2011年7月10日日曜日

フォロ・ロマーノ、ウェスタ神殿,Tempio di Vesta

Tempio di Vesta,Roma
娘と奥さんと僕は、ウェスタ神殿の前にやって来ました。
ウェスタ神殿は、ローマ神話に登場する、かまどの女神様。ローマ市民の間では家庭の守り神で、ご神体は燃える火だそうです。
古代ローマ時代の神様の多くは、ギリシャの神様の影響を受けています。
もちろん、古代ローマはギリシャ文化がお母さんのようなものですから。
この神殿は、205年頃に建造されたものですが、現存する神殿は部分的にしか残っていません。
神殿の外装は、大理石の列柱が円形に並んだ、きれいでやわらかい女性的な、素敵な建物です。

2011年7月9日土曜日

フォロ・ロマーノ、Foro Romano

Foro Romano
フォロ・ロマーノ入場券
娘と奥さんと僕は、フォロ・ロマーノにやって来ました。
カンピドリオ広場から少し歩けば、小さなチケット売り場に到着。ここで、入場料の5,000リラ(1990年)を支払い(娘は無料)、古代ローマ時代に。場内は観光客も少なくのんびりできます、それでは、ここでしばらく娘とかくれんぼ。
フォロはラテン語のフォルム(Forum)広場の事だそうです、フォーラムもここからきているのでしょう。
この古代ローマ遺跡は、紀元前6世紀頃から290年頃までのものだそうです。古いものは建物の土台だけだったり、小さな柱が2本だけだったり、土の中から19世紀に掘り出された宝物、ゆっくり見て回らないともったいない。

2011年7月6日水曜日

ローマ、カピトリーノ美術館、Musei Capitolini,Roma

Musei Capitolini,Roma
娘と奥さんと僕はカピトリーノ美術館(Musei Capitolini)にやって来ました。
ここは、カンピドリオ広場に面してあるコンセルヴァトーリ宮殿の中庭です。
この場所は鮮明に記憶していました、アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキーさんの映画「ノスタルジア」の一場面にでてくるのです、僕は1984年この映画を有楽町で見たのです。偶然この場所に出くわした時に、僕はなんて幸運なんだろうと、うれしくて、しばらく見入ってしまいました。
ここに並んだ大理石の巨大な頭部、手、足などは、説明書きによると、
コンスタンティヌス皇帝(Constantinus)像の部分品で、完成時には全身の高さが12m以上もある巨大彫刻だったそうです。
僕は頭部、手、足などがばらばらにあるこの状態のほうが素晴らしいと思いました。
すごく幻想的で素敵です。

2011年7月2日土曜日

ローマ、カンピドリオ広場,Piazza del Campidoglio Roma

Piazza del Campidoglio Roma
Piazza del Campidoglio Roma

娘と奥さんと僕はカンピドリオ広場に到着。
ローマの道は表も裏もほとんどが石畳、娘を乗せた安物のベビーカーを押してここを歩きまわると、石のくぼみや目地に車輪がはさまれては難儀します。
そのためベビーカーの損傷がはげしく、いつこわれてもおかしくない状態。そこでベビーカーでの移動をなるべくへらすため、僕たち家族はとにかくバスに乗る、地下鉄に乗る。
宿のある共和国広場からテルミニ駅前のバスターミナルは歩いてすぐ、このバスターミナルはたくさんの路線が乗り入れていますからそれは便利。
バスの回数券は共和国広場にあるタバコ屋さんで買います、10枚つづりで6,000リラ(1990年)当時約1,000円ほどですから、ローマ市内ならどこにでも一人100円で行けます、もちろん娘は無料です。
Piazza del Campidoglio Roma

カンピドリオ広場は16世紀にミケランジェロさんが帝政ローマの元老院のあったカピトリノの丘を整備して造られたバロック風な広場 。
広場中央にはマルクス・アウレリウス帝の騎馬像がありません、当時ここには騎馬像の台座がぽそりとあるだけ。
ローマのバス乗車券


2011年7月1日金曜日

イタリア労働者闘争、Lavoratori Struggle,Italia

娘と奥さんと僕は共和国広場で、このチラシをイタリアのおじさんからむりやり押し付けられて受け取りました。
僕たち家族は、ローマでイタリア人からかならず「フィリピン人」と呼ばれます。
ローマには沢山のフィリピン人が住んでいますから、しかたありません。
当時ローマのフィリピン人は賃金の低いお手伝いさんやビルの清掃などの就業者が多いようにみえました。
1990年4月の事です、ビラに書かれたPUGLIAはたぶんイタリア南部のプーリア地方のことです。
とんがり屋根のかわいい建物のトゥルッリが並ぶアルベロベッロ(Alberobello)に行きたいと思い、イタリアに来る前に僕は図書館でこの地方の事を調べたのです。
残念な事に今回は行けませんでしたが、プーリア地方はイタリアで一番豊かな農産地。
 イタリア語がわからず単語のひろいよみですが、イタリア南部のプーリア地方の農民問題を訴えているようです。
日本もそうですが、農民のおかれている境遇はけっして良くありません。
資本主義は、農民や低所得者労働者の上になりたっているものです。
1960年風に言えば「イタリア北部ブルジョワジーは南部イタリアを征服し、摂取するために植民地化した」まったくの僕の想像上のお話です。

2011年6月28日火曜日

ローマの路面電車、Tranvie di Roma

Napoleone III, Roma
ローマ市内で沢山見かける路面電車、1990年頃はたくさんの路線がありましたが、現在はずいぶん廃止されたようです。
娘と奥さんと僕は、夕飯を食べに宿から近いナポレオン3世通り(Via Napoleone III)のトラットリアやピザリアに,歩いてたびたび行きました。ナポレオン3世通りはテルミニ駅の南側にあり、観光客が少く,安くて美味しい食堂が沢山あります。大通りに面したお店より、少し路地を入った小さな店が良いのは世界共通。
ナポレオン3世は、1859年、イタリア統一戦争に介入し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世率いるサルデーニャ軍とともに戦った人だそうで、イタリアでは英雄なのでしょう。

2011年6月23日木曜日

ローマのアイスクリーム屋"NICE ICE" Galato di Roma

Piazza Rotonda Roma
Piazza Rotonda Roma
娘と奥さんと僕はパンテオンを出ると、目の前のロトンダ広場(Piazza Rotonda)わきにあるアイスクリーム屋"NICE ICE"で一休み。
NICE ICEのカウンターごしに、僕は「Gelato al cioccolato」と指を3本見せてアイスクリームを注文。アイスクリームは1個が1,000リラ(1990年)当時約160円ほど。
僕たち家族は店先に並ぶテーブルに陣取りチョコレートアイスクリームを食べながら、ぼんやり。
広場には30人ほどの小学生たちが先生とパンテオン前に並んでいます。歴史の授業でしょうか、みんなおおはしゃぎで楽しそう、それにしてもうらやましい。

帰りぎわ"NICE ICE"のおじさんが僕にカードを手渡してニッコリ。
なんでも4月12日の夜10時半からパーティが"CASANOVA"であるようです。
カードには、「カップルでの参加よろしく」みたいなことが書かれてあるのですが、通りすがりの観光客である僕が行くはず無いじゃないですか。
それにしてもグリースとは、奥さんは一言「ジョン・トラボルタ」。