2011年1月31日月曜日

バルセロナの宿ペンション・チキート Pension Chiquito,Barcelona



Pension Chiquito

バルセロナの宿はペンション・チキート。
バルセロナ大学の目の前にある日本人が営むペンションです。
ペンションから大学まで歩いて3分程の場所ですから、宿にはバルセロナ大学にかよう日本人留学生がたくさん下宿しています。
ペンションはアパートの5階にあり奇麗な階段をつかいます、このアパートにはエレベーターはありません。それでも娘は毎日この階段を楽しそうに上り下りします。
宿の食堂で夕飯を食べることができ、前日に夕食を頼んでおけばおいしい日本食がたらふく食べられます。
ほとんど僕たち家族は安い地元の食堂に行くか、パン屋やスーパーマーケットで惣菜を買い込んで宿で食べますから、ペンションでの夕食は2度。献立は焼き魚や肉じゃがなどそれに漬け物とみそ汁にご飯、どれもとても美味しい。
洗濯も頼めばペンションの人がやってくれます、これには奥さんも大喜び。
もちろん夕食も洗濯も別料金ですが。
ペンション・チキートのあるアパートの階段


管理人のおじさん
ペンション・チキートのあるアパート入口
ペンションには1週間ほどお世話になりました。
毎朝僕たち家族に日本語で「おはよう」と声をかけてくれる管理人のおじさん。
おじさんはかならず娘のほほをなで、ポケットから取り出したお菓子をくれます。
ペンションに滞在して3日めに娘はおじさんからおもちゃをもらいます。
贈り物はカラフルな自動車でそれはかわいいトラックです。
娘は毎日トラックを大事に抱えて出かけます。
おじさんはおかっぱあたまでズボンすがたの娘を男の子と思ったのでしょう。

バルセロナ,グエル公園 _2 Casa-Museu,Barcelona

Casa-Museu
Parc Güell
Casa-Museu入場券
グエル公園の中にはガウディ記念館があります。
入場料は一人100ペセタ(1990年)で当時約100円。室内にはアールヌーボーの家具や調度品が展示された素敵な家です。
グエル公園は人気の公園で沢山の人が訪れます。地元の小学生が僕たち家族によってきては僕たちの名前を漢字で書いてくれとノートとペンを差し出します。彼らのノートに漢字で名前を書くと子供たちは大喜び。
子供達は次々に観光客を見つけては、名前をせがんでいました。
バルセロナの人はおじさんもおばさんもとても親切でちょと困っていると、どうしたんだと心配そうにすぐに助けてくれます、小さい子供連れのしょぼいアジア人ですから同情をかいやすいのかもしれませんが。

バルセロナ,グエル公園_1 Parc Güel,Barcelona

グエル公園入り口
トカゲの噴水
Parc Güell
娘と奥さんと僕はバルセロナのカタルーニャ広場から地下鉄L3に乗り4駅目のLesseps駅で降り地上に出ます、そこからトラベセラ・テ・ダルトの大通りを東に向かうとララルト通りが見えてきます、ララルト通りを左に入り突き当たりにグエル公園の入り口。
この公園はガウディさんの設計したものです。
グエル公園は小高い丘の上にありますから、娘を乗せた安物のベビーカーで坂道を上るのは大変です。
公園には沢山の花々や木々があり小さな蝶が飛んでいました。そこに小さな滑り台とブランコがあり娘は大喜びで遊びます。
公園の建造物はどれも植物のように柔らかで地上に生えているようです、直線、直角はほとんど無いのです、職人さんのすばらしい仕事に感動です。
グエル公園手前の小さなBARで休んでいた時の事、おやじ二人組が近づいてきて一人がコーラの缶をわざとらしく奥さんのわきに落とします。おやじが奥さんに缶を取ってくれとスペイン語で話しかけます。そのおやじに気を取られている隙にもう一人のおやじがベビーカーにぶらさげていた奥さんのカバンを盗もうと手を伸ばす。
奥さんが大声で「NO」すると二人組は逃げていきました。
こんなコントが見れるのもグエル公園の良いところ。
グエル公園

