenze

Palazzo Pitti.Firenze

ボーボリ庭園の洞窟
Boboli Gardens
アルノ川を左手に眺めながらソデリーニ通りを南に歩き、グイッチャルディーニ通りの突き当りを右に折れスブロネ通りをすこし歩けばじきピッティ宮殿。

娘はもっぱらベビーカーで移動しますのでらくちん、奥さんと僕がエンジンです。
石畳の道が多いフィレンツェでは安物のベビーカーに3歳半の娘が乗ると、構造的に無理がある。サスペンションもろくにない細いスチールパイプはぎしぎし鳴りどうし、この先イタリアにしばらく滞在するつもり、壊れないといいな。

宮殿に着いたのが午後2時、宮殿内部の入館時間はちょうど午後2時まで、残念ながら宮殿に入れません。
観光地なのに午後2時で締め切るとは、と思いましたが、それではと僕たち家族は宮殿の前に広がるボーボリ庭園で夕方まで過ごします。

僕がフィレンツェに来た楽しみの一つには、ピッティ宮殿でボーボリ庭園にある洞窟(グロッタ)を何としても見ておきたかったからです。澁澤龍彦さんの書いた「ヨーロッパの乳房」に洞窟についてという章があります、これを読んでぜひ見たいと思ったのです。
その洞窟はピッティ宮殿の東側にあり、注意して見つけないと気付かない場所です。
その頃(1990年)は洞窟内部の立ち入りは禁止されていましたので、入り口部分だけが見ることができました。
澁澤龍彦さんがここを訪れたのはたしか1970年代、僕がここに来るのが遅すぎたのでしかたありません。
しかしその洞窟の入り口だけでも直接自分の目で見ることができ感激。確かに美術的に優れてはいないかも知れませんが、その歪んだどろどろとした精神構造が僕には大変魅力的に感じます。

2011年2月13日日曜日

フィレンツェ,アルノ川 Fiume Arno,Firenze

Fiume Arno

フィレンツェを流れるアルノ川は娘の好きな場所。
けっして清らかな清流ではありません、濁ったどろんとした川ですが娘はこの川を「きれいだ」といいます。
川の中州に地元の子供たちや青年からおじさんまで集まって、みんな釣りを楽しんでいます。川の中州は石を敷き詰めた小さなダムになっていて、釣りをするにはもってこいの場所。社交場にもなっていて、なかなか魚はかかってくれませんがみんなそんな事はどうでもいい様子。
こうして娘と奥さんと僕は河原で半日ぶらぶらするだけですが、娘はたいそう楽しそうでした。

アルノ川岸


2011年2月12日土曜日

フィレンツェ,サンタ・マリア・ノヴェラ教会 Santa Maria Novella,Firenze

Santa Maria Novella

サンタ・マリア・ノヴェラ駅の南側にはスパニョーリ大礼拝堂があり、この礼拝堂に寄り添うようにサンタ・マリア・ノヴェラ教会がある。
教会の南側の小さな噴水がある広場は日当りの良い静かなところ。
すぐ裏が駅ですから広場のまわりを行き交う車はあるものの、わりと静かで落ち着ける。それではと、娘と奥さんと僕はしばらくここでひなたぼっこ。
教会の前に大理石でできた小さなオベリスク、なんだか床屋のカンバンみたい。

だれもがあたりまえのようにこの広場でのんびりしていますが、僕は北浦和公園でのんびりするよりはるかに贅沢に思う、なんててうらやましいことか。


Santa Maria Novella
Santa Maria Novella
 今日のお昼はトラットリアでズッパミネストローネ・スパゲティ・トルテリーニを食べました、ここは安くておいしい食堂です。
天気の良い日にはパン屋さんや総菜屋さんで食材を買い公園や広場で食べますからお昼を食堂で食べる事は時々。
レストランテと書かれたところは高級なので入りません、僕たち家族はもっぱらバール、がんばってもトラットリアやピザリアまで。

娘の「おしっこ」はいつも突然。僕はバールの場所はいつも気にして覚えておき、その時に一番近いバールのトイレに駆け込みます。見つからなくても近くのおじさんおばさんを捕まえて、「トイレ」を連発すれば、おじさんやおばさんが娘を連れてバールに駆け込みます。
こうして僕たち家族は新しいおもしろい場所を見つけるのです。

