2012年3月29日木曜日

ヴィチェンツァ、ヴェネツィア共和国総督邸,La Loggia del Capitaniato

La Loggia del Capitaniato
ヴェネツィア共和国総督邸
娘と奥さんと僕はシニョーリ広場(Piazza dei Signori)にやって来ました。
シニョーリ広場はヴィチェンツァの街の中央部にあり広場というよりも官庁街の大通りみたいな感じです。
シニョーリ広場はBARが数軒あるだけで行き交う人々もまばらなさみしい所です。ヴェローナのシニョーリ広場のように毎日市場がたち買い物客がごったがえしたり、軒を連ねたBARで沢山の人々がくつろいだりしていません。
シニョーリとは貴族とか上院だとかそんな意味だったような、やはりシニョーリ広場は庶民がくつろぐ場所でない、そんなわけないでしょうが。
ヴェネツィア共和国総督邸(La Loggia del Capitaniato)はシニョーリ広場にバジリカと向き合うように建っています。これもアンドレーア・パラディオ(Andrea Palladio)さんの設計、1571年にパラディオさんが手がけたものの未完成で終わった建物だそうです。ヴェネツィア共和国総督邸の前面には大きなピンク色がかった4本のコリントス式の柱が鎮座しています。ヴィチェンツァもヴェローナも15世紀頃には、やりてのヴェネツィアに牛耳られていましたから総督邸もずいぶん立派な建物です。

2012年3月28日水曜日

ヴィチェンツァ、キエリカーティ美術館,Museo Civico Pinacoteca Palazzo Chiericati,Vicenza

Museo Civico Pinacoteca Palazzo Chiericati
(キエリカーティ美術館)
僕はテアトロ・オリンピコ(Teatro Olimpico)の毒気にあたり、少し目眩がしてきました。
娘と奥さんと僕はテアトロ・オリンピコを出ると、目の前のジャコモ・マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)で一休み。
広場でのんびりお昼を食べよう、そんな気持ちになりません。
ジャコモ・マッテオッティ広場には少しばかりの木立がありますが、ハトがのんびりえさをもらえるような雰囲気ではありません。
広場は道路に囲まれていて、境界線上にまにあわせのようにプラントボックスが置いてあるだけ。そこを車や路線バスが行き来しますから排気ガスも気になるし、なにより落ち着かない残念な広場です。ヴィチェンツァ市公園緑地課(あるのかな)どうにかして。
広場の脇にはキエリカーティ美術館(Museo Civico Pinacoteca Palazzo Chiericati)。
この建物もアンドレーア・パラディオ(Andrea Palladio)さんの設計。
パラディオさんは16世紀に活躍した建築家ですが、この建物が完成したのは17世紀末。
ヴィチェンツァ市がキエリカーティさんの邸宅を1839年に買い取り美術館にしたのです。
美術館には14世紀から19世紀の絵画のコレクションがあり、ヴェネツィア派のバッサーノ、ヴェロネーゼの作品やヴァン・ダイク、ブリューゲルなどの作品があるそうです。
あるそうで、僕たち家族はこの美術館を見ていませんが。
キエリカーティ邸が完成した当初、建物は白大理石の真っ白な外観をしていたのでしょう。
僕たち家族がここを訪れた時(1990年)には、建物の1階部分はぐるりと黄緑色。
白大理石の上から塗装したのか、それはしぶいうぐいす色。
現在は大理石をきれいに掃除して竣工当時にもどしたようで、建物全体は真っ白だとか。
僕は苔むしたようなうぐいす色も悪くないと思います。

2012年3月26日月曜日

ヴィチェンツァ、テアトロ オリンピコ,Teatro Olimpico,Vicenza


Teatro Olimpico  入口

Teatro Olimpico 中庭
娘と奥さんと僕はオリンピコ劇場(Teatro Olimpico)にやって来ました。
僕たち家族はジャコモ・マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)の観光案内所でヴィチェンツァの地図と観光情報誌をもらいます。
ジャコモ・マッテオッティ広場の北側にはアンドレーア・パラディオ(Andrea Palladio)さんが16世紀に設計したオリンピコ劇場があるのです。
劇場の入口は城壁のような壁にアーチ形の穴がぼそりと開いているだけ、ローマの遺跡のようです。
門をくぐると小石が敷き詰められた中庭があります。オリンピコ劇場の壁面はツタが一面にたれさがり鮮やかな緑色。庭の中央部には楕円形の芝生がありバラが植えてあります、ところどころモミの木でしょうか高木の常緑樹が数本ある手入れがいきとどいた庭です。
テアトロ・オリンピコ入場券
劇場の玄関はこの庭の奥にあり、入口を入ると大きなホールがあらわれます。ホールの床は白大理石と淡い茶色の大理石の格子模様。壁にはフレスコ画でコリントス式の列柱や古代ローマの女神が画かれています。
僕たち家族は、オリンピコ劇場の入場券を1人3,000リラ(1990年)で買い劇場に入ります、うわさには聞いていましたが何ともすごい劇場です。
天井にはミケランジェロが画いたような青空があり、客席の最後部には列柱と彫像が立ち並びます。急勾配の階段状観客席の正面にこれでもかと遠近法をきかせた舞台があるのですが、舞台の背景がマトリョーシカみたいに入れ子になっていて、それは不思議な気分になるのです。
テアトロ・オリンピコ 平面・断面図
テアトロ・オリンピコ舞台

