2012年5月18日金曜日

ウィーン、カールスプラッツ駅、Karlsplatz,Wien

Karlsplatz,Wien
娘と奥さんと僕はカールスプラッツ駅(Karlsplatz)のカフェでのんびり。空いちめん春先の湿った雲におおわれて少し寒い日、僕たち家族はたくさん歩いて身体が冷えました、それではここで暖まっていきましょう。
1899年に建てられたカールスプラッツ駅、今では駅舎を引退してカフェとギャラリーに使われています。色白でかわいいかまぼこ屋根の駅舎、広場をはさんで向き合うように建てられたこの駅舎は、ウィーンに沢山の建築を残したオットー・ワグナー(Otto Wagner)さんの作品です。
カールスプラッツ駅のカフェのレシート

2012年5月17日木曜日

ウィーンの銀行、ZENTRALSPARKASSE UND KOMMERZIALBANK

ZENTRALSPARKASSE UND KOMMERZIALBANK
ウィーン中央銀行
娘と奥さんと僕はUSドルを両替するため、銀行を探してウィーン南駅からベビーカーをゴロゴロ押してUバーン(地下鉄)のカールスプラッツ駅(Karlsplatz)に到着。
ここまで来なくても銀行は沢山あったのです、はじめて歩くウィーンの街ですからそれは楽しい。
オレンジ色のマルにZのウィーン中央銀行(ZENTRALSPARKASSE UND KOMMERZIALBANK)のカンバンはガソリンスタンドみたいに街中あちこちに立っていて、これが目立つんだ。僕たち家族はウィーン中央銀行で400ドルを両替、銀行の手数料を85シリング取られ、4,587シリングとなりました(1990年)当時日本円で80,000円ぐらい、1シリングが約17円。それにしても手数料が1,445円とは、ウィーン中央銀行の取り分は多いな。それでもウィーン南駅の両替所よりレートは良いのですが。

カールスプラッツ駅(Karlsplatz)周辺

2012年5月16日水曜日

ウィーンの地図、Wien

ウィーンの地図(1990年)
イタリア最後の日、ヴィチェンツァの田園風景

娘と奥さんと僕は、夕暮れのヴィチェンツァの街から、静かに広がる美しい丘の雑木林や畑を眺めて、お世話になったイタリアに「さよなら」。
僕たち家族は日が暮れてから、ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅に戻り、ヴェネツィア発23時45分の夜行寝台列車(クシェト)に乗り込みウィーンに向かいます。
もうすぐ5月という春の夜中、寝台車の狭いベッドの上は蒸し暑く、窓を開ける事もできません。あまりの暑さに奥さんは娘をだっこして、夜中の3時に寝台車を抜け出し列車の廊下で涼んでいます。夜行列車で奥さんはいつも寝不足、それに娘と一緒のベッドですからかわいそう、僕は1人でぐっすり寝込んでしまい、ごめんなさい。
ウィーンの主要鉄道駅

地図の裏面(1990年当時)ウィーンは19世紀のまま

これも地図の裏面

僕たち家族を乗せた夜行列車は翌朝9時5分にウィーン南駅に到着。
駅の荷物預り所で大きなバックパックを2個預けると、すぐに駅構内の観光案内所でウィーンの地図とホテルリストをもらいます。
僕たち家族は今夜の宿を探すため、地図を片手にウィーン南駅を後にします。
1990年の事です、今ではイタリアから来る列車はウィーン・マイドリンク駅に乗り入れているようで、あのりっぱなウィーン南駅の駅舎が取り壊されたのは残念です。

2012年5月10日木曜日

BURGER KING, Paris

BURGER KING, Paris
娘と奥さんと僕はパリ6区のサンジェルマン大通り(Bd Sainto_Germain)を散歩中に"BURGER KING"に出会いました。
店先にはハンバーガーのメニューが、入口には大きなセットメニューの表示、お決まりのハンバーガーとフライドポテト、オレンジジュースで19フラン(1990年)当時日本円で760円ほどです。
奥さんも僕も「パリでバーガーキングはないよね」と、しかし娘が「ハンバーガー食べる」と言い出すと困るので僕たちは娘を乗せたベビーカーの速度を上げ足早に店先から離れます。
しかし今では"BURGER KING"はパリにありません、1998年にフランスから撤退したのです。
パリでカフェは自分の書斎みたいなものですから、ファストフード店のようにのんびりできないお店は必要ないのでしょう。

