2012年12月30日日曜日

バルセロナのブックマッチ Matchbooks

バルセロナのホテル・ルレオ(Hotel Lleo)のブックマッチ、表面
バルセロナの宿はホテル・ルレオ(Hotel Lleo)。部屋があまりに寒いので「暖房器が壊れてる」ともんくをいうと、フロントのおばさんが「lo siento」といってブックマッチを持ってきました。
まさかマッチで温まるの。しばらくして壁ぎわのオイルヒーターが動き出し、僕たちは身体に巻きつけた毛布から解放されます。
バルセロナのホテル・ルレオ(Hotel Lleo)のブックマッチ、裏面

ルレオのブックマッチは18cm×9cmとかなり大型。
表紙には1990年のカレンダーとHotel Lleo、その下に Feliç Any Nou(カタロニア語),Feliz año nuevo (スペイン語), Bonne année(フランス語)で「おけましておめでとう」。
僕たち家族がこの宿を訪れたのは1990年3月初旬、奥さんも僕も「このマッチで暖房器の故障を口止め、せこいぞ」。
ブックマッチ裏側にはバルセロナとは思えない冬景色。深い森に囲まれて雪が積もった赤い家にそりをひくおとうさんと子供と黒い犬が 家路を急ぐ。この絵を見ると、僕はなぜかレーニンがいたころのロシアを思うのです。
ケースをひらくとずらりとマッチが並ぶ


2012年12月9日日曜日

パリ東駅 Gare de l'Est.paris

パリ東駅の両替所
CENTRALE DE BANQE
娘と奥さんと僕はザルツブルグ中央駅から夜行寝台列車に乗り込み、パリに向かいます。
僕たち家族を乗せた夜行列車はザルツブルグ駅を定刻の18時40分に発車、夕暮れ時の街並が静かに遠ざかって行きます。
パリ東駅(Gare de l'Est)には翌朝6時30分に到着。2等寝台車には狭いベッドが上下にあわせて4つ、下の段のベッド2つが僕たち家族の寝台、今度も奥さんは娘と一緒で窮屈そう。奥さんはまた眠れない夜を過ごすんだろうな、かわいそう。
寝台車の上の2つの寝台にはフランス人らしき女子大生が2人。大きなバックパックを背負って乗り込んできました。彼女たちはすぐに娘と仲良くなり、お菓子をもらったり、あげたりで楽しそう。フランス語で話しかけられても、こちらはいんちき英語でおうせんしきり。
翌朝、彼女たちがベッドから下着姿でむっくり起きて、僕たち家族に「arrive a paris」。
これには奥さんも僕もびっくり。


Gare de l'Est.paris
パリ東駅
僕たち家族は早朝のパリ東駅のプラットホームに降り立ちます。朝の通勤ラッシュで、それは沢山の人が行き交います。
両替所を探し、人ごみをかきわけてコンコース内の中央銀行(CENTRALE DE BANQUE)に。
銀行でトーマスクックのトラベラーチェック100ドルをフランに両替。100ドルで556フランに(1990年)手数料16.86フランその他税金を取られ530フラン。
1フランは当時25円ほどでした。

2012年11月27日火曜日

ミラベル庭園 Mirabellgarten.Salzburg

ミラベル庭園 Mirabellgarten.Salzburg
後ろはザルツブルグ州立劇場 Salzburg Landestheater
娘と奥さんと僕はザルツブルグの旧市街からザルツァッハ川(Salzach)に架かるマカートシュテク橋(Makartsteg)を渡り新市街に。
新市街のマカルト通り(Makartplatz)をほんの少し東に歩くとザルツブルグ州立劇場(Salzgurg Landestheater)。ミラベル庭園(Mirabellgarten)の小さな入口はこのオペラ劇場正面をぐるりと左に回り込んだところにあります。自宅の庭のような(ウソです)小さな前庭を抜けると、目の前にミラベル宮殿(Schloss Mirabell)までつづくミラベル庭園が広がります。

