2012年6月22日金曜日

ウィーン、ホーフブルク王宮 Hofburg Palace,Wien

Hofburg Palace,Wien
娘と奥さんと僕は雨上がりのミヒャエル広場(Michaeler Platz)にやって来ました、ホーフブルク王宮(Hofburg Palace)前の芝生は水滴のせいか、あざやかな緑色。
円形のミヒャエル広場に弧を描くように建つこのホーフブルク王宮は裏側だそうで、ほんとかな。建物の最上部に輝く金色の双頭の鷲はハプスブルグ家の紋章で、大きく羽を広げたその姿はまるでキングギドラ。僕は子供の頃キングギドラが大好きで、なんど映画館に通ったことか。
観光案内書によれば、この宮殿は13世紀から20世紀にかけて、多くの建物が増築に増築をかさね、王宮全体は沢山の建物が複雑にからみあっているそうです。
僕が思うに迷宮、足を踏み入れた者はけっして王宮から出られない、「それは魅力的だな」と僕、奥さんは「時間の無駄」という事で僕たち家族はホーフブルク王宮を後にするのでした。

2012年6月21日木曜日

ウィーンの靴屋 Schuhmoden Fasching KG,Wien

ウィーンの靴屋 Schuhmoden Fasching KG,Wien
娘の靴がいたんできて、その上いやな臭いでかわいそう。
奥さんが娘に「新しい靴を買いましょう」と街に出ることに。
僕たち家族は宿の前のプリンツ・オイゲン通り(Prinz Eugen Strasse)にある路面電車の停留所ベルヴェデーレ(Belvedere)から路面電車に乗り込みます。
ウィーン南駅に近いスートティローラー広場( Südtiroler Platz)で路面電車を下り、そこから歩いて北に向かうファヴォリーテン通りFavoritenstraße)で靴屋さんをさがします。
このあたりはウィーン10区のファヴォリーテン(Favoriten)と呼ばれる所、観光客はほとんどいません。
小さな店が建ち並ぶ庶民的な街には地元の買い物客が行きかいます。
Schuhmoden Fasching KGはこの商店街にひっそりある靴屋さん。
店内は薄暗くけっしてきれいとはいえません。
娘の小さな足に合うサイズがなかなか見つからず、僕も奥さんも次々娘に靴を履かせては、取り替える。
それを店員さんが怪訝そうな顔でじろり、しかし何もしてくれません。
もちろん僕はドイツ語がまともに話せませんから、いんちき英語で応戦しきり。
やっと見つけたちょうど良いサイズの靴は水色とピンクの2色のかわいい靴。
靴の値段は239シリング(1990年)4,000円ほど。
庶民的な金額ではありませんが、素敵な靴なので買う事にしました。

2012年6月20日水曜日

ウィーン、グラーベン Graben,Wien

グラーベン通り Graben,Wien
娘と奥さんと僕はグラーベン通り(Graben)を散歩。ここは車が通りませんからのんびりできます、通行人を眺めたり、お店を冷やかしたり。
グラーベン通りはシュテファン大聖堂の向かいに建つガラスの建築Haas_Hausのわきを抜け西に伸びる大通りで、距離は短いのですが東京の銀座に似ています。
通りには高級宝石店などが立ち並び、人通りの多いにぎやかなところですが、貧相な僕たち家族には高級宝石店など関係ありません。それでも奥さんはやはり気になるようです。
WAHLISS
ワーリス陶器店
 グラーベン通りにほど近いケルントナー通りのワーリス陶器店(WAHLISS)のインテリアデザインは1986年にコープ・ヒンメルブラウ(COOP HIMMELBLAU)が手がけました。
ウィーンは突然こんなのがぼそっとあるのでびっくりします。
SCHULLIN_1

