2012年7月30日月曜日

ウィーン、ベルヴェデーレ宮殿 Österreichische Galerie Belvedere ,Wien

Österreichische Galerie Belvedere  
ベルヴェデーレ宮殿、オーストリア・ギャラリー入場券
僕たち家族がお世話になった宿は、ベルヴェデーレ宮殿まで徒歩3分。
娘と奥さんと僕は、宿のおいしい朝食をいただき、その後ベルヴェデーレ宮殿の庭を散歩するのが日課。
Österreichische Galerie Belvedere  
娘は美術館など全く興味がありません、宮殿のギャラリーよりもベルヴェデーレの庭がお気に入り、おいかけっこをしたり、植え込みで虫を探したり、それは楽しそう。
Österreichische Galerie Belvedere  上宮(Oberes Belvedere)
ベルヴェデーレ宮殿南側正面入口
 ベルヴェデーレ宮殿はÖsterreichische Galerie Belvedere  オーストリア・ギャラリーとして19世紀の画家、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)やエゴン・シーレ(Egon Schiele)の絵画を収蔵しています、入場料は1人30シリング(1990年)500円ほど。
シーレの多くの作品は、悲しく切なく痛々しい、それでも"Finestre"窓という作品は、あわい黄色の壁にたくさんの窓が並んだ、あどけなく可愛らしい絵です。
観光案内書には、ベルヴェデーレ宮殿は18世紀にオーストリアの将軍オイゲン・フランツ・フォン・サボォイエン公(Eugen Franz von Savoyen)の夏の宮殿として建てられたと書いてあります。ということは別荘。
ベルヴェデーレ宮殿の建築を担当したのは、オーストリアのバロック建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント(J.L.v.Hildebrandt)さん。
ベルヴェデーレ宮殿の屋根はフランス風のデザインです。オイゲン公は生まれはフランスの貴族だそうで、建築家ヒルデブラントさんが気を使ったのか、それともオイゲン公の指示なのか。それにしても母国フランスと一戦交えるオイゲン公の胸の内は、大きな憎悪があったのでしょうか。
Österreichische Galerie Belvedere 
ベルヴェデーレ宮殿の美しい大階段 
 Belvedere  庭のスフィンクス
Belvedere  後ろは下宮(Unteres Belvedere


Belvedere  庭の噴水


2012年7月26日木曜日

ウィーンの高級インドレストランDemi Tasse,Wien

Restaurant Demi Tasse,Wien
娘と奥さんと僕は3ヶ月ぶりにカレーが恋しくなりました。そこで、今夜の夕飯はインド料理。
Demi Tasseはそれは小さなレストラン、窓には厚手のカーテンがしっかり下ろされ店内の様子はまるでわかりません。
玄関の頑丈な木製の古い扉のわきに小さく"Restaurant Demi Tasse"のプレートがぶらさがりその下にインド像ような神様ガネーシャさんが鎮座しています。
インドレストランに違いない、ということで僕たち親子は店内に。静かで品の良い室内装飾はまちがいなく高級レストラン、お腹は減ってるしこれから他の店を探すのも大変、奥さんと僕は「腹をくくるぞ」と注文を。
チキンカレー2人前、ポタージュスープ2人前、娘はご飯、奥さんと僕はナン、娘にリンゴジュース、奥さんと僕はビール。冷えたビールのおいしい事、本当に幸せ。
食後の会計で492シリング(1990年)8,300円のレシートを見たとたん、奥さんと僕の幸せな気分は一瞬に吹き飛んだのです。
Demi Tasseはベルヴェデーレ宮殿の西側をはしるプリンツ・オイゲン通り(Prinz Eugen Straße )の路面電車の停留所プレスルガッセ(Plößlgasse)のすぐそば。
この値段ですから、とびきりおいしいのです

2012年7月25日水曜日

ウィーンの大噴水 Hochstrahlbrunnen,Wien

Am Heumarkt/Hochstrahlbrunnen,Wien
アム・ホイマルクトの大噴水
娘と奥さんと僕は宿の近くを散歩中、大きな噴水を見つけました。
地図をひろげ、その噴水の場所を見ると、Hochstrahlbrunnenと書いてあります。
辞書によれば、ホッホシュトラールブルネンとはドイツ語で大きなとか、高い噴水の事だそうです。
今日の目的地は特にありませんし、娘はこの噴水がとても気に入り「ここであそぼー」。
噴水の場所は、ベルヴェデーレ宮殿(Belvedere)西側の大通りプリンツ・オイゲン通り(Prinz EugenStrasse)とベルヴェデーレ宮殿東側の大通りレン通り(Rennweg)がベルヴェデーレの北側にあるシュバルツェンベルク宮殿(Palais Schwarzenberg)の前で大きく半円を描いて交わる広場にポツリとあります。