Mirabellgarten
ミラベル庭園は程よい大きさ、ウィーンのシェーンブルン宮殿の庭園のように庭で娘が迷子になることはありません。
宮殿にのびる直線の道、その中程にペガサスの噴水があります。庭を取り囲むように沢山の彫像が立ち並んでいます。彫像はみんなギリシャ神話の神様達。
ミラベル庭園は1690年にオーストリアのバロック建築家フィシャー・フォン・エルラッハ(Johann Bemhard Fischer von Erlach)さんが設計したものです。

2012年11月19日月曜日

ファルコン社のナイフ FALCON Stilett

ファルコン社(FALCON)のナイフ
スティレット・ダマスカス・ブレード
おみやげ屋"シュタイナー(Steiner)"は創業が1703年という老舗のお店です。
シュタイナー店はザルツブルグの旧市街、アルターマークト広場(Alter Markt)の東側から南に伸びるユデン通り(Judengasse)を入ってすぐの所。
この店で169シリング(1990年)払いファルコン製のナイフを買います、2.800円程ですからナイフとしては安物、お土産なのでこれで良いでしょう。
買った後に気づくのですが、ファルコン製のナイフはイタリア製。なにもザルツブルグで買うなんて。
ナイフは手入れもせず20年以上ほったらかし、ブレードにはドイツ語でROSTFREI(ステンレス)と書かれていますが今では錆だらけ。もったいないことです。
ザルツブルグのおみやげ屋、シュタイナー
Steiner.Salzburg
"Stilett"スティレットはドイツ語で短剣の一種の呼び名。なんでも北イタリアのヴェネト州のスティレットは優れていたとか。そうと知っていればヴェネツィアで買っていたのに。

2012年11月15日木曜日

ザルツブルグのルドルフスカイ通り Rudolfskai.Salzburg

Rudolfskai.Saizburg
ザルツブルグのルドルフスカイ通り
ザルツブルグのザルツァッハ川の西側に沿ってルドルフスカイ通り(Rudolfskai)があります。
このあたりは昭和50年代の新橋駅界隈の飲屋街みたいな所。日が暮れてからにぎわう歓楽街です。ナイトクラブで楽しむ時間はまだ先ですから、ネオンの消えた店はシャッターを下ろしています。
もちろん僕たち家族は早寝早起きですから、夜のザルツブルグにくり出す事はありませんが。
ルドルフスカイ通りにおみやげ屋が数軒、店を開けているものの通りを歩く観光客はほとんどいません。
時おり通りで僕たち家族とすれちがうのは地元の人ばかり。新市街からザルツァッハ川を渡り、雑貨や食品を買いに来る人達です。

2012年11月8日木曜日

ザルツブルグのおみやげ屋 Geschenke aus Salzburg

geschenke aus salzburg
ザルツブルグのおみやげ屋
ザルツブルグの旧市街のレジデンツ広場から、ヨージン通り(judengasse)をザルツァッハ川にむかい僕たち家族が歩いていると、ひときわにぎやかなお店を見つけます。
店先の大きなショーウィンドウには沢山のおみやげがずらりと並びます。
日本のおみやげ屋にそっくり。ザルツブルグに関係あるもの全部集めてみました、「おみやげはここで決まり」そんな店です。
博物館の展示室みたいな店、そこに並べられた品々はうっすらとほこりをかぶっていました。
忘れ去られた大切な物が沢山ある、それは素敵なおみやげ屋です。

