2013年4月26日金曜日

Café le Pélican rouge,Paris

パリのカフェ赤ペリカン
Cafe le pelican rouge,Paris
Café le pélican rouge はトルコ料理の大衆食堂、とてもカフェとはいえません。
店先の大きなジャーケバブが床屋のサインみたいにグルグル回転して、肉が焼けるいいにおいが路地に。
パリ北駅(Gare du Nord)正面のダンケルク通り(Rue de Dunkerque)にある小さな食堂、
"Café le pélican rouge"カフェ・赤ペリカンはどう見ても下町の焼き鳥屋、僕たち家族はなんのていこうもなく店内に。
僕たち家族が食べた昼の定食はヨーグルトのドレッシングのサラダとゆでた豆の付け合わせがどっさりのジャーケバブ、あざやかな黄色のサフランライスらしきものにコンソメ味のスープがかかったもの。娘はオレンジジュース、僕と奥さんはコーラ。
しめて118フラン(1990年)で3,000円ほど、値段だけは大衆食堂とはいえません。
1990年5月のことです、カフェ・赤ペリカンは今でもあるのでしょうか。
パリ北駅 Gare du Nord,Paris

2013年4月21日日曜日

Carousel Paris

Carousel Eiffel Tower
エッフェル塔の回転木馬
娘の一番の楽しみは散歩中に出会う回転木馬。
見つけたとたん娘は回転木馬に駆け寄って、馬を品定め。
おのぼりさんの僕たち家族が行くところ、回転木馬はきちんとあります。
娘がひょいと木馬に乗ると、四角い顔の頑健そうなおじさんにがやって来て、
料金の2フラン(1990年)50円ほどを取りにきます。
乗客が3割ほど回転木馬に乗り込むと、オルガンの音がして静かに回り始めます。
どこの回転木馬もとなりに小さな屋台がちょこんと建っていて、
屋台の前でお母さんにお菓子をねだる子供たち。
回転木馬とお菓子で集客と収益をねらった商いです。
Carousel Montmartre
モンマルトル、サクレ・クール教会堂の下の回転木馬
Carousel(カルーセル)回転木馬の原形は、12世紀ごろアラビア遠征から帰った
十字軍によりヨーロッパに持ち込まれたそうです。
もとは中東に進出した騎馬民族が戦闘訓練用に作ったもので、
どんなものか知らないのですが、回転するまでに400年ほどかかります。
現在の回転木馬にちかい形を発明したのは、16世紀イタリアのフィレンツェを
治めたメディチ大公らしいのですが、僕が思うにはレオナルド・ダ・ヴィンチかと。
パリにはじめて回転木馬が設置されたのが17世紀はじめ。
ルイ14世も乗ったのでしょうか。
Carousel Forum des Halles
フォーラム・デ・アールの回転木馬

2013年4月17日水曜日

Musée du Louvre_2


Musée du Louvre, Aile SULLY

ルーヴル美術館、シュリー翼の展示室

僕も奥さんも今日は朝から気合が入ってます、目薬をつけて視界も良好。
巨大なルーヴル美術館をたった一日でどれだけ観てまわれるか、楽しみです。
僕と奥さんは娘の手を引きながら、鼻いき荒くシュリー翼の展示室に突入。
わずか2時間後、娘は「つまらないからおそとにいく」。
この一言で、僕たち家族のルーヴル美術館は幕を閉じたのです。
ルーヴル美術館はガラスのピラミッドを中心に3つの建物がコの字形に配置されています。北側に建つRICHELIEU(リシュリー)、時計回りに東にSULLY(シュリー)、南側のセーヌ川に近いDENON(ドウノン)です。