2011年1月24日月曜日

パリ,サン・ジェルマン・デ・プレ教会 St Germain Des Pres,Paris

St Germain Des Pres
サン・ジェルマン・デ・プレ教会となりの公園
地下鉄4号線St Germain des pres駅を出るとすぐにサン・ジェルマン・デ・プレ教会があります。
古い小さな教会です、街にひっそりと建っていますがずいぶん由緒ある建物だそうです。娘は隣の公園が気に入りしばらくカタツムリのようなすべり台で遊びました、近所の子供たちもおばあちゃんと遊びにきています。
少しばかりの遊具と砂場しかありませんが日当りの良い静かな所です。
時々娘は昼寝をします。ベビーカーで移動中だろうが気がつけば寝ています、沢山食べて沢山寝る事が一番。ここまで強引につれてきた僕ですから娘と奥さんの体調が一番大事。それにただ街をぶらぶらする事がおもしろいのですから、どこにいようが楽しくて。

今日のお昼ご飯は教会の近くのイタリア料理屋のMAISON DTTAUEでスパゲティとワイン、歩き疲れたか少し酔いました。

パリ,エッフェル塔 Eiffel Tower,Paris

夕暮れのエッフェル塔
エッフェル塔入場券

エッフェル塔がこんなにも奇麗だとは思いませんでした。
エッフェルさんは技術者で芸術家です、エッフェル塔のエレベーターは最初少し斜めに上昇します。第一展望室までは料金が安いのでその上には登りませんが。
夕方到着したので、日が暮れたパリの夜景が楽しみでしたがエッフェル塔そのものの夜景がこれまた良いのです、オレンジに輝く姿は可憐で素敵です。
Eiffel Tower, Paris

パリでは子供たちが集まりそうな所には回転木馬がきちんとあります。真冬でなければ回転木馬が設置され、どこもおじさん一人で営業しています。
地元のお母さん達は子供を回転木馬に乗せると、近くのベンチに座り読書をして少しばかりの休息をとります。
回転木馬のわきには子供たちが好きなお菓子や飲み物の露店があり、回転木馬とセットで楽しめる。
1990年だと思いますがパリ郊外にディズニーランドがオープンしました。僕たちがパリにいた頃すでに話題になっていたのですが行く気にはなりません。
遊園地はもともと移動式でお祭りがあると公園や広場に設置されます、期間が過ぎればまた次の町に行くのです、サーカスもそうです。すーとやって来てまたすーとなくなる遊園地、夢のように幻想的ではかないところが良いのでしょう。

2011年1月21日金曜日

パリ、アゥステリッツ駅 Austerlitz, Paris

Austerlitz, Paris
僕たち家族は駅の予約窓口でバルセロナ行きの寝台車の切符を買うため、アゥステリッツ駅にやって来ましたパリからバルセロナに向かう列車の始発駅はここアゥステリッツ駅なのです。
パリからフランスとスペインの国境にある町ポート・ブーで入国審査をして、バルセロナに行きます。トーマスクックの時刻表ではパリ発午後9時45分の寝台列車クシェットは翌日の午前11時50分にバルセロナに到着予定。
予約窓口の駅員さんにユーレイルパスの手続きをしてもらい、それからバルセロナ行きの2等寝台列車の予約をするのですがこれがたいへん。駅員さんとフランス語の辞書片手に筆談、またしても難儀な事でした。
ようやく予約が取れたときには立っているのもしんどくて、駅のベンチに座り込むほどくたくた。
翌日、娘と奥さんと僕は夕方4時にアゥステリッツ駅に到着すると、駅のコインロッカーに荷物を預て、夕暮れのパリの街へ。

アゥステリッツ駅に戻り、コインロッカーから荷物を取り出すのに一苦労。コインロッカーはカギ式ではありません。まず荷物をコインロッカーに入れて20フラン(1990年)を入れると紙が出てきます。紙は2枚重ねで、めくると5桁の暗証番号が書いてあります。ロッカーを開けるにはこの暗証番号をテンキーで入力しないと開きません。これも理解するまでに相当悶絶する事になります。
アゥステリッツ駅の売店で夜食用のサンドイッチとビールとジュースを買い、僕たち親子はバルセロナ行きの夜行列車に乗り込みました。
バルセロナ行きの乗車券


