2013年4月11日木曜日

Palais Gabriel. Paris

コンコルド広場のオベリスクの後ろに
Palais Gabriel(パレ・ガブリエル)
ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)の小説「青空」にこう書かれています。
マドレーヌ寺院(La Madeleine)の前に立って、コンコルド広場(Place de la Concorde)へ通ずるロワイヤル通り(Rue Royale)を見渡すと、西南へ向かって、コンコルド広場入口のパレ・ガブリエル(Palais Gabriel)の列柱、広場中央のオベリスク、セーヌ対岸のパレ・ブルボン(Palais Bourbon)、アンヴァリッド(Les Invalides)のドームの順にほぼ一直線になって見える。
コンコルド広場の噴水の後ろに
Palais Bourbon(パレ・ブルボン)
パレ・ガブリエルはアンジュ=ジャック・ガブリエルの設計で、1760年から1775年に建設された2つの宮殿。ロワイヤル通りを挟んでコンコルド広場に向き合うように建っている。
アンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange_Jacques Gabriel)はヴェルサイユ宮殿を手がけた王室建築家、コンコルド広場も彼が設計したもの。
パレ・ブルボンはルイ14世の娘のブルボン公妃とモンテスパン夫人が1722年に建設させた宮殿。コンコルド広場に向いた正面はギリシャ神殿のような列柱が並ぶ。
Les Invalids
アンヴァリッドのドーム
「青空」のあとがきにこうあります、「青空」が書かれた1935年はスペイン戦争の最前夜であり、それにつづく第2次対戦の前夜であった。物語の主人公の緊迫した精神状態がそうした状況の緊迫、真っ黒な予感といかに深くかかわりあっているかは一読自明である。

僕たち家族もマドレーヌ寺院から同じように歩いてみます。おのぼりさんの僕達は緊張感なんぞありませんが。
コンコルド広場は1793年から1795年にかけて、ルイ16世、マリー・アントワネット、シャルロット・コルデー、ダントン、ロベスピエールをはじめ1,300人以上の人々がギロチンにかけられたそうです。

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