ルーヴル美術館のパンフレット
ルーヴル美術館のパンフレットは英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語など。
僕は英語のパンフレットを入手。こう書かれています。
Orientation in the museum.
An orientation system has been set up to allow visitors to choose their itinerary;the system is composed of the following;
the division of the museum is three parts,which in turn,have been divided into numbered districts;
the identification of these districts shown by signs the limit of each of them;
the allocation of a different color for each floor of the museum.
ルーヴル美術館のカタログ
帰りにルーヴル美術館のカタログを買います、45フラン(1990年)で1,200円ほど。
ありがたいことに日本語版、宿に帰ったらじっくり見るぞ。
ルーヴル美術館のガラスのピラミッド
娘はルーヴル美術館から出ると、とたんに元気になりました。
さてさて、ここでひなたぼっこでもしましょう。
たしかに、たくさんの観光客が蠢く美術館内より気持ちがよい場所です。

2013年4月15日月曜日

Musée du Louvre_1

Musée du Louvre
ルーヴル美術館のガラスのピラミッド
娘と奥さんと僕はカルチエ・ラタンの宿から歩くこと1時間、ルーヴル美術館に到着。
あちこち寄り道してきましたから、へとへと。
美術館の入り口はナポレオン広場(Cour Napoleon)の水面から顔を出したガラスのピラミッド(Pyramide du Louvre)。
ピラミッド中央の螺旋階段をおりると、床一面が白大理石のメインエントランス。
磨かれた白大理石の床が天井から落ちて来る日差しを反射して夏の砂浜みたい。
奥さんは「ルーヴル美術館は日焼け止めが必要ね」
ルーヴル美術館入場券の表側
ルーヴル美術館入場券の裏側
僕たち家族は入場券売り場で1枚27フラン(1990年)680円の入場券を2枚い買い、さて美術館へ。
入口の自動改札機に入場券を入れると、飲み込まれて、すぐにまるい小さな穴があいた入場券が吐き出されてきます。
入場券の裏には磁気テープと赤い文字。
LE  DROIT  D'ENTREE  QUE  VOUS  VENEZ  D'ACQUITTER  SERVIRA  PRINCIPALEMENT  A  L'ENRICHISSEMENT  DES  COLLECTIONS
僕は訳せません、なんて書いてあるのでしょう。

2013年4月11日木曜日

Palais Gabriel. Paris

コンコルド広場のオベリスクの後ろに
Palais Gabriel(パレ・ガブリエル)
ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)の小説「青空」にこう書かれています。
マドレーヌ寺院(La Madeleine)の前に立って、コンコルド広場(Place de la Concorde)へ通ずるロワイヤル通り(Rue Royale)を見渡すと、西南へ向かって、コンコルド広場入口のパレ・ガブリエル(Palais Gabriel)の列柱、広場中央のオベリスク、セーヌ対岸のパレ・ブルボン(Palais Bourbon)、アンヴァリッド(Les Invalides)のドームの順にほぼ一直線になって見える。
コンコルド広場の噴水の後ろに
Palais Bourbon(パレ・ブルボン)
パレ・ガブリエルはアンジュ=ジャック・ガブリエルの設計で、1760年から1775年に建設された2つの宮殿。ロワイヤル通りを挟んでコンコルド広場に向き合うように建っている。
アンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange_Jacques Gabriel)はヴェルサイユ宮殿を手がけた王室建築家、コンコルド広場も彼が設計したもの。
パレ・ブルボンはルイ14世の娘のブルボン公妃とモンテスパン夫人が1722年に建設させた宮殿。コンコルド広場に向いた正面はギリシャ神殿のような列柱が並ぶ。
Les Invalids
アンヴァリッドのドーム
「青空」のあとがきにこうあります、「青空」が書かれた1935年はスペイン戦争の最前夜であり、それにつづく第2次対戦の前夜であった。物語の主人公の緊迫した精神状態がそうした状況の緊迫、真っ黒な予感といかに深くかかわりあっているかは一読自明である。

僕たち家族もマドレーヌ寺院から同じように歩いてみます。おのぼりさんの僕達は緊張感なんぞありませんが。
コンコルド広場は1793年から1795年にかけて、ルイ16世、マリー・アントワネット、シャルロット・コルデー、ダントン、ロベスピエールをはじめ1,300人以上の人々がギロチンにかけられたそうです。