2012年7月24日火曜日

ウィーン、カフェ・ムゼウム CAFE MUSEUM,Wien

カフェ・ムゼウムの砂糖の包み紙
娘と奥さんと僕はウィーンを散歩しながら、あちこちのカフェに入ります。季節はもうすぐ5月、春だというのに寒い毎日。娘も寒そうですから、暖をとるため僕たち家族はカフェに飛び込みます。ウィーンにはあちらこちらにカフェがあり、繁華街だけでなく小さな路地裏にもきちんとカフェがありますから、ありがたい。
CAFE MUSEUM,Wien
カフェ・ムゼウム(CAFE MUSEUM)はウィーン分離派館(Wiener Secession)から歩いて3分ほどのところにあります。ヴィーナー通り(Wiener Straße)がジラルディ・パーク(GirardiPark)の木立を大きくカーブして東に向かうあたりで、北に枝分かれして伸びる通りがあり、この通りを入るとすぐにCAFE MUSEUMの文字が見えます
カフェ・ムゼウムは1899年に建築家アドルフ・ロースさん(Adolf Loos)が手がけたカフェです。


CAFE MUSEUMの店内
カフェ・ムゼウムの店内は白一色で装飾はなく、かまぼこ天井に細長い室内、そこに窓が規則正しく並んだ様子は列車のよう。カフェで新聞を読むおじさん、静かに会話する人達、もちろん貧相な子供連れのアジア人はいません。僕たち家族は店の奥に陣取ると、僕と奥さんはコーヒーを注文、娘は買ってきたお菓子を食べて、持ち込みは禁止、1時間程休息を取ります。コーヒー2杯で56シリング(19990年)950円ほど、どこのカフェもコーヒー1杯が500円ほど、さて身体も温まりましたから散歩に出かけましょう。

2012年7月23日月曜日

ウィンナーシュニッツェル Wiener Schnitzel,Wien

Linke Wienzeile,Wien
リンケ・ウィーンツァイレ通り
お昼ご飯となり、奥さんも僕も「ウィーンですからウィンナーシュニッツェル」。
それではと、娘を乗せたベビーカーを押して、家族3人でリンケ・ウィーンツァイレ通り(Linke Wienzeile)の庶民的な店構えの食堂に入ります。
お店の名前は覚えていませんが、大通りの歩道に小さな黒板がポツンと置いてあり、何やら食事のメニューが書いてあります。
値段もそこそこ、物価の高いウィーンですからこんなものでしょう。店内は地元の人ばかり、狭い店内に沢山のテーブルと椅子が置いてあり雰囲気は定食屋さん。お店のレシートには店の名もなくタクシーの宣伝だけ、すごい。
レシートに書いてある116は、ウィンナーシュニッツェル2人前で116シリング(1990年)、14シリングは娘のオレンジジュース、36シリングは奥さんと僕のビール2杯、で合計166シリング、2,800円程。大きな皿に娘の顔と同じ大きさのウィンナーシュニッツェル、それに付け合わせのゴロリとしたポテトフライが大量に、レモンをしぼり「いただきます」。
家族3人やっと食べきり、しばらく動けません。

ウィンナーシュニッツェルを食べた食堂のレシート

2012年7月20日金曜日

ウィーン、マジョリカハウス Majolikahaus,Wien

マジョリカハウス Majolikahaus,Wien
娘と奥さんと僕はガラクタ市場でお宝を探す事3時間、「これだ」という品は無いもので、何も買わず、それにしても楽しい市場で飽きる事はありません。
娘はさすがに飽きてしまいぐずるばかり、それではと、僕たち家族はリンケ・ウィーンツァイレ通り(Linke Wienzeile)のスーパーマーケットに入り、娘にお菓子とオレンジジュースを購入、お菓子のおかげで娘は機嫌が良くなりました。
リンケ・ウィーンツァイレ通りの市場の目の前には、壁一面を沢山の大きなピンク色の花で化粧したマジョリカハウス(Majolikahaus)がたたずんでいます。
マジョリカハウスと呼ばれるのは、外壁の花柄がイタリアのマジョリカ焼きタイルでできているからだそうです。このアパートメントは建築家オットー・ワグナー(Otto Wagner)さんの作品で1898~1899年に建てられました。マジョリカハウスと並んで右側の38番地のアパートメントもワグナーさんによるもので、こちらは最上部の外壁に大きな金メダルがずらりと9個並び、メダルから金色のツタのような植物が壁面を飾っています、それにしても金ぴか好きのワグナーさん。
マジョリカハウスと奥に38番地アパート
手前の人だかりはガラクタ市場