2012年11月5日月曜日

ザルツァッハ川とマカルト橋 Salzach und Makartsteg.Salzburg

Salzach.Salzburg ザルツァッハ川
後ろは新市街
娘と奥さんと僕は雨上がりのザルツァッハ川(Salzach)をぶらりと散歩。
春先のザルツブルグは雨が多い。よどんだねずみ色の水が川いっぱいにふくらんでドロリときゅうくつそうに流れて行きます。
空は雨雲が広がり、川面を吹き抜けるザルツァッハの川岸は寒くてじっとしてはいられません。
Makartsteg.Salzburg マカルト橋
後ろは旧市街、丘の上にはホーエンザルツブルグ城
ザルツブルグ中央をうねりながら南北に流れるザルツァッハ川。
川には歩行者専用の細い小さな橋が架かっています。マカルト橋(Makartsteg)です。
川の東側の新市街と西側の旧市街を結んでいます。
マカルト橋からザルツブルグ城をながめていると、空っぽの遊覧船が橋をくぐります。
それがいっそう寂しさをますのです。

2012年11月2日金曜日

ザルツブルグのおもちゃ屋 Neumüller Spielwaren GmbH.Salzburg

ザルツブルグのおもちゃ屋
 Neumüller Spielwaren GmbH.Salzburg

娘と奥さんと僕はザルツブルグの旧市街のラートハウス広場(Rathausplatz)にやって来ると、小さな広場にふわりと浮び風に流れるシャボン玉を見つけます。
シャボン玉を飛ばしているのは、おもちゃ屋" Neumüller Spielwaren GmbH"ノムラおもちゃ店(この訳はたぶん間違い)のクマです。
店の入口の軒先に椅子に腰掛けたクマがシャボン玉を吹いているのです。
クマは右足で持ったストローを上手にシャボン液の入った筒に差し込むと、なれた手つきで口に運び、これまた上手に沢山のシャボン玉を空高く吹き出すのです。
娘と奥さんはあんぐり口を開け「くまさんすごいね」と感心。
ノムラおもちゃ店(この訳はたぶん間違い)で娘にローラースケートを買いました。
靴の上から履く鉄製の旧式のローラースケートですが娘は大喜び。すぐに履いて滑ると聞きません。
ローラースケートの値段は179シリングで3,000円ほど(1990年)駄菓子屋さんみたいなおもちゃ屋" Neumüller Spielwaren GmbH"いまでもあるのでしょうか。

2012年10月31日水曜日

Hotel Elefant.Salzburg

Hotel Elefant.Salzburg
娘と奥さんと僕がお昼を食べたレストラン"Hotel Elefant"
Hotel Elefantはザルツブルグの旧市街にあります。アルターマークト(Alter Markt)広場からひと区画西側を南北にのびる路地ジークムント・ハフナー通り(Sigmund-Haffner-Gasse)を散歩していたときに偶然見つけたお店です。
僕たち家族は貧乏旅行ですから、めったにレストランで食事をしませんが、今日は特別。象という名前のレストランに僕はすっかり一目惚れ、家族を引き連れそそくさと店内に。
僕たち家族がレストランで注文したもの。野菜のスープ、ラビオリみたいな肉詰めパスタにチーズのソースがかかったもの、パン、娘はオレンジジュース、奥さんと僕はもちろんスティグルビール。とてもおいしくいただきました。
歴史あるホテルだそうで、象の紋章が立派です。
食事代は全部で293シリング(1990年)5,000円ほど、もちろんお値段も立派です。

2012年10月30日火曜日

ザルツブルグのシュヴァルツ通りの公園 Kinder und park und christuskirche.Salzburg

Christuskirche.Salzburg
ザルツブルグキリスト教会前の児童公園
今日は観光客で賑わうザルツブルグの旧市街をさけ、静かに流れるザルツァッハ川岸を散歩します。
娘と奥さんと僕はザルツブルグの中心を南北に流れるザルツァッハ川(Salzach)の東側を川と並んで伸びるシュヴァルツ通り(Schwarzstraße)に出るとそのまま北に向かいます。
ミラベル宮殿の近くまで来たところ、通りの脇に小さな児童公園を見つけました。
公園の奥にはザルツブルグキリスト教会(Christuskirche)があるのですが、このあたりは地元の人達だけで観光客は僕たち親子だけ。
娘はしばらくぶりに見るすべり台やシーソーに大喜び。公園には娘の他に子供達がいませんから遊具は全部独り占め。
奥さんと僕は「娘は今日はここから動かないね」。
そうなると奥さんも僕も考える事はひとつ「今日の晩ご飯は何を食べる、寒くてもスティグルビールは欠かせないよね」。