2012年3月23日金曜日

ヴィチェンツァ、ジャコモ・マッテオッティ広場,Piazza Giacomo Matteotti,Vicenza

Piazza Giacomo Matteotti,Vicenza

ジャコモ・マッテオッティ広場、ヴィチェンツァ
娘と奥さんと僕は、ジャコモ・マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)に到着。
アンドレーア・パラディオ通り(Corso Andrea Palladio)を娘を乗せたベビーカーは、ギシギシ鳴りっ放しで、こわれそう。3歳半の娘は歩くことが大嫌い、日本から持ち込んだ安物のベビーカーは、ここまで2ヶ月のあいだ、石畳の道を毎日かなり移動します。すでに一部が破損してガムテープで補強していますが、いつまで使えるでしょう。娘に、お菓子をBARで買ってあげるから少し歩こうよ、娘は100m歩いて、BARでお菓子をもらったとたん、今度は「だっこ」まだまだ娘は日本にいないことが不安なのでしょう。奥さんは娘をだっこして、さあ次ぎに行きましょう。

2012年3月15日木曜日

ヴィチェンツァ、アンドレーア・パラディオ通り,Corso Andre Palladio,Vicenza

Corso Andrea Palladio,Vicenza

Corso Andrea Palladio
娘と奥さんと僕はジャコモ・マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)のヴィチェンツァ観光案内所に向かいます。ジャコモ・マッテオッティ広場はアンドレーア・パラディオ通り(Corso Andrea Palladio)を東に行き、運河に突き当たる手前にあります。僕たち家族はパラディオ通りを、娘を乗せたベビーカーでガタゴト歩いては休み、あたりをきょろきょろ、なかなか目的地に着きません。アンドレーア・パラディオ(Andrea Palladio)さんは16世紀の建築家です。パドヴァで生まれ、その後、建築家の勉強をするためヴィチェンツァに移り住んだとか。この通りもパラディオさんの名前がつく程ですから、彼の作品が沢山あり、都市計画にも彼がかかわったのでしょう。

2012年3月14日水曜日

ヴィチェンツァ,Vicenza

ヴィチェンツァ、観光案内パンフレット

ヴィチェンツァの地図
娘と奥さんと僕は早起きをして、ヴィチェンツァに向かいます。
ヴェローナの宿でお世話になったおかみさんやおやじさん、娘さんと息子さんに別れの挨拶にいきます。
別れぎわに宿の息子さんが、僕たち家族に彼の画いた絵を手渡してくれました。それは川面に浮かぶ小さな船が画かれた水彩画です。
僕たち家族は、宿の皆さんに「ありがとう」と頭を下げてヴェローナの街を後にします。
ヴィチェンツァはヴェローナから約60k東にあり、列車で1時間程のところです。
ヴィチェンツァの駅を出ると目の前にマルツィオ広場(Compo Marzio)があります。
広場はがらんとした野原で、ところどころに木立があるばかり。
僕たち親子はマルツィオ広場から北にのびるローマ通り(Viale Roma)をしばらく歩きます。すると大きく右にカーブしてアンドレーア・パラディオ通り(Corso Andrea Palladio)につながり、パラディオ通りを東に歩くこと15分ほどで、運河の手前にあるジャコモ・マッテオッティ広場(Piazza Giacomo Matteotti)に到着。
ジャコモ・マッテオッティ広場にある観光案内所でヴィチェンツァの地図と観光案内のパンフレットをもらいます。
パンフレットの表紙に、パラディオさん作のかわいらしい「ラ・ロトンダ」が描いてあります。
ANDREA  PALLADIOさんの建築案内図