マジョリカハウスとリンケ・ウィーンツァイレ通り

2012年7月18日水曜日

リンケ・ウィーンツァイレ通りのガラクタ市場、Linke Wienzeile,Wien

リンケ・ウィーンツァイレ通りのガラクタ市場

Linke Wienzeile
娘と奥さんと僕はウィーンのガラクタ市場にやって来ました。
ガラクタ市場がたつ場所はウィーン中心部から南西に1.5kmほど、リンケ・ウィーンツァイレ通り(Linke Wienzeile)のUバーンのケッテンブリュツケンガッセ(Kettenbrückengasse)駅となりの広場、しかしどう見ても車をどかした駐車場。市場は毎週土曜日に開催され、沢山の人たちで賑わっています。
市場の露店には、椅子やテーブル、古着、お皿、ワイングラス、ガラスの水差し、花瓶、燭台、ガラスの空きビン、足踏み式ミシン、古いレコード、万年筆、セルロイドの人形、木製のステッキ、額縁、古本、何に使うものかわからないもの、とにかく何でもある。
お店の主人も一般の素人さんから、骨董商のおじさんらしき人と色々。
どこの店も商品の値札が無い、値段は店員の言い値。言い値で買う客はいませんから、値切りの交渉も皆が楽しそう。
僕と奥さんはこのほとんどゴミ箱のような市場で、お宝はないかとあちらに行ったりこちらに来たり。

2012年7月13日金曜日

ウィーン、シェーンブルン宮殿 Schloss Schönbrunn,Wien

Schloss Schönbrunn シェーンブルン宮殿
娘と奥さんと僕は宿を出ると、ベルヴェデーレ(Belvedere)から路面電車に乗りオペラ座(Wien Oper)で路面電車を乗り換え、30分ほどでシェーンブルン宮殿前の停留所Schloss Schönbrunnに到着。
シェーンブルン宮殿の入場券
僕たち家族はシェーンブルン宮殿の入場券を1人50シリング(1990年)850円程支払い、(もちろん娘は無料)宮殿内に入ります。
当時シェーンブルン宮殿内を見て回るには専属のガイドさんと一緒でなければなりません。ガイドさんを先頭に後から観光客10人程がぞろぞろ付いて回るのです。
入場者は宮殿入口付近で自分の観光ガイドさんを選びます。ガイドさんはドイツ語、フランス語、イタリア語、英語とわかれています。
僕たち家族はどの言葉も分かりませんから、英語担当の優しそうな女性のガイドさんを選びました。
Schloss Schönbrunn
Schloss Schönbrunn

Schloss Schönbrunn
 シェーンブルン宮殿の正面には巨大な庭が広がり、庭の池の先にグロリエッテと呼ばれるパビリオンが建っています。なんでもギリシャ様式をまねた記念建造物で最上部にはハプスブルグ家の紋章である双頭の鷲が羽ばたいています。
グロリエッテ中央にカフェがあり、シェーンブルン宮殿を眺めながらコーヒーが飲めるのです。
Schloss Schönbrunn

Schloss Schönbrunn
グロリエッテには巨大な守護神の彫像が、神社の狛犬みたい。
シェーンブルン宮殿は18世紀後半に、ヴェルサイユ宮殿に負けてなるものかとハプスブルグ家君主の離宮として建てられたそうです。設計はオーストリアのバロック建築家エルラッハさん(J.B.F.v.Erlach)。

2012年7月11日水曜日

美術史美術館のカフェGERSTNER,Wien

Gerstner、砂糖の包み紙
娘と奥さんと僕は美術史美術館で沢山の絵画を見て歩きへとへと。
そこで僕たち家族は美術史美術館の2階中央ホールにあるカフェGERSNERで一休み。
カフェからマリア・テレジア広場を見下ろせるテーブル席に腰掛けるて、さっそく3個のザッハトルテと娘はオレンジジュース、奥さんと僕はコーヒーを注文。
チョコレートの固まりのようなトルテは強烈に甘い、さすがの娘も一口食べて「もういらない」1個32シリング(1990年)550円程もするのに。
レシートには
TISCH 1 SALDO テーブル席
EINSPANNER  アインシュペンナーは生クリームをのせたコーヒー
PAGO      支払額
TORTEN     トルテなどのお菓子
                     