SCHULLIN_2
グラーベン通りにある高級宝石店です。シュリン(SCHULLIN)1号店と2号店。
ハンス・ホラインさんの作品で1号店は1974年に、2号店は1982年完成。
僕たち家族がウィーンを訪れたのは1990年、今ではシュリン宝石店は引っ越したとか。
僕は2号店の入口上部にある2本の柱に支えられたオルドワン石器のようなちょんまげが、とても気に入りました。

2012年6月19日火曜日

ウィーン、コールマルクト Kohlmarkt ,Wien

ミヒャエル広場 Michaelerplatz,Wien
娘と奥さんと僕はミヒャエル広場(Michaelerplatz)から北に伸びるコールマルクト(Kohlmarkt)地区にやって来ました。観光案内書によれば、この場所でかつて石炭を売る店があったことから石炭市場(Kohlmarkt)と呼ばれ、その名が残ったそうです。
夕方6時半に娘が「おなかがすいた」で、僕たち家族は近くの中華レストランに。
当時(1990年)ウィーンの物価はかなり高く、安い食堂がなかなかないのです、僕たち家族はスーパーやパン屋さんで安い食品と飲み物を買い、公園や広場で食べるのがいつものことで、レストランに入ったのは数回。
夕飯で食べたもの、卵のスープ、春巻、アスパラと鶏肉の炒め物、牛肉と野菜の炒め物、ご飯、デザートに杏仁豆腐、この中華レストランの杏仁豆腐は日本のものと違い、油で揚げた豆腐にハチミツがかかったものでした。ビールも飲んでレストランの会計は360シリング当時日本円で6,120円、ここは高級中華レストランだったのです。


2012年6月18日月曜日

ウィーン、ロースハウス Looshaus,Wien

Looshaus,Wien
 娘と奥さんと僕はミヒャエル広場(Michaelerplatz)に文具を買い出しに来ました。
僕たち家族は広場の近くのカフェに入り、ザッハトルテとコーヒーを注文。
娘も奥さんも僕もそのチョコレートの固まりのようなケーキにくぎずけ、ケーキに添えてある生クリームをつけて、さぞ甘いだろうと一口、それが気が抜ける程あっさりした味。
ケーキ3個とコーヒー2杯で96シリング(1990年)当時1,600円程、味より値段にびっくり。
円形のミヒャエル広場の北側に面してロースハウス(Looshaus)は建っています。
それはかわいい少女のように清楚。1911年に完成したロースハウスはその名のとおりウィーンの建築家アドルフ・ロース(Adolf Loos)さんの設計によるものです。
ミヒャエル広場にはホーフブルグ王宮(Hofburg)やスペイン馬術学校(Lipizzan Riding School)などが混沌としてありますから、このなめらかな、すっぴんの少女が栄えるのです。
Looshaus,Wien

2012年6月16日土曜日

ウィーン分離派館、Wiener Secession

Wiener Secession
ウィーン分離派館の入場券
Wiener Secession
娘と奥さんと僕はカールス教会を後にして、教会の前に広がるレッセル公園(Resselpark)で娘と鬼ごっこ。遊び疲れた娘をベビーカーに乗せ、ウィーン分離派館(Wiener Secession)めざして出発。
レッセル公園をぐるりと囲む大通りWiener Straßeを西に少し歩くと、大きくカーブして南へ向かう途中、頭に金色の玉葱をのせたウィーン分離派館があらわれます。
ウィーン分離派は1897年グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)さんを中心に設立された芸術運動。
ウィーン分離派館はその発信基地として1898年に完成、建築家ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich)さんの作品です。彼はオットー・ワグナーさんから建築を学んだお弟子さん。19世紀に花開いたアール・ヌーヴォーを身にまとっていますが、積み木を積んだような建物です。

Wiener Secession
 僕たち家族は1人40シリング(1990年)で入場券を買いウィーン分離派館に。
ここにはグスタフ・クリムトさんのベートーヴェン・フリーズ(Beethoven Frieze)が地下のギャラリーに展示されています。
それは大きな作品です。巨大なゴリラ(そう見える)の前に裸の美女がうずくまり、その手前に大きなお腹にりっぱな胸を乗せた妊婦がたたずんでいる金ぴかの壁画です。新石器時代の洞窟にあるようなプリミティブで美しい作品です。
Wiener Secession 玄関の大きな鉢を支えるカメ
Wiener Secession