フィレンツェの宿 Pensione Accademia , Firenze

ペンションアカデミアの御主人
Pensione Accademia , Firenze
ペンションの食堂前の廊下
バルセロナから夜行列車に乗る事14時間半、ようやく僕たち家族はフィレンツェのサンタ・マリアノヴェッラ駅に着きました。
駅は工事中であちこち閉鎖中、その中を細く狭い仮設通路を通り街へ出ます。駅前広場も工事中なので僕たちはいきなり道路に、街路には沢山の車と人々が行き交います。
観光案内所を探してまずフィレンツェの地図とホテルリストをもらいます。
さて次は銀行を探します。駅から数分歩いてBANCA NAZIONALE COMUNICAZIONI を見つけました。
早速両替です、US300ドルが369,300リラに、バルセロナでは1ペセタ1円ほどなので違和感がありませんがリラは驚きでした。
当時1ドル約200円強なので300ドルは約60,000円、それが約37万リラなんだか裕福になった気分です。
僕たち家族はフィレンツェの街を3軒程ホテルを見て回ります。
フィレンツェの宿に決めたのは駅前広場を南に行き、メディチ家礼拝堂のそばにあるペンションアカデミア(Pensione Accadenia)。
宿には中庭がある広くて奇麗な食堂がありここで朝食がいただけます。宿から中央市場が近く買い物にも便利ですし、部屋にはトイレとシャワーブースまで有ります。宿代は1泊家族3人で65,000リラ。
もうすぐ日も暮れようとしています。夜行寝台車で奥さんはほとんど眠ていないのでクタクタです。彼女が疲れて動けなくなる前に宿で早めにシャワーを浴びて休む事にしました。
今晩の夕食は駅にほど近い総菜屋さんで買ったピザ・サラダ・スパゲィ・ビールを宿に持ち込み、部屋でゆっくり食べ、早く眠ることにします。

2011年2月11日金曜日

バルセロナの夜行列車 Barcelona tren nocturno

Barcelona
僕たち家族はバルセロナのサンツ駅から夜行列車でフィレンツェに向かいます。
前日サンツ駅に列車の予約を取りにいきましたが、駅の予約窓口は人だかりで僕たちたち家族も順番待ちすること30分。
それでも列車の予約は取れませんでした。日本人観光客が沢山いる予約ロビーは皆困っていましたが、なんでも予約用のコンピューターのシステムが壊れ復旧の見込みは明朝までかかるそうです、僕たちは急ぎでもないしバルセロナの居心地が良いものですからさっさと宿に帰ります。
後日、バルセロナ発20時5分で翌日の15時30分フィレンツェ着の夜行寝台の予約が取れました。
この列車は最初にタルゴという四人がけの個室に乗り、深夜12時近くに別の車両のクシェトという寝台車に移動します。
クシェトは四人用の個室で2段ベッドが二つあり、娘はこの2段ベッドが気に入り登ったり降りたりなかなか眠りません、さんざんなのは奥さんで広いとは言えないこのベッドで娘と寝なければなりませんし娘の寝相はかなり悪いのでほとんど寝られない状態。
その上夜中に相部屋の男二人組が相当怪しい行動でますます心配で奥さんは寝た気がしなかったそうです。
僕は二人組の靴下の強烈な臭いにもかかわらずかなり寝ましたが、置き引きの心配もあり貴重品はズボンの中に縛り付けて寝ります。
朝の7時に車掌さんが乗客を起こしに来て、上部のベッドを収納し下のベッドを椅子になおします。
ちょうど列車はフランスのニース辺りの海岸線を走っていて、このあたりから寝台車は4人がけの個室列車に変わります。ニース駅でしばらく停車すると一路イタリアに走り出しました。

2011年2月10日木曜日

バルセロナ,シウタデリャ公園 Parc de la Ciutadella,Barcelona

Parc de la Ciutadella
公園の池
公園のジャングルジム
シウタデリャ公園は1888年にバルセロナで国際博覧会が開かれた会場跡地にあります。
動物園・動物学博物館・地質学博物館・近代美術館などがありますが、それらに興味の無い娘はまずはブランコやジャングルジムなどが気に入り一人で遊んでいました。そこへ地元の男の子がやって来て(娘と同じ年ぐらい)一緒に遊ぼうと付きまといます、娘は大泣きして男の子に「バカー」と拒否、彼は2度ほど娘と遊ぼうといいよるのですが娘の剣幕にたじたじで逃げていきました。
奥さんはそんな娘に「もったいないなー遊べなくて」と独り言。
公園には池がいくつかありますが、僕たち家族が遊んだのは小さなかわいい池で白鳥などの水鳥やハトが沢山います、人が餌をくれる事を心得ていて寄ってくるのです。
パンの食べかすを出せば白鳥やカモメが池のふちまで食べに来ます、海が近くなのでカモメがいても不思議じゃないのですがなんとも奇妙。
娘は鳥たちに餌を与えては大喜びで、しばらくここを動こうとはしませんでした。

