2012年4月26日木曜日

パリのメトロ, Metro de Paris

パリの地下鉄、 Du metro de Paris
娘と奥さんと僕は散歩が大好き。パリの街を娘を乗せたベビーカーは、ごとごと音を立ててさまよいます、もちろん僕と奥さんが交代で押して歩くのですが。
僕たち家族は時々地下鉄を使います、パリには沢山の路線がありますからそれは便利。僕は狭くて天井の低い炭坑のようなパリの地下鉄の通路が大好き。駅名は忘れてしまい思い出せないのですが、その駅から地上に出る階段がすごい。鉄板をリベットで張り合わせ、きつい緑色に塗装された巨大な煙突状の筒に、螺旋階段がへばりつき薄暗い闇の中を上に上にと伸びて行きます。ボールのような照明の下には"SORTIE  PAR  L'ESCALIER"出口用階段、奥さんと娘は「コワイ、コワイ」僕は喜んで階段を上り始めました。

2012年4月25日水曜日

Rue des Fossés Saint-Bernard,Paris

Fosses Sainto-Bernard,Paris

娘と奥さんと僕はパリ5区のセーヌ川沿いを散歩。
セーヌ川に架かるシュリー橋(Pont de Sully)を渡ろうとしたのですが、娘はベビーカーで昼寝。アラブ世界研究所(Institut du monde arabe)前の小さな広場で僕と奥さんは娘が起きるまで一休み。
広場と呼ぶより広い歩道、葉が落ちた寒々しい街路樹とぽつりぽつりとベンチがあるだけ、からっぽのベンチもこれまた寒々しい。広場の前のフォセ・サン=ベルナール通り(Fosses Saint-Bernard)は行き交う路線バスや車が多くて騒がしい、落ち着いて休むような場所ではありませんし、足早に交差点を渡っていく人達もこの広場には目もくれません。

広場の前にはアラブ世界研究所、大きなガラスの外壁に太陽光が反射してそれはまぶしい。壁のガラスの奥にはカメラのシャッター機構のようなものがカエルのタマゴのようにぎっしり並ぶハイテク建築ですが、ときおり静かにまばたきをする。妖怪百目の遺伝子をもって生まれた面妖なキメラ建築なのです。
ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)さんの作品、1987年に完成。

Institut du monda arabe

2012年4月22日日曜日

シエナ、フォンタネッラ通り Via di Fontanella,Siens

Via di Fontanella,Siens
フォンタネッラ通り
娘と奥さんと僕は、ひなたぼっこに最適な場所を見つけました。そこはシエナの小高い丘から、遠くに広がる雑木林や畑が良く見晴らせる所で、カンポ広場の南東方向から市外地にのびるフォンタネッラ通り(Via di Fontanella)を少し下った所。このあたりは人通りも無く静かな所で、時おりおじさんが自転車で坂道を通り過ぎて行くぐらい。ぼんやりするにはもってこいのところです。
シエナの観光案内
 シエナの観光案内の表紙にも、畑や雑木林が描かれています。
シエナの観光案内


2012年4月21日土曜日

ローマのパンダ、PANDA a ROMA

ローマの中華レストラン"パンダ"
僕たち家族は滅多にレストランテやトラットリアで食事をしません。ローマでの家族の食事といえば、パン屋でパンを買い、総菜屋でおかずを買い、スーパーで飲み物を買い、街の公園や広場でのんびり食べる事、これが楽しいのです。高い食事代を宿代にまわし、一日でも長く日本に帰らず家族で旅ができますように。それでも時々、お米が食べたくなると安い中華料理店を探します。
中華レストラン"PANDA"はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(Basilica di Santa Maria Magglor)前のエスクリーノ広場(Piazza dell'Esquilino)からテルミニ駅に向かうダニエーレ・マニン通り(Via Daniele Manin)を入ってすぐの所にあるお店です。1990年の事です、今ではこの店は無いでしょう。僕たち家族には高級店すぎました、店内に入るなり僕は店の名刺をもらい店を後にしました。