コインロッカーの注意書き

ユーレイルパス EUREILPASS

これはユーレイルパス、ほぼヨーロッパ全域にある鉄道を乗車できる定期券。
僕たち家族は2ヶ月間有効のパスを購入していきました、5泊分のホテル宿泊付きでスペインで使えば4星に泊まれたのだけどパリで使いました。
寝台特急などは乗車賃と運賃はいりませんが寝台車の使用料が追加でかかります、だいたいパリからバルセロナまで一人2,300円ぐらい(1990年当時)、4人用の2等寝台車ですが特に狭くありません。
最初に乗車する駅でパスに使用開始日と最終日を記入してもらいます、最終日の24時まで使う事ができます。
ユーレイルパスにはトーマスクックの時刻表が付いてきます。時刻表をぱらぱらめくり路線図と時刻表を見ているだけでもあきません。JRのように頻繁に時刻表が変更になりませんし過密でもありません。
列車での出入国は国境の駅で下車するときもありますが、寝台車に乗車して深夜国境を越えるときなどは車掌さんがパスポートを一時預かってくれて入国の手続きを代わりにしてくれます。

2011年1月20日木曜日

パリ,ヴァンセンヌ動物園 Parc zoologique de Vincennes,Paris

Parc zoologique de Vincennes ヴァンセンヌ動物園入り口
動物園の入場券
娘が「動物園に行きたい」そんなわけで、今日はヴァンセンヌ動物園に行きます。
ホテルから地下鉄に乗りPere Lachaise駅で2号線に乗りかえDaumesnilで今度は8号線に乗りかえてPorte Doree駅まで行きます、そこから5分程歩けばヴァンセンヌ動物園の入口が見えてきます。
水色のチケットは動物園の入場券一人36フラン(1990年)、前回のジャルダンテ・プラント動物園よりかなり規模が大きくなんと動物園内を3両編成のかわいい蒸気機関車が走っています。もちろん機関車でなくタイヤで走る電気自動車。
動物園の通路は広く一般道路なみ、小さな蒸気機関車が脇を通りすぎても人が避けるのでなく機関車が避けてくれます。
園内はとにかく広いので動物たちは柵の無い所でのんびりしています。しかし3月初旬のパリはとても寒いのでアフリカ育ちの動物達は巨大な宿舎で暖をとります。
キリンがいる宿舎などは天井が高く6メートル以上はあるでしょう。その壁一面にアフリカのサバンナの風景が描かれています、ペンキで木々や遠くに山々がありダチョウなどの動物まで描かれているのです。手前に本物のキリンがいるので妙な気もしますがこれが銭湯みたいでなかなか良いのです。
暖房の効いた宿舎のなかはそれはそれは臭いのです。娘はあまりの臭さに鼻をつまんで「くさいくさい」。換気をすれば寒くなりますし燃料費もかさみますから。動物たちの体臭と排泄物や餌それに敷き詰められた藁といろんな臭いが混ざり合います、臭いから良いのでしょう。
Parc zoologique de Vincennes

2011年1月18日火曜日

パリ,アンヴァリット Invalides,Paris

Invalides,Paris
娘と奥さんと僕は宿からでると、Métro 3号線でOpera駅まで行き、そこから8号線に乗り換えInvalides駅で下車。駅から少し歩けば、アンヴァリット廃兵院に到着。
ルイ14世が造ったそうで、その後ナポレオンが廃兵院とした建物は金色のドームが眩しい宮殿みたいなところ。パリは何処でもそうなのですが由緒正しき建造物や橋、銅像など昨日塗ったみたいな金色、少し嫌みたらしいところがあります。
アンヴァリットにはナポレオンの墓がありますがそこは行かず、軍事博物館に。
教会の天井近くには、第二次世界大戦時の各国の国旗がずらりと並びます。そこに大日本帝国の日の丸が薄汚れて黄ばみ、死者のシーツのようにぶら下がっています。
僕たち家族だけ、ひとけのない静かな教会はなんとも不気味。
アンヴァリットを出ると、娘はお腹がすいたようで「ごはんごはん」。
Invalides,Paris
今日のお昼は『らーめん亭』、なんでこんなとこに行ったかな。1990年のことです、いまではこの店はないでしょう。
店の場所はセーヌ川のCARROUSEL橋を渡りリシュリュー通りを北に行き、ルーブル美術館を通り抜け、パレ.ロワイヤル手前のサントレ通りとオペラ通り交差点を左に入りすぐのところ。
この店でお昼を食べるなら、店の前の小さなかわいい噴水がある広場でクロワッサンでも買って食べた方がよほど幸せでした。
僕たち家族はらーめん亭で、ラーメン、餃子、チャーハン、キューリの漬け物を食べます。
おいしくないのに108フラン。3,000円あればもう少し何とかなりそうなものなのに、なにせラーメンと餃子ですから。
それでも娘はチャーハンが気にいり沢山食べてご満悦なのでこれで良いのでしょう。
パリ、らーめん亭