バルセロナ BAR NURIA

バルセロナ大学付近の路地
バルセロナで通いつめたバール・ヌリア(BAR NURIA)。
僕たち家族の朝食はほぼこの店。バール・ヌリアはバルセロナ大学の斜め前の交差点の向かいにあります。
娘は毎朝8時頃起きだし、ベッドの上でしばらくごろごろしています。
奥さんは軽くお化粧をして、身支度を整えます。
僕は今日の散歩のコースを何処にするかぼんやり考えています。
家族を目覚めさせるのは、バール・ヌリアのおじさんがカウンターのむこうでつくる生ハムのサンドイッチ、これがとてもおいしいのです。
サンドイッチは1つ240ペセタ(1990年)240円ほどで、大きな丸いパンに生ハムとトマトが挟まっているシンプルなもの。
コーヒーは一杯80ペセタと格安。
僕たち家族の朝食は10時頃でしたので、お店はそんなに混雑していません。
娘も奥さんも僕も時間をかけてゆっくり食べます。

2011年2月9日水曜日

バルセロナ,ホテル・ルレオ Hotel Lleo,Barcelona

ホテル・ルレオ室内
バルセロナで宿泊したホテル・ルレオ2つ星でしたがおんぼろホテル。
数軒断られてやむなく泊まりました。場所はバルセロナ大学の近くですこし路地に入った所です。
宿を決めるにはいつも客室を見せてもらい、料金と設備を確認して決めるのですが、この日はどの安ホテルも満室。
だいたい2つ星ホテルはトイレが付いているのが基本で良心的なところはシャワーも付いています(浴槽は在りません)このホテルはトイレもシャワーも共同です、その上客室の改修工事をやっていて昼間はとにかくうるさいのです。近くからコンクリートをはつるけたたましい音がしょっちゅう聞こえてきます。
僕たち家族は3日滞在しましたがお湯もまともの出ませんし、暖房もききがわるく室内は寒いのです。
驚きは客室のインテリアなんと壁一面に竹の絵のクロスが張ってあります、日本でもめったにお目にかかりません。その壁に安物の照明が付いていて、まるで台所のつり戸棚にある棚下灯、洗面室も無く部屋の片隅にリノリウム製のシートが貼ってありトイレに置いてあるような洗面台が有るだけでした。
ホテルの料金は一人5,000ペセタ(1990年)で娘は無料。この辺りの標準料金が2つ星で1人7,000から9,000ペセタ、娘も子供用ベッドを使用すればプラス3,000ペセタほど取られますから贅沢は言えません。
それでもホテルのおばさんは親切に面倒を見てくれましたし、なんと帰りにはお土産までいただきました。
あれから20年以上たちこのホテルも今はどうなっているか知りません。

2011年2月8日火曜日

バルセロナの人気者 Popular en Barcelona

Carrer de Ferran, Barcelona
 娘はアパートの管理人さんにトラックのおもちゃをもらい大喜び。
大事にしてましたので寝ても離しません、管理人さんは娘の事を男の子と思っていたらしく最後まで人形やぬいぐるみはもらえませんでした。
道行く地元のおじさん、あばさんや子供たちに何度も声をかけられるほど人気者です。
パン屋さんで僕たち家族がパンを買っている最中に老夫婦が僕たちに話しかけてきました、もちろんスペイン語は分かりませんからお店のお姉さんが仲介に入ってくれて英語に訳してくれます。
その老夫婦は今晩夕飯をごちそうしますからどうか3人で我が家に遊びにきてくれと言うのです、娘がとてもかわいいからだそうです。
僕たち家族はぜひとも行きたかったのですが今夜は宿に夕飯を予約しているし、そのうえまるでスペイン語が話せないのでは相手の夫婦に迷惑をかけると思い、老夫婦のお誘いを断ってしまいます。
今思えば行っておけば良かった。パン屋さんでその夫婦とお店のお姉さんと僕たちは少し話しをして別れましたが、相手の夫婦は本当に残念そうでした。
バルセロナのお店

バルセロナの路地