2012年4月18日水曜日

シエナの食堂、Rosticceria IL DUOMO,Siena

Rosticceria IL DUOMO 
シエナの路地
娘と奥さんと僕がお昼を食べたシエナの食堂"Rosticceria IL DUOMO"
食堂は名前のごとくシエナ大聖堂(DUOMO di Siena)のすぐ近くにあり、シエナ大聖堂の西側にある小さな通り、フサリ通り(Via dei Fusari)を大聖堂前の広場から右に曲がって少し下った所にあります。
僕たち家族が注文した、トマトのスパゲッティ、春野菜のリゾット、牛肉のステーキ、僕と奥さんはビール、娘はミルク、おいしくいただきました。
"Rosticceria IL DUOMO"のレシートには。(1990年当時)
COPERT        L4,000 (席料4,000リラ)
BEVANO       L5,000(飲み物、ビール2本 5,000リラ)
BEVANO       L1,000(飲み物、ミルク 1,000リラ)
1'PIAT            L12,000(PIATTOの略で皿の事、1枚目の皿、牛肉のステーキ 12,000リラ)
2'PIAT             L8,000(2枚目の皿、トマトのスパゲッティ、春野菜のリゾット8,000リラ)
SOBTOT       L 30,000( 小計30,000リラ)
SERVIZ           L3,000(サービス料3,000リラ)
RIC.F              L33,000(合計33,000リラ)
家族3人で33,000リラ(当時日本円で5,000円)ですから、高い昼食となりました、ステーキなんぞたのむんじゃなかった。それにしても"Rosticceria"は肉や野菜料理を売る総菜屋さんの事ですから、僕も奥さんも店を出ると一言「嘘つきだー」。

2012年4月14日土曜日

FRUITINETTE, Lutti

FRUITINETTE,Lutti オレンジキャンディー
娘がバルセロナのBARで買った飴"FRUITINETTE"は、フランスのLutti社製のオレンジ味のキャンディー。飴は金ぴかのりっぱな包装紙で包まれ高そうですが、一袋に20個ぐらい入っていて、95ペセタ(1990年)当時日本円で100円弱と手頃な値段。
娘は「おいしい」とぺろりと食べてしまいます。
ORANGE SANGUINE はフランス語で血(SANGUINE)のようなオレンジという品種で、その下には英語表示でBLOOD ORANGE (ブラッドオレンジ)と書いてあります。
血のような色の果肉でこう呼ばれますが、日本で「血のみかん」では買う人がいないかな、「みかんの血」なら売れるたりして。

2012年4月13日金曜日

FIRENZE INFORMATION MARZO 1990

Firenze Information フィレンツェの情報紙1990年3月号
僕たち家族がフィレンツェの観光案内でもらった情報紙で、これは1990年3月号。
情報紙といっても1枚きりで、大きさはA4サイズより気持ち大きいぐらい。これは情報紙の上半分のコピーです。親切な細かい情報は無くあくまでざっくり。情報紙の裏側はフィレンツェの地図、この地図のスポンサーは"CASSA DI RISPARMIO DI FIRENZE"フィレンツェ銀行ですから、地図はフィレンツェ銀行の両替所の場所ばかりが目立ち、観光案内地図というより銀行案内図。
情報紙に書かれていたものを少し紹介すると。
MOSTRE   展覧会
CONVEGNI 会議場
MUSICA 音楽
CINEMA 映画
TEATRO 劇場
FESTE 催し物
MUSEI 博物館
NOTIZIE ニュース
MOSTRE , EXHIBITIONS の情報はこんな感じ。
"ARTE RUSSA 1917~1930"(1917年から1930年のロシア芸術展)
MANIFESTI STAMPE E LIBRI DA COLLEZIONI PRIVATE RUSSE ポスターや本などのロシア芸術の個人コレクション。
場所はPALAZZO STROZZI(ストロッチ宮殿)