2011年1月17日月曜日

パリ,ノートルダム,パンテオン Notre Dame, Panthéon,Paris

Notre Dame.paris
僕たち家族は朝ホテルで目が覚めてやけに寒いことに気が付きました。3月初旬のパリは底冷えがします。ホテルの中はシャツ一枚で快適すが、街は朝から雪が降っています。
娘は目がさめると、さっそくテレビをつけてカリメロなど日本のアニメを見ます。もちろんフランス語なので何を言っているのか分かりませんが。

僕たちは朝食を食べにホテルの1階にある食堂に向かいます。
バイキング形式の食堂で娘はケロッグ・コーンフレークをたらふく食べました、ずいぶんお腹が減っていたのでしょう、昨夜はろくなものを食べていません。
「今日のお昼は米を食べるぞ」で娘と奥さんと僕はホテルをあとにして街に出ます。

地下鉄③号線に乗り Reaumur_Sebaopol で④号線に乗り換え Cite で下車。地上に出れば目の前にノートルダム大聖堂が現れます。
Notre Dame.paris
Notre Dame.paris
冬のカチリと寒い空気が教会を満たし、薄暗い闇の中に沢山のろうそくが並び光をはなちます。
そこに毛皮のコートをはおった女性が赤いロウソクに火をつけ、静かに燭台にむかいます。
ヨーロッパの語源は美女エウロペーに由来するといわれていますが、僕はここノートルダム大聖堂で、この賢くて成熟した気高いエウロペーに出会った気がしました。
Panthéon.paris
Panthéon
パンテオンの中のパンテオン、Paris


パンテオン内部、Paris

パンテオン地下通路、Paris

その後僕たち家族はパンテオンに向かいます。後日ローマで本物を見るのですが、パリのものが偽者と言うわけではありませんが、やはりローマのものが「パンテオン」。
ピンクのチケットがパンテオン入場券、一人23フラン(1990年)娘は3歳なのに12フランの料金を取られました、どうかしてる。
途中ソルボンヌ大学がある通りのパン屋さんでパンとガムを買います、このガムはドイツ製で3個で1フラン、ひとつ約10円です。このあたりカルチェラタンは大学が多いせいか安いレストランや食品店が多い気がします、中華料理店も数件見つけました中華専門の食品店には日本製のインスタントラーメンや醤油なども置いてあります。
お昼は中華料理の高雅酒家に入ります。お店でチャーハン、海老と野菜の炒め物、鶏肉と野菜の炒め物を注文。一番喜んだのは娘でチャーハン二人前をペロリとたいらげます、奥さんと僕は娘の食欲に一安心これから長旅ですから沢山食べないと。
パリ、パンテオン入場券
パリ、中華料理店、高雅酒家
21 Rue Bonaparte,Paris


2011年1月16日日曜日

パリ,ジャルダン・デ・プラント Jardin des plantes,Paris

Jardin des plantes
僕たち家族の宿があるバニョレはパリ11区の東側。
ホテルの近くには環状道路がはしり、高層マンションが立ち並び、なんか練馬区みたいなところ。
環状道路はパリをぐるりと巡る道路ですが、首都高みたいに複雑怪奇ではありません、すごくシンプル。

 物価の高いパリで貧乏旅行の僕たちが街のレストランに入るには、それは冷や汗もの。
ですからホテルの朝食が一番のご馳走で、ここで食べねばと、とにかくたくさん食べるのです。