Christuskirche.Salzburg

2012年10月29日月曜日

ザルツブルグのレジデンツ広場の馬車 Residenzplatz.Salzburg

Residenzplatz.Salzburg
4月も終わるというのに風が冷たい雨上がりのレジデンツ広場(Residenzplatz)。
広場はやけに水はけが悪く、濁った雨水が広場一面に溜まりまるで池のよう。
馬車につながれた馬が冷たい泥水に足をひたして濡れて重そうな分厚いビニール製のシートをかぶせられ、辛抱強く観光客を待っている姿は見るからに寒々しい。
広場中央の噴水には若い男女が仲良く楽しそう。恋人同士でしょうか。
僕も奥さんも2人を邪魔しないように噴水に近寄りません。ウソです、寒くて噴水で娘と水遊びをするのがきついからです。
僕も奥さんも「ドイツ人は寒さに強いから、それに恋人とくれば」と納得。
噴水の奥には鐘楼があり、「グロッケンシュピール」Glockenspielと呼ばれています。
グロッケンシュピールは塔の最上部に35個の鐘が吊り下げられた巨大な楽器で、音楽を演奏するようです。
残念ながら僕たち家族がレジデンツ広場を訪れた日にグロッケンシュピールの鐘の音を聞く事はできませんでした。


2012年10月26日金曜日

ホーエンザルツブルグ城 Festung Hohensalzburg

Festung Hohensalzburg
ホーエンザルツブルグ城の入場券
娘と奥さんと僕はケーブルカーを下りて、そそり立つホーエンザルツブルグ城(Festung Hohensalzburg)の巨大な城壁のあしもとの石畳の通路を上ります。少し歩けば城の入場券売り場が見えてきます。
城の入場料は1人45シリング(1990年)770円ほど、もちろん娘は無料です。
入場券売り場の小さなホールに僕たち家族を含め10人ほどの観光客が集まると、ガイドの青年が事務室から出てきます。
彼は英語で観光客を呼び寄せると、みんなを引き連れて城内をぐるりと巡るツアーに出発するのです。
彼の後を僕たち家族も付いて行きます。レックトゥルムと呼ばれる塔には拷問部屋があり、黒いコールタールを塗り付けたような鉄製の拷問器具やとぐろを巻いた鎖が木製の太鼓のような巻き上げ機に幾重にも巻き付けてあります。
城には16世紀頃の城主の大司教の金ぴかの部屋など、ここは大事という所でガイド役の彼は立ち止まり、みんなが彼の話を聞こうが聞くまいが英語で解説をするのです。
彼は生真面目にあくまで仕事ですから、そう見えます。
僕も奥さんも彼の英語が分かりませんから、彼の話をほとんど聞いていません。


Festung Hohensalzburg
ホーエンザルツブルグ城

Festung Hohensalzburg
ホーエンザルツブルグ城からザルツブルグの街を見る

2012年10月23日火曜日

ザルツブルグのカピテル広場のケーブルカー KapitelPlatz.FESTUNGSBAHN.Salzburg

KapitelPlatz.Salzburg
娘と奥さんと僕は小雨降るカピテル広場(KapitelPlatz)にやって来ました。
広場には大きなパラソルをひろげたお土産屋が数軒あるのですが、店の前には人影もなく寒々しいばかり。
それでも娘は広場に集まる鳩を追いかけてまわし楽しそう。娘の「キャー」という声が広場に響き渡ります。
今日の目的地はホーエンザルツブルグ城(Festung Hohensalzburg)。
ホーエンザルツブルグ城はカピテル広場からケーブルカーに乗り城のふもとまで上り、そこから歩いてすぐ。
ケーブルカーの駅は広場の西側の奥まった所で、駅の標識もなくグレーの建物にポッカリあいた大きな穴を入ると小さなケーブルカーが停車していました。
乗車券を1人27シリング(1990年)460円ほど払い僕たち家族はケーブルカーに乗り込みます。

