フィレンツェの伊達男 |
地図を見なくとも小さな街ですから、迷子になれば近くのバールに入りカフェラテを飲み、トイレに入りのんびりして、少ないチップを店員さんに渡し店をあとにします。
狭い路地を上を見ながら太陽の位置を確認すればどのあたりにフィレンツェ大聖堂があるかわります、大聖堂の位置がわかればもう迷う事はありません。
夕方宿のそばのアリエント通りで革製品の露店がそれは沢山でていました、奥さんと僕はフィレンツェで革製品を買いたかったのでさっそく露店めぐり。
フィレンツェは中世から繊維業が盛んで、商業と職人とは強い組合組織で安定した状態が続きましたから、品質や技術がより良いものを生産できたのでしょう。
バッグで有名なグッチさんはここフィレンツェ生まれの人です、たしか1920年代にグッチさんはフィレンツェにお店を構えたのが始まりでした。
奥さんも僕もブランド品には全然興味がありませんし、だいいちフィレンツェだからグッチが安く買えるはずがありません。
露店の革製品で掘出し物を探すほうが楽しいのです。奥さんと僕は本革のジャケットと財布を買いました。奥さんの革ジャケットが22万リラ(1990年)僕の革ジャケットが23万リラ(1990年)革の財布が5万7千リラでした、当時日本円で22万リラは3万6千円ぐらいです。
それに店のお兄さんは僕たちに合うサイズが無いとなると近くの露店に探しにいくのです。サイズ違いのジャケットを持って来ては僕たちに着せ、合わないとなるとまた違う露店に探しにいきます。こんな事を5回も繰り返しやっとちょうど良いサイズのジャケットを探し出してくれました、これでは買わない訳にはいきませんから。お兄さんご苦労様でした。
冬になると僕はこのフィレンツェで買った革ジャケットを今でも着ています、20年以上たちましたからくたびれてきていますが、軽くて着心地が良いのです。残念な事に僕のジャケットは3年程前にジッツパーが壊れてしまいました。
ボタンで留める事もできますので機能的には問題ないのですが、奥さんのジャケットは今も買った当時のまま奇麗な光沢があります、それに奥さんのジャケットのジッパーは日本製のYKKですから壊れません。僕のはたぶんイタリア製、どちらもイタリア製のジャケットなのですが肝心なところは日本製が良いようです。