"LA DONNA BELLE EPO_QUE NELLA SALA DI POSA ALINARI.Mostra fotografica
(写真展"ベルエポックの美女達")
場所はPALAZZO RUCELLAI_MUSEO ALINARI(ルチェッライ宮殿内アリナーリ博物館)

"NUOVO ALLESTIMENTO DI ABITI DAL XVIII AL XX SECOLO "(18世紀から20世紀のアバンギャルド、ファッション展)
場所はPALAZZO PITTI .GALLERIA DEL COSTUME(ピッティ宮殿内衣服のギャラリー)


2012年4月12日木曜日

シエナのバス、Bus di Siena

シエナのバス乗車券
僕たち家族は、シエナから乗り合いバスで「美しい塔の街」サン・ジミニャーノ(San Gimignano)に行くはずでした。サン・ジミニャ–ノまではシエナからバスで1時間30分ほど。
僕も奥さんも楽しみにして、バス乗り場に向かいます。バス乗り場で、サン・ジミニャ–ノ行きバスの運航中止を知り、みんながっかり。
シエナの路線バスの運賃は、よほど遠くに行かない限り600リラ(1990年)、乗車券はタバコ屋さんで買います。バスの出入り口は前後2カ所、後方が乗車口で乗り込んだら乗車券を自動検札機に入れ、ガッチャンと音がして乗車券の一部が切り取られたら出発。
AZIENDA CONSORZIALE TRASPORTI SIENA はシエナ市営バス。
PRENDI IL BUS PER CIRCOLARE MEGLIO は路線バスに乗りましょう。
NELLA TUA CITTA!! はTUAのバスで街にくり出そう。違うかな。

2012年4月8日日曜日

ヴィチェンツァのトラットリア,Trattoria & Pizzeria Vecchia Guardia,Vicenza

Trattoria & Pizzeria Vecchia Guardia,Vicenza
娘と奥さんと僕がお昼ご飯を食べた店、Vecchia Guardia (ベッキア・グァーラディア)。
お店の場所は、シニョーリ広場(Piazza dei Signori)のバジリカ(La Basilica Palladiana)の西側にある路地を、レトロネ川(Fiume Retrone)へ向かって少し行きすぐ右に入る路地を曲がった所。
1990年の事です、小さな店で、路地から3階建ての住宅の隙間を通り抜けた所に隠れるようにあります。店内は住宅のような小部屋がいくつか連続してあり、それぞれの部屋に4人がけのテーブルと椅子が3組ほどあるだけ、室内の装飾も食堂らしくない、年代物の品の良い家具が置かれ、清楚で美しい。僕たち家族はそれは貧相ですから息苦しい気がしますが、娘も奥さんもお腹がすいてたまらない様子、きっと高いだろうな。
食べたもの、白ワイン1/2ボトル、娘はミルク、パン、イカとタコのサラダ、オマールエビ、ローストビーフ、奥さんと僕は食後にカフェ・ラテ。
ヴィチェンツァは魚介類が美味しい所だと聞いていました、ヴェネツィアなどからアドリア海の新鮮な魚介類が、毎日沢山送られて来るそうですから、これを食べなくては。
食後に出されたレシートの金額は、59,500リラ(1990年)当時日本円で9,800円それと少しのチップで10,000円、お昼なのに、娘と奥さんは料理に大変満足、まあ良いでしょう。
Vecchia Guardia とはどんな意味、直訳で「ベテラン兵士」そんなわけないでしょうが。