FESTUNGSBAHN
ホーエンザルツブルグ城のケーブルカー乗車券
FESTUNGSBAHNはケーブルカーのこと。Salzburger Stadtwerkeは当時のザルツブルグ市営交通局、現在はSalzburg AGという会社がケーブルカーを運営しています。
ケーブルカーは1892年の開業で、2012年8月には120歳の誕生日を迎えたそうです。

2012年10月18日木曜日

モーツァルトの生家 Mozart Geburtshaus.Salzburg

MOZART  MUSEUM  SALZBURG
モーツァルト博物館の入場券
娘と奥さんと僕はモーツァルトの生まれた家に到着。
ザルツブルグの旧市街のゲトライデ通り(Getreidegasse)に面したモーツァルトの生家、その黄色い壁には大きく"Mozart geburts haus"と書かれ、建物の壁面から垂れ下がる長く大きな赤と白と赤のオーストリア国旗が風になびいています。
モーツァルトの生家は今では彼の博物館として一般に開放され、多くの観光客がこの小さな家を訪れます。僕たち家族は入場券を1人50シリング払い(1990年)850円ほど、博物館の中に、狭い階段を上って館内を見て歩きます。当時、居間として使っていた部屋でしょうか、部屋には古いピアノがあり、青年がモーツァルトのピアノ・ソナタ第13番を静かに演奏しています。彼は部屋には自分1人、誰もいないかのように弾くのです、それがとても良い、僕はまるで夢を見ているよう。
Mozart Geburtshaus.Salzburg
山田風太郎さんの「人間臨終図巻」には、こう書かれています。
35歳で死んだ人々。
ヴァルフガング・アマデウス・モーツァルト( Wolfgang Amadeus Mozart ) 
1791年12月5日午前0時50分に息をひき取った。集まったわずか数人の知人と弟子は、おりからの雪まじりの悪天候のために墓地に見送る事もできず、死体は墓堀人の1人によって、セント・マルクス墓地にほうむられ、数十日後にはその正確な場所さえ不明になった。
彼の症状は慢性的な水銀中毒に適合するといわれ、そのため当時彼と音楽上のライヴァルであった老作曲家アントニオ・サリエリ(シューベルトの師)が嫌疑を受けたが、真相は不明の雲につつまれたままとなった。これは「人間臨終図巻」からの抜粋です。
もちろん僕は彼の音楽が好きです、しかしモーツァルトの悪夢のような生きかたに強い魅力を感じるのです。

2012年10月10日水曜日

Schokoladen Marienkäfer.Salzburger MOZARTTALER

Schokoladen Marienkäfer
娘と奥さんと僕はゲトライデ通り(Getreidegasse)のスーパーマーケットでチョコレートを買います。娘が選んだのは、てんとう虫のチョコレート"Schokoladen Marienkäfer"
てんとう虫のチョコレートは色々な種類があり大きさ色とさまざま。
娘のてんとう虫は大きさが直径2cmほど。黄緑色の体に金色の顔でメガネをかけ、鼻が赤くて赤いべろをだしたおやじみたいなやつ。値段は1個で5シリング(1990年)85円ほど。
てんとう虫はドイツやオーストリアでは"Marienkäfer" マリエンケーファーと呼ばれ「マリア様の使い」として大事にされ、なんでも幸運を運んで来るとか。
Salzburger MOZARTTALER
奥さんと僕が選んだのは、モーツァルトチョコレート"Salzburger MOZARTTALER"でMirabell 社のもの。メダル形のミルクチョコレートが5個入っていて、値段は25シリング(1990年)430円ほど。
僕たち家族はスーパーマーケットを出ると、ゲトライデ通りを歩きながら買ったばかりのチョコレートをペロリと食べてしまいます。