ホテルの1階のレストランはビュッフェ式の朝食で、日本のように品数はありませんが。
目の前のテーブルの上に、クロワッサンや丸いパン、カフェオレ、オレンジジュース、スクランブルエッグ、フライドポテト、ソーセージ、グリーンサラダとコーンフレークがずらりと並びます。

たらふく食べたら早速出発。
日本から持ち込んだベビーカーで娘(3歳半)を乗せ、ジャルダン・デ・プラントに向かいます。

地下鉄5号線Gara d Austerlitz 駅で下車すると、目の前にセーヌ川に架かるアゥステリッツ橋が見えてきます。
その向こうにはジャルダン・デ・プラント公園。上野公園みたいなところで、中央の庭園のまわりに木立に囲まれた動物園と博物館がひっそりとあります。
ジャルダン・デ・プラントの動物園


動物園の建物は開放的でゆったりして、とにかく沢山動物を集めましたから見てください、そのようなところが微塵もないのです。

がらんと空いた動物園でなぜかライオンの檻の前に人だかり。
奥さんと僕は興味津々、除雪車みたいにベビーカーで人をかきわけ檻の前に行くと、檻の中ではライオンが交尾のまっ最中。

僕達は生まれて初めてライオンの交尾をまじかで見ることに成功。
娘は驚いて震えおののくばかりで、泣き出しそう。

とてもパワフルなライオンの交尾に夢中で、僕も奥さんも檻の前で動けません。
これまで僕は柴犬の交尾ぐらいしか見たことがありませんから、「やっぱりライオンは迫力あるなー」と感心しきりで独り言、隣で奥さんもうんうんとうなずいています。
僕は良いものが見れて、パリに来たかいがあったな。
自然史博物館の入口

自然史博物館内部
自然史博物館は入り口にラマルクさんの銅像がある古い建物です。
小さな子供を連れた親子が数組ほど、博物館前の入場券売り場に集まっていました。

自然史博物館に入って驚いたのですがここはすばらしい博物館です。
館内にはクジラ、恐竜、その他沢山の哺乳類の骨格が所せましと並んでいます。

見所はホルマリン浸けの脳や内臓など、それは沢山あるのです。
その他に中生代・古生代の化石や岩石などが大量に収蔵物されています。

博物館の2階バルコニーで中学生らしき子供達がスケッチブックをひざにのせ、展示された恐竜の骨格を真剣にスケッチしています。

上野の博物館でこんな光景を見たことがありません、なんだからうらやましく思います。
僕の子供時代に生物の授業でこんな事ができたら楽しかったにちがいありません。
描く事がどんなに大切か、ただ見て歩くだけの見学は博物館を出ると一緒に記憶も頭から出て行くものです。
自然史博物館のチケット

水色のチケットは自然史博物館の入場券で、入場料金は1人18フラン(1990年)


動物園のチケット
 ピンクのチケットは動物園の入場券で、入場料金は1人22フラン(1990年)













2011年1月15日土曜日

パリの宿 novotel BAGNOLET


シャルル・ド・ゴール空港で予約をした僕たち家族の宿はノボテル・バニョレ。
僕たちが泊まった最初で最後の中堅ホテル。安宿は空港のツーリストインフォメーションでは紹介してもらえません。しかたなく10件のなるべく安いホテルを紹介してもらいます。
僕はシャルル・ド・ゴール空港の公衆電話からホテルに電話をかけまくり、8軒めでようやく(novotel paris bagnolet)ノボテル・パリ・バニョレに予約が取れました。
パリ中心部から離れている事もあり、見た目ご立派だけどその当時三ツ星ホテル、近くには高速道路、高層マンションが立ち並びおよそパリらしからぬ風景です。それでも殺伐とした東京よりは広々とした空が広がっています。
地下鉄の駅を出てすぐの所にありますが駅の出口がいくつもありホテルと反対側に出てしまい迷子、道行くおじさんに助けてもらいやっと到着。
ノボテルはパリだけでも数軒あり、後日ルーブル美術館近くでノボテルを見つけました。ホテル受付カウンターでチェクインして、たしか5階の客室に案内されました、ここには僕らのようにバックパックを背負った貧相な親子連れの客はいません。
日本でユーレイルパスを購入したのですが、このパスが使える国のホテル5泊分がおまけで付いてきます、グリーンクーポンというものです。なるべく物価の安い国で使えば、高級ホテルに泊まれるのですが、ここノボテルでこれを使いました。まあ良いでしょう、客室は広くて清潔で設備もととのい快適です。
パリではホテルやレストラン、とにかくサービスを受けるときはチップをさりげなくあげるのが習慣です、それがノボテル・バニョレはチップを受け取る人はいませんでした。

