2012年12月30日日曜日

バルセロナのブックマッチ Matchbooks

バルセロナのホテル・ルレオ(Hotel Lleo)のブックマッチ、表面
バルセロナの宿はホテル・ルレオ(Hotel Lleo)。部屋があまりに寒いので「暖房器が壊れてる」ともんくをいうと、フロントのおばさんが「lo siento」といってブックマッチを持ってきました。
まさかマッチで温まるの。しばらくして壁ぎわのオイルヒーターが動き出し、僕たちは身体に巻きつけた毛布から解放されます。
バルセロナのホテル・ルレオ(Hotel Lleo)のブックマッチ、裏面

ルレオのブックマッチは18cm×9cmとかなり大型。
表紙には1990年のカレンダーとHotel Lleo、その下に Feliç Any Nou(カタロニア語),Feliz año nuevo (スペイン語), Bonne année(フランス語)で「おけましておめでとう」。
僕たち家族がこの宿を訪れたのは1990年3月初旬、奥さんも僕も「このマッチで暖房器の故障を口止め、せこいぞ」。
ブックマッチ裏側にはバルセロナとは思えない冬景色。深い森に囲まれて雪が積もった赤い家にそりをひくおとうさんと子供と黒い犬が 家路を急ぐ。この絵を見ると、僕はなぜかレーニンがいたころのロシアを思うのです。
ケースをひらくとずらりとマッチが並ぶ


2012年12月9日日曜日

パリ東駅 Gare de l'Est.paris

パリ東駅の両替所
CENTRALE DE BANQE
娘と奥さんと僕はザルツブルグ中央駅から夜行寝台列車に乗り込み、パリに向かいます。
僕たち家族を乗せた夜行列車はザルツブルグ駅を定刻の18時40分に発車、夕暮れ時の街並が静かに遠ざかって行きます。
パリ東駅(Gare de l'Est)には翌朝6時30分に到着。2等寝台車には狭いベッドが上下にあわせて4つ、下の段のベッド2つが僕たち家族の寝台、今度も奥さんは娘と一緒で窮屈そう。奥さんはまた眠れない夜を過ごすんだろうな、かわいそう。
寝台車の上の2つの寝台にはフランス人らしき女子大生が2人。大きなバックパックを背負って乗り込んできました。彼女たちはすぐに娘と仲良くなり、お菓子をもらったり、あげたりで楽しそう。フランス語で話しかけられても、こちらはいんちき英語でおうせんしきり。
翌朝、彼女たちがベッドから下着姿でむっくり起きて、僕たち家族に「arrive a paris」。
これには奥さんも僕もびっくり。


Gare de l'Est.paris
パリ東駅
僕たち家族は早朝のパリ東駅のプラットホームに降り立ちます。朝の通勤ラッシュで、それは沢山の人が行き交います。
両替所を探し、人ごみをかきわけてコンコース内の中央銀行(CENTRALE DE BANQUE)に。
銀行でトーマスクックのトラベラーチェック100ドルをフランに両替。100ドルで556フランに(1990年)手数料16.86フランその他税金を取られ530フラン。
1フランは当時25円ほどでした。