2013年4月8日月曜日

La Madeleine,Paris

La Madeleine マドレーヌ寺院
教会入口の巨大な扉は固く閉じています。残念ですが教会に入る事はできません。
それではと娘と奥さんと僕はマドレーヌ寺院(La Madeleine)正面の大階段わきからコリント式列柱の台座によじ登ります。地上から2m以上高い台座は眺めが良く、風通しも良い。
ひなたぼっこをしながら、マドレーヌ界隈を眺めて過ごすにはもってこいの場所です。
教会の入り口でばちあたりな、それでも高い所が好きな娘は大喜び。
La Madeleine
パリ8区にあるマドレーヌ寺院は、マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会。
ギリシャ神殿のような教会は1842年生まれ。大きさは間口43m奥行110m、外周に高さ30mのコリント式列柱がずらりと52本並びます。とても教会には見えません。
La Madeleine
マグダラのマリアはフランス語でマリー・マドレーヌ(Marie Madeleine)フランスのお菓子マドレーヌと同じ名前。
お菓子のマドレーヌの起源は、1755年にフランスのロレーヌ地方(ドイツに近い)のロレーヌ公国君主ロレーヌ公スタニスラスのためにコメルシーという街に住んでいたマドレーヌ・ポルミエさんという女性がつくったのがはじまりだとか。
海からかなり離れたロレーヌ地方で、貝殻の形のマドレーヌ、なぜか。

2013年4月4日木曜日

マドレーヌのカフェ"Le Colibri" Paris

Le Colibri,Paris
カフェ、ル・コリブリ(ハチドリ)
5月1日、今日はメーデーで祝日。朝から天気も良く暖かい、午前中からどこのカフェも沢山の客で歩道に並んだテーブルは満席。
娘と奥さんと僕はマドレーヌ寺院前のカフェ Le Colibri (ル・コリブリ)で愛想の良いおじさんに「こんにちは」と声をかけられます。
流暢な日本語で客引きされたものですから、おじさんが椅子を引くと奥さんもすんなり座ります。催眠術か。
喉がかわいていた僕も奥さんも迷わずビール。娘はオレンジジュースを注文。
それはおいしいビールで、2人ともごきげん。
しかし1杯36フラン(1990年)900円と聞いて酔いがさめた奥さんと僕は、口をそろえて「やるなおやじ」。

コリブリ(Colibri)はハチドリのこと。
なんでも18世紀に美しいハチドリはフランスやイギリスで大流行し、乱獲されて大量に輸入されたとか。
今では野生化したハチドリがフランス各地にいるらしい、ほんとかな。

2013年4月1日月曜日

Métro_Madeleine, Paris

Métro_Madeleine 地下鉄8号線マドレーヌ駅
娘と奥さんと僕はマドレーヌ寺院(La Madeleine)から散歩を開始。
カルチエ・ラタンの宿から地下鉄サン・ミッシェル(Saint Michel)駅に着くと。
Métro 4号線に乗りシャトレ(Châtelet )駅まで行きます。
シャトレで1号線に乗り換えてコンコルド(Concorde)駅へ行き、ここでまた乗り換えて8号線でマドレーヌ駅。
地下鉄にちょこちょこ乗るなら歩いた方が早い。
ましてシャトレ駅なんぞはでかくてわかりずらい。
でも地下鉄がいいんです、洞窟みたいな地下鉄の通路を歩くだけでも楽しいのに、突然フルートやサックスフォンの生演奏に出会えますから。
5月の青空が広がるパリは初夏の日差し、上着はいりません。
僕たち家族は地下鉄を出るとカフェに飛び込みアイスクリームを買います。
チョコレートアイスクリームは1個5フラン(1990年)で130円ほど。
Métroのサイン脇に、半裸の女性。カミソリ片手にこちらを見ています。
彼女は東洋人でしょうか、黒髪とつり上がった細い目。
L'érotisme そうは見えませんが。