2011年1月14日金曜日

パリの地下鉄 Métro, Paris

Gare d'Austerlitz
地下鉄アゥステリッツ駅は地上にあります
Cité
娘と奥さんと僕は飛行場からバスに乗る事約1時間、ドゴール広場に到着。
バスを降り、ドゴール広場から地下鉄に乗って宿に向かいます。
Métroのch.de Gaulle_Etoileで地下鉄の切符を買うのですがこれが大変。
Gallieniまでの運賃が分かりません。改札口の駅員さんをつかまえて、僕はいんちき英語といんちきフランス語で必死。
言葉がだめだから、身振り手振りでなんとか分かってもらいました。
駅員さんが言うには「地下鉄の運賃は一律だよ」
親切な駅員さんは10枚つづりの回数券「カルネを買いなさい」とのこと。
カルネは30フラン(1990年)で750円ほど。
その後も僕は地下鉄で駅員さんに「アン カルネ シルブプレ」と声をかけます、自分でも馬鹿の一つ覚えだなと思うのですが、これがまた小学生みたいに楽しくて。
黄色の切符を自動改札機に入れて出発。
パリの地下鉄のプラットフォームはだいたい何処もトンネル状であまり広くありませんが、それぞれの駅は個性的で、タイルの壁の色や形状、ポスターの展示の仕方でなれてくると駅名を見なくとも今どの駅なのか分かります。
薄暗い地下鉄のトンネルみたいな通路でフルートを演奏している人に出会います。
すばらし音色で僕たち家族は聞き入ってしまい、それは幸せな気分になりました。
フルートを立ち止まって聞き入る人も無く足早に通り過ぎます、演奏者も人に聞かせるつもりはなく自宅のアパートでは近所迷惑なのでここで練習していますよ、そのように見えるのです。                               
地下鉄の切符
ch.de Gaulle_Etoile駅から1号線でFranklin_D.Roosevelt 駅まで行き、そこで乗り換えて3号線に乗り換え終点のGallieniまで行きます。
Gallieni駅は3号線の終点ですから広くて大きく、沢山のプラットフォームがあります。
宿の場所は知りません、地上に出たら路頭に迷うだろうな。

2011年1月13日木曜日

パリ,ドゴール広場 Place Charles de Gaulle, Paris

Place Charles de Gaulle, Paris
クレームタグ
バスの切符
シャルル・ド・ゴール空港の荷物受取所で僕のバックパックが見当たりません。
水色のチケットはキャセイ航空のクレームタグ、空港の係員にこれを見せて、『ノーバッゲージ』を繰り返します。
僕は英語もフランス語もまともに喋れませんし、ただただ係員に親子3人悲しい顔で無言のアピール。
すると困っていることはわかってもらえて(身なりの貧しい日本人親子なものだから)係員さんがとても親切に探してくれる事30分、やっと荷物が出てきました。

空港の銀行でUSドルのトラベラーズチェックを両替して(1990年当時1フラン約27円)、パリ市内行きのバスチケットを1人36フランで買い、シャルル・ド・ゴール空港からエールフランスのバスで凱旋門のあるドゴール広場まで行きます。

生まれて初めてのパリ、空港からドゴール広場まで約1時間のバスの中、奥さんは心配でたまりません。その上、娘は『早くお家に帰ろうよ』と半泣き。
奥さんは、行き当たりばったりの僕にうんざりした様子。
やれやれ、今日の宿も空港で電話してやっと8軒めで予約が取れました。でも僕はこれがまた楽しくて。
それにしてもおなかがすきました、食べ残したキャセイの機内食持ってきて良かった。