2012年6月15日金曜日

ウィーン、カールス教会 Karlskirche,Wien

Karlskirche,Wien 
娘と奥さんと僕はウィーン郵便貯金局で絵はがきを出してから、4月末の少し寒い雲空の下、娘を乗せたベビーカーをガタガタ押してカールス教会(Karlskirche)に到着。
教会の前に広がるレッセル公園(Resselpark)。公園の木立の中には葉が枯れ落ちた落葉樹がぽつぽつ、教会前にはどろんとした水を貼った楕円形の池がありこれまた寒々しい。教会の前で6人の若者がなにやらおしゃべり、楽しそう。僕たち家族は寒いので急いで教会の中に逃げ込み暖をとる。
Karlskirche,Wien
16世紀初頭にペストがヨーロッパに大流行し、沢山の人々が亡くなります。ウィーンの街も当時ペストに襲われます。
観光案内書によれば、カールス教会はペストの犠牲者に大きく貢献したイタリアのミラノの司祭セント・チャールズ・ボッロメオさんのために、16世紀半ばにウィーンに建てられたそうです。カールス教会はチャールズ教会とも呼ばれているそうです。
1737年に完成したこの教会は、建築家ヨハン・バーナード・フィツャー・フォン・エルラッハ(J.B.F.v.Erlach)さんの作品、長い名前です。彼はイタリアで建築を学びウィーンに戻り、ウィーンにバリバリのバロック建築を建てます。
教会正面に、ローマで見たトラヤヌスの記念柱が2本、記念柱の間にはギリシャ風の神殿が、これはけっこう度胸がいる設計です。教会内部にある天井画がとても美しい。
たとえは変ですが、僕が好きな築地本願寺みたいな教会です。
ローマのトラヤヌスの記念柱


2012年6月14日木曜日

ウィーン郵便貯金局、Postsparkassenamt, Wien

Postsparkassenamt,Wien
ウィーン郵便貯金局
娘と奥さんと僕はウィーン市立公園でハムをはさんだパンのお昼を食べ。
公園に生息するクジャクを追いかけ回し。上空から鳩の糞をかわし。木立の小径を散歩して過ごします。
僕たち家族は週に一度、日本の両親に旅先から絵はがきを出します。そこで郵便局、どうせ行くなら美しいウィーン郵便貯金局。
ウィーン市立公園脇には大通りパルクリンク(Parkring)が南北に伸びています。その大通りを少し北に歩いて、運河の手前の小さな広場Georg_Coch_Platzに入れば、広場の正面奥にオットー・ワグナー(Otto Wagner)さんの名作、ウィーン郵便貯金局(Postsparkassenamt)とご対面。
Postsparkassenamt,Wien
ウィーン郵便貯金局の中央ホール受付窓口
 ウィーン郵便貯金局は1912年完成、100年前の建物です。その美しい姿は現在でも老いを感じません。
僕たち家族は郵便局の中央ホールに行き、絵はがきを出します。中央ホールはガラスとアルミのまっ白な部屋で、ガラスの天井からやわらかい光が室内をぼんやり照らします。ホールの床から突き出したアルミの空調用の吹き出し口も美しい、だれもがまねするデザインです。
Postsparkassenamt,Wien
ウィーン郵便貯金局の中央ホール