2012年10月7日日曜日

Alter Markt.Salzburg

Alter Markt.Salzburg
娘と奥さんと僕はアルター・マークト(Alter Markt)で一休み。
Alter Markt とは「古い市場」のことで、かつては市場があったのでしょうか。
南北に細長い小さな広場ですが大きさがちょうど良い。裏庭みたいなこの場所は近所の人達の社交場。庶民的でのんびりできる場所です。
アルター・マークト広場にはカフェや色々な店が軒を並べ、それはにぎやか。あちこちベンチがあるのですがどこも観光客で満席。
今日は朝からザルツブルグは雨。広場にある雑貨屋さんで娘にカサを買います。
子供用の折りたたみのかさの値段は119シリング(1990年)2,000円とちょと高い。
娘は早速カサをひろげて、自慢げに広場を歩きます。色鮮やかなカサを雨がやんでもクルクル回して楽しそう、すっかりお気に入り。
後ろの塔は"Old Town Hall"旧市庁舎の塔、塔の部分だけ18世紀後期に増築されたとか。
仕事が無いのかあくびをしたおじさんの顔に見える、かわいいいロココ風の塔です。

2012年10月4日木曜日

ザルツブルグのゲトライデ通り Getreidegasse.Salzburg

Getreidegasse.Salzburg
娘と奥さんと僕はザルツブルグ自然博物館(HAUS DER NATUR.Salzburg)が楽しいものですから、気がつけば時刻はすでに夕方。
娘はまだ博物館で遊びたいようす、しかし早く宿に帰らないと娘が寝てしまう。奥さんと僕が娘をなだめすかして、博物館を後にします。
博物館通り(Museumsplatz)から東に向かうゲトライデ通り(Getreidegasse)は長さ300m程の小さな通りですがザルツブルグ旧市街で一番の観光地。
ゲトライデ通りで食品や雑貨を買うため、僕たちは沢山の観光客が行き来する狭い路地を娘をおんぶしておめあてのスーパーマーケットに到着。
さっさと買い物をして、宿に向かうバス停留所へ急ぎます。

2012年9月27日木曜日

milka NAPS. ALPENMILCH_SCHOKOLADE

milka NAPS
娘がザルツブルグのゲトライデ通り(Getreidegasse)のスーパーマーケットで買ったチョコレート。一口サイズのミルクチョコレートが10個ほど入っています。
チョコレートの包み紙には紫色の乳牛が、胴体にmilkaと書かれたカウベルを付けた牛はこちらを見ています、少し気味が悪い。
アルペンの牛は突然変異で紫色が多いとか、ウソです、僕もなぜ牛が紫色なのか知りません。
milkaとはミルクとカカオの合成語です、ほんとかな。
milkaは今から100年以上前にオーストリアのフォアアールベルグ州にあるデンツの町でチョコレート造りをはじめて、2012年9月には111年目の誕生日。デンツの町はスイスの国境近くのアルペン地方にあるようです。
包み紙に書かれているスシャールチョコレートとは、スイスのmilka生みの親、元祖板チョコの発明者だと思いますが、違うかな。
SUCHARD_SCHOKOLADE  Gesm.b.H
6700 Bludenz  Vorarlberg

