2011年5月20日金曜日

シエナの噴水と井戸、Fontana,Cisterna di Siena

Fontana Siena
娘と奥さんと僕は地図を持たずに散歩、カンポ広場から南西に春のお日様が導くとうりにひたすら歩きました、歩き疲れて休もうとすると、そこに小さなかわいい噴水がありました。
このあたりは雑木林と畑がある静かなところです、ここで休憩。
Cisterna Siena
今度は井戸を見つけました、娘が芝の階段を降りていくとそこに井戸がありました。
いつ頃のものかわかりませんが、ローマ時代後期あたりの古い井戸でしょうか。シエナの街は中心部が丘の上部にあたり、西側は緩やかに下がっています、このあたりは街の西側の外れですから低い場所になります。これは帰りが大変だ、宿までの帰り道はすべて上り坂です。
Cisterna Siena
娘と奥さんと僕はようやく宿のすぐ近くまでやって来ました。宿まで歩いて3分ぐらいの所に、聖カタリナ礼拝堂があります、ここには小さな中庭があり、その中庭に素敵な井戸があるのです。ここで少し休んでから宿に戻る事にしました。

2011年5月18日水曜日

シエナのパリオ、Palio Siena

Pratica il Palio
Pratica il Palio
それは4月上旬の穏やかな午後、娘と奥さんと僕はシエナの街をあてもなく散策していると、偶然にもパリオの練習に出会いました。
広場に集まった子供たちは旗の練習に夢中です、旗を大きく振ったり回転させたり、旗を高く空に投げ上げ落ちてくる旗をうまく受け取ったりを何度も繰り返し練習していました。その姿は真剣そのもの、誰一人ふざけたりさぼったりしていません。
パリオは毎年、7月2日と8月16日にカンポ広場で行われるお祭りで、シエナの17地区から10地区が参加する地区対抗の競馬です。
僕たちが広場で見た子供たちの旗には、アヒルの絵の紋章が描かれています、祭り本番で彼らが旗を振る姿を僕たち家族が見る事はできないでしょう。
娘と奥さんと僕はアヒル地区の健闘を祈りました。

2011年5月14日土曜日

シエナとタルコフスキー, Siena e Tarkovsky

San Galgano Chiusdino,Toscana
シエナのお土産屋さんはどの店先にも絵はがきが目立つ所に並んでいます。
僕は偶然この絵はがきを店頭で見つけ、一目でアンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー(Andrei Arsenyeivch Tarkovsky)さんの映画「ノスタルジア」だと気づきました。
僕は店員さんにつたない英語で、「この絵はがきの教会に行きたのですが」彼女は僕に車を持っているかと聞き、「僕は車は無いんだ、だけど、どうしても行きたいんだ」彼女は、この教会はサン・ガルガノにあるけれど、シエナから西に約35㎞程の所にあるので車でないと無理だと思うわ、しかたなく僕はこの絵はがきを750リラ(1990年)で買いました。
「ノスタルジア」は1984年に有楽町で見たのですが、途中僕は寝込んでしまい、その後レンタルビデオ屋で借りて見直すのですが、また途中で寝てしまいました。
この教会がシエナ近郊にある事は映画で知っていましたが、シエナに来るまで場所が分かりませんでした。
屋根のない教会が気に入りぜひ行きたかったのです、本当に残念、建築で屋根が無いという事がこんなに素敵だとは。その上、床に雑草が生えています、沢山お日様が当たるのでしょう、僕はこんな教会が一番好きです。

2011年5月11日水曜日

シエナの風景 Paesaggio di Siena

Paesaggio di Siena
シエナの起源はわかってはいません、ローマ時代の都市が起源ということですが根拠は定かではありません。
11世紀から14世紀中期の中世ヨーロッパで最大の金融街の一つです。13世紀頃同じ金融街として栄えたフィレンツェとシエナはトスカーナ地方の覇権をめぐり熾烈な武力衝突を繰り返します。
13世紀中期にはフィレンツェを破り支配するのですが、わずか5年後にフランス王国とフィレンツェの連合軍に敗北して、トスカーナの指導権を失うのです。
それでも金融街の機能は失わず豊かなシエナの街は優れた芸術を数多く生み出していきます。
シエナが衰退したのは14世紀中期にペストの大流行に原因があるのでしょう。
僕は栗本慎一郎さんの書いた「光の都市 闇の都市」で、疫病が都市を破滅することには人口の調整を行っている面もある、そんなことをぼんやり思い出しました。
はかない美しさが僕は好きです、人間が作り出した文明は、薄い氷りの上にあるとてもはかないものである、これも誰かの言葉ですが。