2012年6月12日火曜日

ウィーン市立公園、Stadtpark,Wien

Stadtpark,Wien ウィーン市立公園
娘と奥さんと僕はシュテファン大聖堂で祈りを捧げ、教会内でしばらくぼんやり。
娘の「おなかがすいた」で、僕たち家族はシュテファン大聖堂を後にします。
僕たち家族の今日のお昼は、ウィーン市立公園(Stadtpark)に決めました、ここから歩いて10分とかからないでしょう。
教会の北側にあるシュトリッツガッセ(Zedlitzgasse)通りを東に向かい、途中でスーパーに入り、パン3個とハムそれにオレンジジュースとビール2本を59シリングで買い(1990年当時約1,000円)店を出ます、そのまま東に少し歩くとパルクリンク(Parkring)の大通りに突き当たり、その裏手に緑豊かなウィーン市立公園があります。
僕たち家族がお昼を食べた場所は、公園の中程の小さな池のほとりのベンチ。
池にはアヒルやオシドリなどが沢山いて、のんびりした様子、ところが、娘が食べきれず残したパンを手に、池のほとりに近寄ると、いっぺんに沢山の水鳥が娘に群がってきます。
そこに今度は、上空からハト、スズメ、カラス、どこからきたのかクジャクまで娘のパンめがけて集まってきました。
娘はクジャクが気に入り、追いかけ回しては大喜び、ウィーン市立公園は動物園なのです。

2012年6月8日金曜日

ウィーン、シュテファン大聖堂 Stephansdom,Wien

Stephansdom,Wien

Stephansdom,Wien シュテファン大聖堂入口
娘と奥さんと僕はシュテファン大聖堂(Stephansdom)に到着。教会の前には沢山の観光客がひしめいています。僕たち家族は教会の入り口に背を向けて、近くを散歩することに、じきに人も少なくなるでしょう。教会の正面で1人たたずむ日本人のガイドさん、日本のツアー客を待っているのでしょうか、なんだか寂しそう。
Stephansdom,Wien シュテファン大聖堂内部
 シュテファン大聖堂は、白川郷の合掌造りみたいな大きな屋根ばかり目立つ教会です。
14世紀から16世紀頃まで建築され、ハレンキルへ(Hallenkirche)と呼ばれる形式の教会だそうで、この形式の教会は身廊と側廊の高さがほぼ同じで、会堂内部が一体の空間を形成していて、なごやかな感じ、神様の建物と言うより、公民館のような感じ。ドイツの教会建築に多い形式のようです。
Stephansdom,Wien シュテファン大聖堂の説教台

2012年6月7日木曜日

Haas_Haus, Wien

Haas_Haus
娘と奥さんと僕は、ケルントナー通り(Kärntner Straße)を娘を乗せたベビーカーを押して、ごとごとシュテファン大聖堂に向かいます。
シュテファン大聖堂の目の前には、ガラスとアルミのHaas_Hausが建設中、1990年春の事です。
Haas_Hausはウィーン生まれの建築家、ハンス・ホラインさん(Hans Hollein)の作品です。大理石のパネルとガラスのカーテンウォールの美しい曲面が、太陽光を反射して街を照らしています。そしてHaas_Hausの最上部には、なんとアルミのちょんまげがきりりと伸びて、それはりりしい建物です。ここが大事なのですが、建設現場の仮囲いも、容赦なくきっちりデザインしています、これはすごい。
1990年春、Haas_Hausは建設中。後ろにはシュテファン大聖堂

1990年春、建設足場のあるHaas_Haus

2012年6月4日月曜日

Lindt,CRESTA SWISS MILK CHOCOLATE

Lindt,CRESTA CHOCOLATE
リンツのチョコレート
娘がウィーンで食べたチョコレート、リンツのクレスタ、トヨタの車ではありません。
僕たち家族がケルントナー通り(Kärntner Straße)のお菓子屋さんで見つけたもの。
チョコレートと言えばスイスのリンツ、僕はチョコレートは明治だと思っていますから知りませんでした。
後日調べたところ、僕たちが今日おいしいチョコレートを食べられるのは、このリンツさんのおかげ。
なんでも1800年代後半に現在のおいしいチョコレートの製造に成功したのがスイスのリンツ社なのだとか。チョコレート・クレスタは1個、10シリング(1990年)当時170円程、明治の板チョコに劣らぬおいしさです。