娘と奥さんと僕は共和国広場で、このチラシをイタリアのおじさんからむりやり押し付けられて受け取りました。
僕たち家族は、ローマでイタリア人からかならず「フィリピン人」と呼ばれます。
ローマには沢山のフィリピン人が住んでいますから、しかたありません。
当時ローマのフィリピン人は賃金の低いお手伝いさんやビルの清掃などの就業者が多いようにみえました。
1990年4月の事です、ビラに書かれたPUGLIAはたぶんイタリア南部のプーリア地方のことです。
とんがり屋根のかわいい建物のトゥルッリが並ぶアルベロベッロ(Alberobello)に行きたいと思い、イタリアに来る前に僕は図書館でこの地方の事を調べたのです。
残念な事に今回は行けませんでしたが、プーリア地方はイタリアで一番豊かな農産地。
イタリア語がわからず単語のひろいよみですが、イタリア南部のプーリア地方の農民問題を訴えているようです。
日本もそうですが、農民のおかれている境遇はけっして良くありません。
資本主義は、農民や低所得者労働者の上になりたっているものです。
1960年風に言えば「イタリア北部ブルジョワジーは南部イタリアを征服し、摂取するために植民地化した」まったくの僕の想像上のお話です。
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