2011年5月6日金曜日

シエナ、プッブリコ宮殿 Palazzo Pubblico,Siena

Torre del Mangia,Siena
Palazzo Pubblico,Siena
娘と奥さんと僕はプッブリコ宮殿にやって来ました。
この宮殿は14世紀に建造され、フィレンツェのヴェッキオ宮殿をまねて建てられたとか。イタリア中世後期には、シエナとフィレンツェは共に金融や商業で財を成した所ですから、とかく張合う事が多かったのでしょう。
プッブリコ宮殿にはマンジァの塔があります、約100m程の塔で入場料一人3,000リラ(1990年)娘と奥さんと僕は高い所には必ず上る。石の階段で500段ほどあるのですが、途中疲れていやがる娘を奥さんと僕で交代でおんぶ、だっこ、入場料を払いましたので引き返すことはできません、元は取るぞと上りましたが、暖かな4月上旬でしたからそれはきついのです。
僕は高い所が好きですが、高所恐怖でもあり、最後の鐘の所には行けません。すかすかの手すりとはしごのような階段を上ると思うと背筋に悪寒が走ります。
カンポ広場が見渡せるこの塔に上るとわかるのですが、広場は扇型でその焦点はプッブリコ宮殿の中心にあるのです、勾配も宮殿が一番低いので大雨の時が心配、1階はそのぶんずいぶん地面から上る事になります。

2011年4月29日金曜日

シエナ、カンポ広場 Piazza Il Campo, Siena

Piazza Il Campo, Siena
Piazza Il Campo, Siena
娘と奥さんと僕はシエナの宿から15分ほど歩いてカンポ広場に着きました。
シエナの道はどこも坂道で勾配がきつく、道のほとんどが階段という難所がありますから、人力ベビーカーには大きな負荷がかかります、ああしんど。
道すがら、スーパーマーケットのMINUCCI Franciscoにて、パン、ハム、コロッケ、アイスクリーム、オレンジジュース、ミルク、ミネラルウォーターを買いました。
今日のお昼ご飯はカンポ広場でいただきます。
3月最後の週、天気のよい穏やかな木曜日、沢山の若者が広場に集まっています。
皆んな気に入った場所にあぐらをかいてひなたぼっこ。
娘と奥さんと僕は目の前の食べ物に夢中、一息つくまではカンポ広場だろうが、さいたまの北浦和公園だろうが同じ、まずは腹ごしらえが大事。
カンポ広場が素敵なのは、地面がたいらでない事、幾何学的な円形でなくシンメトリーでないこと、よけいなものがないこと、いつここに来ても飽きる事がありませんでした。

2011年4月26日火曜日

シエナの宿_2 Hotel Alma Domus_Casa Del Pellegrino_due, Siena

Casa Del Pellegrino,Siena
娘と奥さんと僕は今晩の夕食を宿でとる事にしました。
シエナの素敵な夜景は部屋の中にいる僕たち家族だけのもの、月とシエナ大聖堂が夜空に浮き上がります、本当に贅沢だな。
あれほど奥さんと僕はビール、ビールと連呼していましたが、今夜はワインを買いました。もちろん昼は沢山歩きますので、乾いたのどにはビールが正解。
ワイン CHIANTI CLASSICO
ワインはシエナの酒屋さん L'ARANCETOで6,000リラ(1990年)で購入、当時日本円で約1,000円。生ハムは総菜屋さんGIUGGIA MARIOで4,300リラちょっと高いけどたまには良いでしょう。
パンとサラダと娘のジュースとチョコレートはシエナのスーパーマーケットのMINUCCI Francascoで買いました。全部で7,640リラです、近所のトラットリアでの食事より豪勢です。