2013年7月17日水曜日

ピカシエットの家 Maison Picassiette. Chartres

ピカシエットの家 Maison Picassiette
ノートルダム大聖堂の東の丘をくだると用水路みたいな小川があらわれる、ウール川(L'Eure)だ。
ウール川にそって下流に、南に10分ほど歩いてフォーブル・ラ・グラップ通り(Rue du Faub.La Grappe)まで行けばウール河畔公園(Parc des Bords de L'Eure)の森にでる。
そこからゆるやかにウール川からはなれて東に向かうスール通り(Rue de Sours)を歩いてわずかな距離でルボ通り(Rue du Repos)と交差する十字路に、ここを左に曲がるとピカシエットの家(Maison Picassiette)はすぐだ。
夢の宮殿は通りからは見えない、ひっそりと隠れるようある。

ピカシエットの家とはレイモン・イジドールさんが30年ちかく(1938~1964)かけて自宅の内装や納屋や庭をこつこつ一人で作り上げた宮殿だ。
皿やカップ、ビンなどの破片が床や家具をはいまわり壁をかけのぼり、あたり一面を埋め尽くす。
Picassietteはフランス語で"Picasso de L'assiette" が短縮されたもの、レイモン・イジドールさんのあだな。
フランス語のわからない僕のかってな解釈だが、彼は日本であればまちがいなく「日本のガウディ」とよばれる、ところがシャルトルでレイモン・イジドールさんは街のみんなから、「おまえさんはお皿でものを作らせたらピカソ顔負けだねえ」と。
ウール川 L'Eure

2013年7月12日金曜日

Ospedale SS, Giovanni e Paolo, Venezia

Scuola Grande di San Marco
ヴェネツィア市民病院
カステッロ地区にある運河にそった路地、フォンダメンタ・メンディカンティ通り(Fondamenta dei Mendicanti)を歩いていると突然広場に出た。
松葉杖を両脇に抱え足をひきづりながらひとりのおじさんが僕の前をよこぎる。彼は難儀そうにヴェネツィア市民病院(Ospedale SS,Giovanni e Paolo)の玄関の石段をのぼって扉の向こうに消えた。

はじめから病院ではない、1819年ごろオーストリア軍の病院に改修されてかららしい。それまでここはサン・マルコ同心会館(Scuola Grande di San Marco)と呼ばれ、自冶会館みたいに使われていたようだ。
"Scuola" スクオーラは同心ということらしい、そもそも同心とは何か、僕は知らない。
なんでもヴェネツィア市民の自冶会で冠婚葬祭を執り行ったり、政治的な力もあったようだ。これほどの建築を残すのだから財力もとうぜん半端なものではない。

ビサンチン風の白大理石のファサードにだまし絵のような絵が並ぶ、遠近法のきいたアーチの奥からライオンがこちらを見ている、なぜかどのライオンもポーズが違う。

ヴェネツィア市民病院の奥にあるサン・ジョバンニ・エ・パオロ教会(St Giovanni e Paolo)は狭いヴェネツィアにあってはいかにも窮屈そうな教会、せめてアドリア海が見えれば良いがここからは潮のけはいすらない。
St Giovanni e Paolo


2013年7月7日日曜日

Plaça de Catalunya.Barcelona

Plaça de Catalunya.Barcelona
僕たち家族のバルセロナ散策の出発点はカタルーニャ広場、どこにいくにもまずここから。娘の目的は広場の鳩にえさをあげること、かならず半分残したお菓子を持ってきます。

バルセロナの港にはよく散歩にいきました、カタルーニャ広場から港に向かうランブラス道りにもなれしたしんで、気分は北浦和のハッピーロード。

僕たち家族はランブラス通りの路地裏の観光客のいないパン屋さんや惣菜屋や雑貨屋などに毎日買いだしに出かけます。雑貨屋で買った大きなタッパーウェアを惣菜屋のおにいさんに手渡し僕は一言「ensalada」彼はびっくりして肩を上げながら、しかたないなーとタッパーに山盛りの野菜をつめてくれました。
バルセロナの港





2013年7月4日木曜日

Fondamenta dei Mendicanti, Venezia

Fondamenta dei Mendicanti
Fondamenta dei Mendicanti (フォンダメンダ・デイ・メンディカンティ) はひと気のない静かな通り。
ときおり水上バスが市民病院に向かう人たちを運んでくる、なんのへんてつもない運河。
だけど、とても安心する、はじめて訪れたのにまえにも来たことがあるような。

Fondamenta dei Mendicanti の位置はヴェネツィアの東部のカステッロ地区(Castello)、で魚の背びれあたり、近くにはムラノ島やトルチェッロ島に向かう船着場がある。

運河の突き当たりの焦点に美しい墓地の島"Isola di San Michele"サン・ミケーレ島がきちんと見える、それもここの良いところ。

Mendicanti とは、なんでも托鉢のことらしい、キリスト教にもドミニコ会やフランチェスコ会は托鉢をするんだとか。
托鉢のほかに乞食という意味もあるようだが、この通り(Fondamenta dei Mendicanti)の由来を僕は知らない。