2012年3月12日月曜日

ヴェローナ、サン・ゼノ・マッジョーレ教会,San Zeno Maggiore,Verona

San Zeno Maggiore,Verona
サン・ゼノ・マッジョーレ教会のライオン?、グリフィン?
空からときおり小雨が降る日曜日、今日は復活祭です。
キリスト教徒でもない僕たち家族ですが、サン・ゼノ・マッジョーレ教会(San Zeno Maggiore)の復活祭のミサに参列。
サン・ゼノ・マッジョーレ教会は、宿から西に少し離れたアディジェ川(FIUME ADIGE)近くに建っています。
ヴェローナの街中に鳴り響く鐘の音。娘は教会の前で、鐘の奏でるしらべに聞き入っています。その美しい鐘の音が街を清め、みんなを祝福している。
教会の中では沢山の参列者がひしめき、静かに神父さんの説教に聞き入っています。
その後みんなで賛美歌を歌います。僕たち親子はもちろんイタリア語も賛美歌も知りません。みんなが歌う賛美歌を聴いてから、僕たちはそっと教会の則廊に出ました。

サン・ゼノ・マッジョーレ教会の則廊
サン・ゼノ・マッジョーレ教会は12世紀から13世紀に再建された、イタリア・ロマネスク様式の教会です。
4世紀に亡くなったヴェローナの守護聖人サン・ゼノさんの墓を祭るため、9世紀に教会が建設されますが、12世紀に地震で教会が崩壊したために、現在の教会に建て直されたそうです。

2012年3月6日火曜日

ヴェローナ、スカラ家の廟 Arche Scaligere,Verona

サンタ・マリア・アンティーカ教会
スカラ家の廟(Arche Scaligere)
娘と奥さんと僕は、シニョーリ広場(Piazza dei Signori)をぬけ、すぐ裏手にあるスカラ家のお墓に着きました。お墓には寄り添うように小さな教会が建っています。サンタ・マリア・アンティーカ教会(Chiesa Rettoriale Santa Maria Antica)です、このロマネスク様式の教会は12世紀に建てられたものです。教会の入り口の真上には、大理石でつくられた棺とその上に横たわる死者の彫像があります。僕はおもわず、合掌、娘と奥さんは早くここから立ち去りたい様子でそわそわ。スカラ家の廟(Arche Scaligere)は美しい織物の様な鉄格子で囲まれ、中に入る事はできません。スカラ家は13世紀から14世紀ごろまでヴェローナを支配した人達です。

2012年3月4日日曜日

ヴェローナ、レストラン香港 RISTORANTE CINESE,HONG KONG,Verona

レストラン香港のレシート
娘と奥さんと僕が、お昼を食べに来たレストラン香港。4月15日の日曜日(1990年)復活祭です、街中のお店がシャッターを閉めています。神聖な復活祭に働くのは不謹慎、教会でお祈りをして、家族で過ごすのがあたりまえ。食品店もBARもお休みで、やっとお昼にありつけたレストラン香港、20年以上前のことです、もうこの店は無いでしょう、安くて美味しい定食をいただきました。Menu fissoとは定食のこと、僕たち家族が食べたのは、春巻き、コーンスープ、チャーハン、豚肉とタケノコの炒め物、鶏肉とアーモンドの炒め物(奥さん)ウーロン茶です。お店の場所は、アリーナ前のブラ広場(Piazza Bra)からローマ通り(Via Roma)を西にアデイジェ川に向かって150mほど歩くと、カルロ・カッタネーオ通り(Via Carlo Cattaneo)との交差点に出ます、そこを右に曲がりすぐの所にあります。

2012年3月3日土曜日

ヴェローナ、シニョーリ広場 Piazza dei Signori

Piazza dei Signori
娘と奥さんと僕はシニョーリ広場(Piazza dei Signori)を散歩。
この辺りは宿から歩いてほんの数分の所で、肉屋や八百屋、切り売りのピザ屋があったりでたびたび買い物に来るのです。
僕たち家族はエルベ広場(Piazza delle Erbe)のBARでお昼を食べ、食後の散歩にとシニョーリ広場まで来たのです。
白と茶色の縞模様の建物はラジオーネ館(Palazzo Ragione)、12世紀に市庁舎として建てられたロマネスク様式の建物です。
ラジオーネ館にはランベルティの塔(Torre dei Lamberti)があり、塔の高さは83mほど。
ランベルティの塔にはなんとエレベーターが内蔵されています。
塔はいつ建てられたの、後からエレベーターを設置したのでしょうがどうやって。

ラジオーネ館の壁面に翼のあるライオンの紋章が付いています、この紋章はヴェネツィアの紋章。なんでも15世紀にヴェローナはヴェネツィアの支配下に入ったためとか。
ヴェネツィアの紋章のライオンは頭が左にあるのに、ヴェローナのライオンは頭が右にある、なぜで反転しているのしょう。
ヴェネツィアの翼のあるライオン
ヴェネツィアの紋章である、翼のあるライオンは聖書を持っています。
4人の福音書の記述者達は4つの動物で象徴され、マタイは人間、ルカは牛、ヨハネは鷲、マルコはライオンだそうです。
サン・マルコ寺院はその名のとうり聖マルコにささげられた教会ですから。