2012年9月25日火曜日

Salzburg Sightseeing Tours.1990

僕は宿のおかみさんから「ザルツブルグの観光ツアーが色々あるから行ってみたら」とパンフレット手渡されました。僕がパンフレットをパラパラ見ていると、おかみさんは「ツアーに行くなら私に言ってね、宿までツアー会社の人が迎えに来るから」。
僕たち家族はまったく行く気がありませんが、すぐ断るのも悪いのでパンフレットを受け取りおかみさんに「分かりました」。
 Abfahrt.  Departure.  Depart.  Partenza.  Salidas. と英語やドイツ語やフランス語やイタリア語やらで「行きましょう出発だー」と言っています。
Stadtrundfahrt
[ Tour 1 ] はザルツブルグの市内観光。
所要時間2時間で料金は180シリングで約3.000円(1990年)。
Salzburg_Informativ
[ Tour  1. 2 ] は時間のない人にザルツブルグの市内観光を1時間でまわる短縮コース。
料金は130シリングで約2.200円と足元を見てのお値段です。
 [ Tour  2 ] は映画サウンド・オブ・ミュージックが撮影された場所を巡るものです。
所要時間2時間で料金は250シリングで約4.300円。
Salzkammergut
[ Tour  3 ] はザルツカンマーグート(Salzkammergut)の半日観光です。
湖水地方の湖と山歩きで、所要時間4時間で料金は250シリングで約4.300円。
Salzkammergut
[ Tour  3. 1 ] はザルツカンマーグート(Salzkammergut)の1日観光です。
湖水地方の湖と山歩きで、所要時間8時間で料金は400シリングで約6.800円。
Berchtesgaden
[ Tour  4 ] はベルヒテスガーデン(Berchtesgaden)の観光です。
ドイツのバイエルン地方に行き山登で、所要時間4時間で料金は250シリングで約4.300円。
「プレイガイド」と書かれた広告。クラッシックやオペラのチケットを販売しているのですが、最後に「ザルツブルグならではのお土産に是非プチボアンを」。
Salzbergwerk
[ Tour  5 ] は岩塩坑(Salzbergwerk)とベルヒテスガーデンの観光です。
ドイツのベルヒテスガーデンの町からほど近い岩塩坑の見学。
なんでも当時の坑夫の服を着て、トロッコで岩塩坑内に入り、岩塩採掘場まで滑り台で降りていく楽しそうなツアーです。これはちょっと行ってみたい。
所要時間4時間で料金は250シリングで約4.300円、岩塩坑の入場料は別料金。
パスポートを忘れないで、と注意書き。
Kehlsteinhaus
[ Tour  6 ] はイーグルネスト(Kehlsteinhaus)「鷲の巣」とベルヒテスガーデンの観光。
ドイツのバイエルン地方の山岳地に行き、ナチの巣窟「鷲の巣」を見学。
所要時間5時間で料金は480シリングで約8.200円、パスポートを忘れないで、と注意書き。
Großglockner
[ Tour  7 ] はグロスグロックナー(Großglockner)連峰とパステルツ氷河の観光。
フランツ・ヨゼフ高地(2.451m)からオーストリア最高峰3.796mのグロスグロックナーの雄大な景色をご堪能ください。
所要時間10時間で料金は480シリングで約8.200円。












2012年9月19日水曜日

ザルツブルグ自然博物館 HAUS DER NATUR.Salzburg

HAUS DER NATUR.SALZBURG
ザルツブルグ自然博物館
娘と奥さんと僕はザルツブルグ自然博物館(HAUS DER NATUR.SALZBURG)にやって来ました。
旧市街の小高い山メンヒス山(Mönchsberg)のふもとに自然博物館は建っています。
メンヒス山にそって走るGstättengasseの通りがMuseumplatzの道と交叉する場所にあるのですが、その日はあいにくの雨、黒々とした山の陰に隠れるようにある博物館は人気も無くひっそり。
ザルツブルグ自然博物館はそれは盛りだくさん。入館料1人35シリング(1990年)600円程で館内に。古生代の部屋には恐竜や貝の化石がところ狭しと並び、昆虫の部屋にはおびたたしい蝶の標本が。おどろきは博物館内の水族館、大きな水槽にはサメやエイ、熱帯系のカクレクマノミなどのカラフルな魚達、珊瑚や沢山のイソギンチャク。爬虫類のコーナーにはワニや黄緑色のヘビ、かわいいトカゲ達。そのほか宇宙の部屋にはロケットや人工衛星の模型、地球や太陽系の写真が沢山。
娘は大喜びで博物館に夢中、僕たち家族は博物館の食堂でお昼を食べるとまた展示室に戻るのでした。