2012年5月9日水曜日

PIZZA BELLAMY, Paris

PIZZA BELLAMY,SALADES RESTAURANT,Paris
娘と奥さんと僕がよく散歩したのはパリ4区や5区あたり。
"PIZZA BELLAMY"は安くてそれなりですが家族で気楽に入れるお店です。
1990年の事です、それにしても"PIZZA BELLAMY"はどこにあったのでしょう、店の場所は忘れてしまいました今ではこの場所に店は無いでしょう。
僕たち家族はもちろん貧乏旅行ですから、パリでフランス料理のレストランに入る気もありませんし、それに食べ方もわかりません。
僕たち家族がパリで食事をした所は中華料理店やトルコ料理店など、ほぼどの店もはずれなく安くておいしいのです。
トルコ料理の店は店先で大きな肉のかたまりをグルグル回していますからちょっと立ち寄って、お店のおじさんに半円形のトルコのパンに肉をはさんでもらい、店先のベンチでいただきます、食べごたえがありおいしいのです。

2012年5月5日土曜日

BABY_ZOO, Paris_Vincennes

BABY_ZOO, Paris.Vincennes
ヴァンセンヌ動物園の入口近くにある遊園地
"BABY_ZOO"ここは娘と奥さんと僕がヴァンセンヌ動物園(Parc Zoologique de Paris_Vincennes)の帰りに立ち寄った遊園地。
建物全体が緑色に塗装されたほったて小屋ですが、それは、かわいらしい小さな遊園地です。遊園地に娘と同じ4歳ぐらいのこどもたちが遊びに来ています。こどもたちは回転式の床の上のバスやレーシングカー、ヘリコプターなど沢山の乗り物を前に、どれにしようか品定め。娘は知らないこどもたちが怖いと、乗り物には乗りません。
BABY_ZOO.Paris.Vincennes

遊園地には子供達が喜ぶお菓子やおもちゃが沢山ぶらさがった売店があります。
娘は売店でお菓子の入った風車が気に入り手放しません。
"BABY_ZOO"はヴァンセンヌ動物園の入場ゲートの南側にあるサンチュール・デュ・ラック・ドーメニル通り(Route de Ceinture du Lac Daumesnil)を渡りドーメニル湖(Lac Daumesnil)がわに渡ってすぐの所にあります。
上野動物園前には、にぎやかな遊園地やお土産屋が沢山ありますが、"BABY_ZOO"はこの小屋一軒だけ、とてもシンプル、これでじゅうぶん。
1990年の事です、今でもこの小さな遊園地があれば良いのに。


2012年5月4日金曜日

パリ、オペラ座 Opéra Garnier, Paris

オペラ座のパンフレット
娘と奥さんと僕はオペラ座(Opéra Garnier)に到着。奥さんと僕は娘を乗せたベビーカーをごとごと押して、シテ島からリヴォリ通り(Rue de Rivoli)を西に向かい、ルーブル宮殿の脇を通り抜け、すぐ右手に入るオペラ通り(Avenue de l'Opéra)に入り北に歩きます。オペラ通りの突き当たりにオペラ座の正面が見えてきます。
オペラ座の入場料は1人20フラン(1990年)で500円ほど、もちろんオペラを見るのではなく劇場を見るだけ。
がらんとした劇場内は僕たち家族だけ、なんとも贅沢な気がします。
Avenue de l'Opéra, オペラ道り
オペラ座の前には沢山の観光客が階段でひなたぼっこ。南側がオペラ通りで開けていますからとにかく日当りが良い、みんな階段に座り道行く人を眺めてぼんやり。
僕たち家族もしばらくここで日光浴。
オペラ座の観光案内は日本語版があります、そこには。
1860年12月26日に設計コンクールが行われ、171の応募作の中からシャルル・ガルニエ(Charles Garnier)の作品が選ばれたそうで、完成は1875年1月5日にマック・マオン元帥により落成された、と書いてあります。
オペラ座の階段
 パリのオペラ座はネオ・バロック建築の代表だそうです。
その後、僕たちはローマでベルニーニさんやボッロミーニさんの気合いの入ったバロック建築をこれでもかと拝見します。ベルニーニさんやボッロミーニさんが本物だと僕は断言できませんが、なんでも「ネオ」とか「ポスト」が付くと、取り付かれたような邪気が無くなり迫力が無くなるようです。
オペラ座、劇場の天井画はシャガールさん

オペラ座のエントランス

オペラ座の劇場内部