2012年4月5日木曜日

ヴィチェンツァ、ラ・ロトンダ,Villa Capra Valmarana "La Rotonda" Vicenza

ラ・ロトンダ(La Rotonda)入場券
娘と奥さんと僕はヴィチェンツァ駅前広場(Piazzale Stazione)のバスターミナルから8番のバスに乗り、ラ・ロトンダ(La Rotonda)に向かいます。
たしか駅から5つ目の停留所(Via Riv.Berica)で下車、所要時間は10分とかかりません。
バスを下り、リヴィエーラ・ベリカ通り(Viale Riviera Berica)を南に少し歩くと右に緩やかにカーブするロトンダ通り(Via della Rotonda)があらわれます。この小径を300mほど歩けばラ・ロトンダに到着。
ラ・ロトンダ(La Rotonda)の入口

ラ・ロトンダ(La Rotonda)の庭

アンドレーア・パラディオ(Andrea Palladio)さんの建築作品と言えばラ・ロトンダ。沢山の観光客が訪れています。
僕たち家族は入場券を1人5,000リラ(1990年)払い、娘を乗せたベビーカーでガタガタと敷地内に。娘は緑色の芝が美しい小さな庭が気に入り、あっちに行ったりこちらに来たり、小さな蝶やてんとう虫を見つけて大喜び。
小高い丘に建つラ・ロトンダの庭は見晴らしが良く、とくにロトンダの裏側は穏やかな田園風景が広がり、時おり気持ちの良い風が吹く僕たち家族が一番気に入った場所です。
ラ・ロトンダは1569年に建築され、正方形の平面のそれぞれ4面にイオニア式列柱のポーティコ(玄関)が付いています。建物内部の中央には円形のホールがあり、サロンに使われたようです、小さいホールですがローマのパンテオンに似ています。
La Rotondaはイタリア語で円形のこと、ラ・ロトンダは愛称でしょう。
かわいい建物ですからみんなに大事にされ、街の観光案内の表紙にもなっています。
ヴィチェンツァの観光案内


La Rotonda


ラ・ロトンダ周辺の風景

2012年4月4日水曜日

バルセロナの写真屋、Foto_Video,NIPON,BARCELONA

バルセロナの写真屋、NIPON
日本から持ち込んだオリンパスの小型カメラ。フィルムが切れたので、フィルムを買うため入ったバルセロナの写真屋さん「NIPON」。
店名が「日本」ですから、お店に並んだフィルムはフジカラーばかり。ヨーロッパではKodakにおされぎみですから嬉しい事です。
写真屋さんの場所は、バルセロナ大学から南西にのびる、サンタントニオ通り(Ronda de Sant Antonio)の地下鉄L2号線Universitat駅のすぐそば。
1990年の事ですから現在この店は無いでしょう。僕はこの店でフジカラーの36枚撮りフィルムを5本購入。フィルムは1本360ペセタ(1990年)で360円ほど、5本で1,800円と安い。

2012年4月3日火曜日

ヴィチェンツァ、バジリカ,La Basilica Palladiana,Vicenza

La Basilica Palladiana,Vicenza
バジリカ、ヴィチェンツァ

シニョーリ広場とバジリカ
娘と奥さんと僕はシニョーリ広場(Piazza dei Signori)でひときわ大きな建物
バジリカ(La Basilica Palladiana)の前に到着。
バジリカは15世紀にヴィチェンツァの議会場として建てられ、
その後アンドレーア・パラディオ(Andrea Palladio)さんがホールの4辺にぐるりと
2層のアーケイドを付け加え改築したものです。
バジリカは現在では美術や建築、写真展などが開催される展示会場として
使われています。
会場では美術展が開催されていますが、娘も奥さんもそんなもの見る気がありません。
2人とも口をそろえて「おなかがすいた」。
確かにお昼をとっくに過ぎたのに、ここまで沢山歩いて疲れました。
近所でBARでも見つけてお昼を食べましょう。

バジリカのアーケイド
バジリカのアーケイドはリズムのある列柱上部にアーチがのり、
アーチの両側には2つのあどけない目がシニョーリ広場をぼんやり眺めているみたい。
アーケイドの交叉ヴォールトの天井も美しい。