ザルツブルグ自然博物館入場券

2012年9月16日日曜日

ザルツブルグのバス Bus_Stop.Höglstraße.Salzburg

Höglstraße, Salzburg. ヘーグル通りのバス停留所

娘と奥さんと僕は宿から出ると草原の中に伸びる小径をガイスベルグ山(Gaisberg)に向かって歩きます。雨上がりのアスファルトの小径には沢山のミミズがのたうちまわり、娘も奥さんも踏まないように忍び足。
ヘーグル通り(Höglstraße)を東に行けばケンドラー通り(Kendlerstraße)に突き当たります。ここで僕たちはバスに乗り旧市街に行くのです、バスの停留所はHöglstraßeで27系統の路線バスが来ます、バスは1時間に4本ほど来ますから待っても15分。のどかなバス停にはお決まりのベンチとゴミ箱が、ベンチの裏の看板にはこんな表示[Das Betreten des Grundstücks ist Verboten ! ]この土地に入ってはいけませんと、普通のはらっぱなのに。

ミミズの小径
Salzburger Stadtwerkeは当時のザルツブルグ市営交通局、現在はSalzburg AGという会社がバスを運行しているとか。Höglstraßeからバスで10分ほどで旧市街に到着します、運賃は11シリングですから約190円(1990年)。
バスの乗車券

2012年9月14日金曜日

ザルツブルグのスティグルビール Stiegl_Bier.Das Salzburger Bier.

Stiegl_Bier.Salzburg スティグルビール

宿の近くのレストラン
娘と奥さんと僕は晩ご飯を食べるため宿を出ると、高い木立の並ぶ薄暗い夜道に出ました。
僕は宿のおかみさんに「この近所で食堂はある」と聞くと、おかみさんは僕に「近所に2軒あるよ」と簡単な地図をメモに書いて渡してくれました。
1軒はチロル地方の料理を出す店、2軒目は和平飯店という中華料理店。2軒とも宿から歩いて5分ほど、カオリンゲ通り(Karolingerstraße)を北に少し行った所。2軒ともカオリンゲ通りに並ぶように建っています、僕たち家族がザルツブルグで最初に夕食を食べたのがこのチロル地方の料理を出すレストラン、庶民的なお店で地元の人ばかり、犬を連れて来る人もいます。1990年の事ですから今ではこの店はないでしょう。
Stiegl_Bierはザルツブルグ原産のビール、なんでも17世紀中頃からザルツブルグで造られてきたビールとか、奥さんも僕もビールが好きですからたまりません。
スティグルビールはコクがありホップがきいたこれぞビール。大きなグラスのビールもたちまち無くなり、奥さんも僕も「これは体に毒だな」と2杯めを注文。

レストランの伝票

2012年9月11日火曜日

ザルツブルグの猫 Salzburger Katze

ザルツブルグの猫 Salzburger Katze
娘と奥さんと僕が宿の近くに散歩に出ると、庭の植え込みの中から1匹の猫が飛び出て僕たち家族にそっとちかずいて来ます。
その小さな子猫は好奇心旺盛で人懐っこい、僕たち家族がよそものとしって偵察に来たのでしょう。奥さんが猫の頭を掻いてやると子猫はすっかりなついてゴロゴロ喉を鳴らすほど。娘も猫に触りたいけど怖くて手が出せません。
カッツェと聞いて思い出すのはガッチャマンの悪役ベルク・カッツェ(Berg_Katze)、なんでもドイツ語で山猫とか、耳が大きくてとんがった鼻のマスクを被ったオネエみたいな人。
宮沢賢治の「どんぐりと山猫」の山猫は裁判官で威張ってばかり、何も決められない役立たず、身なりばかり気にする嫌な奴。ベルク・カッツェみたい。