BETRAG 1    コーヒーやトルテなどの合計金額 
BETRAG Ⅱ    税金の合計
MWST 10%    10%に該当する税金
MWST 20%    20%に該当する税金 
MWST_GESAMT  税金の合計
GESAMT_TOTAL  総合計
それにしても186シリングとは、コーヒーとケーキで3,100円は高い。
GERSTNERは19世紀中期からある老舗だそうですが、庶民的じゃない。

                         
Gerstner,レシート

2012年7月9日月曜日

ウィーン美術史美術館、Kunsthistorisches Museum,Wien

美術史美術館のカタログ
娘と奥さんと僕はマリア・テレジア広場(Maria Theresien Platz)を散歩、どんよりした空と寒い北風で身体が冷え、その上、今にも雨が降りそう。僕たち家族は広場から美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)に逃げ込みます。
僕たち家族が美術館に入ると、外からパラパラと雨の音。美術史美術館の入場料は1人45シリング(1990年)当時760円ほど、もちろん娘は無料、美術史美術館のカタログは118シリングで2,000円ほどで購入、これは英語版。
19世紀期末に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph Ⅰ)が博物館として建てたもの、マリア・テレジア広場をはさんで美術史美術館と自然史博物館が向き合うように建っています。

美術史美術館の入場券
KunstHistorisches Museum,Wien
美術史美術館は絵画が有名ですが、古代エジプト、ギリシャ、ローマのコレクションが膨大にあります、もちろん16世紀のベルギーの画家ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude) の収蔵数は世界一、ここで「バベルの塔」を見るだけでも来たかいがあります。17世紀のスペインの画家ベラスケス(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez)、同じく17世紀の画家ルーベンス(Peter Paul Rubens)とそれはすごい。
ところが娘も奥さんも僕も、古代エジプト部門のミイラのコレクションがお気に入り、ヒヨドリぐらいの小さな鳥のミイラ、コウノトリのような大きな水鳥のミイラ、イヌのようなミイラ、ワニのミイラ、ミイラだけで動物園ができそう。
娘が唯一まじまじと見た絵は、15世紀のイタリアの画家アンドレア・マンテーニャ(ANDREA MANTEGNA)作のセント・セバスチャン、娘は一言「かわいそう」。
三島由紀夫は「仮面の告白」でグイド・レーニ作のセント・セバスチャンを絶賛していますが、どんな思いからでしょう。セバスチャンはローマ皇帝に仕えた護衛兵でありながらキリスト教徒になり、最期には木にはりつけられ体中を弓矢で貫かれて死んだ殉教者。

セント・セバスチャン

2012年7月6日金曜日

ウィーンのホット・ドッグ

ウィーン、ホット・ドッグの屋台のレシート
娘と奥さんと僕はお腹がすいたので、ファヴオリテン通り(FavoritenStrabe)の屋台でホット・ドッグを3つ買います、当時1個20シリング(1990年、340円ほど)、大きなソーセージがどかんと入っているだけのシンプルなもの、それを茶色の紙に包んで手渡してくれます。
娘はよほどお腹がすいていたのでしょう、2本のソーセージをぺろりと食べてご満悦。僕と奥さんは娘が食べ残したソーセージ抜きのパンを食べるのですが、これまたおいしいのです。ウィーンではあちこちにホット・ドッグの屋台がありますから、娘が「おなかがすいた」でホット・ドッグ。
ホット・ドッグのレシートはカールスバーグ(Carlsberg)のメモ帳、ビールが飲みたい所ですが今日は寒くて、それに北風の吹く路上。カールスバーグはデンマークのビール会社、僕はてっきりドイツ産だと、緑色のビンが森林浴みたいに魅力的、青島ビールも緑色ですが。

2012年7月2日月曜日

ウィーン、マリア・テレジア広場 Maria Theresien platz,Wien

Maria Theresien platz,Wien
マリア・テレジア広場、後ろはヘンデル広場の城門
娘と奥さんと僕は路面電車をブルクリンク(Burgring)で降り、そのままブルクリンクの大道りを少し西に歩き、マリア・テレジア広場(Maria Theresian platz)に到着。
もうすぐ5月なのに、どんよりした雲が広がり北風が通り抜けるブルクリンクをはさんで、北側にヘルデン広場(Heldenplatz)、そして南側にはマリア・テレジア広場。ヘルデン広場の入口には、ローマの城壁のような5つのアーチが仲良く並ぶ城門(Burgtor)がぽつりとあります。
マリア・テレジア広場の中央に大きな銅像、それは馬に乗った兵士が護衛する小さな神殿の上の玉座にすわる女帝マリア・テレジア。それにしても寒くて僕たち家族は広場でのんびりできません、急いで美術史美術館に逃げ込みます。